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クルーズマンズではじめよう
クルーズ航程
- 2010/03/06 — シンガポール
- 03/07 — シンガポール
- 03/09 — フーミ(ホーチミン)
- 03/11 — ダナン
- 03/13 — 香港
- 03/15 — マニラ(ルソン島)
- 03/17 — コタキナバル
- 03/18 — バンダルスリブガワン(ムアラ地区)
- 03/20 — シンガポール
CERTIFIED mr. kushiro's 4th time voyage
2010-03-06 お1人で 内側キャビン 0
オンラインで予約が可能な海外取り扱い業者であったが、14泊で$1,230(インサイド、1室当たり)であった。1室1泊で100ドルを切るのは魅力的であった。参考までに国内業者に当たったけれど、40万円と言う返事が返って来た。
2010年当時、コスタがどんな船である事も判っていなかたが、これは挑戦して見る価値ありと決断した次第です。他の人にも声を掛けたが、応じてくれる人は居ませんでした。
食事については、あまり期待する訳には行かないだろうと乗船前からあまり期待はしていなかった。写真にも示す様に、満足の行くものであった。
クルー(しかも女性)の方が隣席に座ってくれる時もあり、お互いに団らんが出来たのも、価値あるものであった。
先に述べる様に、この船は明らかにオンボロ船でしたが、クルーの方々は明るかった。イタリア人気質が前面に出ていた様に思える。
内側キャビン
サーブしてくれる人(ペルーから来た女性)が親切でした。少々粗末な部屋でも、二人が入る部屋を一人で使えるのは、伸び伸びと過ごす事が出来、悪くありません。
乗船したとたん、この船はオンボロ船と直感した。船籍を調べると、1969年にコンテナ船として建造され、1990年にコスタが買い取り、客船に改造したと言う。私が乗船した2年後の2012年2月に発電機が火災を起こし、航行不能に。その後、解体されたと言う。
食堂に降りる階段は常時、雨漏りがしていた。マニラに入港する手前で、室内で使う水が茶色に変わり始めた。以降は下船の機会がある都度に、水入りのペットボトル(しかも大)を買い、航海中の飲み水に充てる様にした。この様な体験は先に後にもありません。
船をだまし、だまし、動かす保守担当のクルーはご苦労された事でしょう。そこがイタリア船のいい所かも知れません。
ただし、しゃれた絵画を数多く展示されていた点は流石と思いました。
現在の国際船のターミナルはMarina Bay Cruise Centre ですが、2010年当時はHarbourfront Centre (現在はスタークルーズの専用岸壁)でした。Vivo City なる商業施設が隣接して居り、極めて至便な所に位置しています。最寄り駅は地下鉄(MRT)のHarbour Front であり、一度乗り換えで、チャンギ―空港と結ばれています。
今や、Marina Bay Sands やGardens by the Bay が花形の観光地かも知れませんが、少し郊外に出て、Singapore Botanic Gardens(同名のMRT駅あり)やHougang Mall(最寄り駅はNE線のHougang)などをのびやかに廻るのも良いと思います。
ホーチミンの中心部で降ろされて、どうするかと周囲を見回している内に簡単に掴まってしまった。
許可証を示し、片言の日本語も出来たので、相手を信用して、案内して貰う事にした。案内してくれたのは、中華街のチョロン地区。買ったのは絹製品とベトナムコーヒです。
無料シャトルでダナンの市街地へ。そこには多数の個人ガイドが居た。車もあれば、単車で案内しようとする者もいる。明らかに違法業者が大半を占めている事も分った。
ホーチミンで上手く行ったのが行けなかったと思う。財布に入れてあった200ドルは使い果たす事に。クレジットカードを持参しなかった事も結果的にはよかった。これでも足りないなら船まで来いと告げたら、結果的には途中で解放してくれた。
ダナンでの戦いは敗北に終わったが、無事に船に帰って来れてよかったと言う事です。後で土産などの整理していたら、2台のカメラの内、オンボロの方が消えている事に気がついた。
客船であれば、接岸するはずのオーシャンターミナルの沖を通り越し、更に奥の貨物港に入港した。午前中は香港島のごく当たり前の観光コースを巡る。午後は無料シャトルでオーシャンターミナルへ。2階の喫茶店に入り、WIFIを利用する。
2度、出かけた事で、香港島と大陸続き九龍との関係を理解する事が出来た。
印象に残ったのはコレヒドール要塞です。日本軍が占領するのが、大変だったが、米軍が取り返すのも大変だった。こんな戦いは二度とっやってはいけない事を示しています。
今は観光施設になっていて、佳かった。
当日の朝、特別に予定を立てないまま、ボヤッとしていると、船で知り合いになった台湾系の米国人の方から電話が入り、「今からバスで首都のバンダルスリブガワンに行くから、一緒に行かないか。」と誘われた。バス停は港からかなり離れていたが、福建語で話が出来、すぐに分かった。首都まで30キロあるが、バス料金は1ブルネイ$で、しかもシンガポール$が同等の評価で使える事を知った次第です。英国人のご婦人が親切な事に港があるムアラに帰って来るバスの時刻まで教えてくれたのも驚きの一つでした。
バスが目的地に着いた後、最初に向かったのは、フリーマーケットでした。そこでも福建語が有効でした。福建省から底知れぬ多くの人達が東南アジアに出て行った事を物語っています。
この後、バンダルスリブガワンの中心部を地元の方の案内で巡る訳ですが、詳しくは写真を参照して下さい。目玉はスルタン・オマール・アリ。サイフディン・モスク(通称オールドモスク)と水上集落のカンポンアイール(Kanpong Ayer)です。カンポンアイールについては、時間の都合上、対岸から見るに留まったのは残念でした。
(1)ベトナム、香港などの大陸沿岸部は行く機会がいくらでもありますが、印象に残ったのは次の2か所です。
マニラ:コレヒドール要塞に行った事
ブルネイ:港のムアラから首都のバンダルスリブガワンをバスで往復した事
運賃は往復で200ブルネイ$です。
(2)イタリア船コスタは安かった。しかし、サービスは決して悪くはなかった。時にはこの様な船を利用してもいいのではないか。ただし、何をポイントにしいているのかを知るのが大事と思います。
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最安料金 ¥49,318 ~/1日
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