寄港地での移動や観光についてお聞かせください。
ブエノスアイレス
寄港地観光
【前泊・乗船】デルタ航空を利用し羽田発ミネアポリス着、ミネアポリスにてホテル泊、アトランタ経由にて出港当日ブエノスアイレス着。空港から港までは前払いハイヤーであるレミース(Remis)を利用し直行。【寄港地観光】船会社
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【前泊・乗船】私達にとって「ブエノスアイレスの港で船に乗るまでの過程」が、今回のクルーズにおける最難関でした。①空港到着後入国審査には長蛇の列、40分以上かかりました。②バゲージクレームを出た所にレミースのカウンターがあり、有難いことに料金は港まで1,300アルゼンチン ペソ(ARS)(US$40)のクレジットカード払いでした。なおカウンターでは行き先は「Terminales Portuarias Argentinas, Terminal de Cruceros Benito Quinquela Martin」と書いた紙片を見せて確認しました。運転手さんがすぐに現れ、車までの途中、両替のATMまで案内してくれたのには感謝です。空港から港までは距離が長く、渋滞の中、50分ほど時間がかかり、前払いのハイヤーで良かったです。③ターミナルに着いてからグループ毎にチェックインを待たなければならず時間がかかりました。
[用意すべき現地貨幣(主人から)]ブエノスアイレスでは空港から港まで個人で移動するため、万一を考え最小の交換額、200ARSをATM キャッシングにより用意しました。ARSは米ドルに対する価値の低下が著しく2018年5月末の時点で1$=25ARSでしたが、2019年1月末時点では1$=40ARSとなり、8か月の間に米ドルは160%(=40÷25)まで価値が上がっています。米ドルについては、1$=110円と日本円に対して安定していますので、入手したARSはすぐに使わないと日本円から見て価値がどんどん減っていくことになります。なお両替した200ARSはプエルト マドリンの古生物博物館でアンモナイト化石のお土産に使いました。
【観光】Tango Show & City Drive:8:45am-14:45;$160【選定の理由】1)カラフルな街カミニートを訪ねたかったこと;2)アルゼンチン タンゴを楽しめることから選びました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】バスに乗車し、レコレータ墓地を訪れ、ポカ地区では下車し、カミニートのカラフルな街並みを散策しました。サン テルモにあるタンゴホールで昼食を取り、タンゴショーを楽しみました。
【感想】ターミナルで停泊地保税地区内のシャトルバスからコーチに乗り換えました。観光バスに乗ってすぐ、女性ガイドさんから「ひどい交通渋滞には我慢して下さい」というアナウンスが有りました。予定していたモンセラート地区の5月広場は交通事情によりパスする旨、前日配られたチケットにも印刷されており、渋滞は想定はしていたもののビックリです。渋滞がこれほどひどいとイクスカーションの予定が立たずタンゴショーの開始時刻をどのように調整するのかしら、と不安でしたが、実際には観客はイクスカーションの参加者だけに絞られていたので問題なしです。またレコレータ墓地やポカ地区等の人混みではくれぐれもスリに気を付けるようにと注意が繰り返されました。この事情も在アルゼンチン日本大使館の報告書で予習していた通りです。レコレータ墓地には6,400の納骨堂が立ち並び、納骨堂というよりも彫像を凝らした立派な小さな家々が立ち並ぶ様子は死者の街ポンペイを連想させました。この墓地ではエビータ(ペロン元大統領夫人)の納骨堂を訪れることがツアーの目玉です。貧しい生まれながら女優を経てファーストレディーまで上り詰め、国民に親しまれたエビータの逸話を伺い、アルゼンチンの女性にとってエビータは英雄であることを実感しました。墓地からの帰り、せっかく並んだトイレも私の一人前でなんと故障して使えなくなりプンプンです。カミニートのカラフルな家々の街並みは青い空に映えて美しかったです。北イタリアのチンケテッレで見たようなパステルカラーの家々が立ち並ぶ街並みを、赤・黄色・緑といった原色のペンキを使ってなんとか再現したのではないかと言わんばかりのヘタウマの色使いでした。タンゴホールでは幸運なことに舞台から少し離れた階段状に上がっている床の最前列のテーブルに着くことができ、舞台を見上げることもなく、視界が遮られることもなく良く見ることができました。ランチは辞書のような厚みのベビービーフを選びました。これだけ厚いお肉はミディアム以上に焼いた方が食べやすいように思います。ソフトドリンクはついており、なんと赤ワインあるいは白ワインを選べばボトル1本飲むことができるので上戸の方にはお得です。アルゼンチン タンゴと言えば男女が密着して踊るセクシーさが特徴です。このホールで見たタンゴは女性が足を男性に絡めるやいなや、目にもとまらぬ速さで後ろに足を跳ね上げます。これはタンゴという名前の格闘技ではないかと思わせるように、女性ダンサーのふくらはぎの筋肉は縦に割れていました(ビックリ)。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:5時間以上
費用:15,000~20,000円
モンテビデオ
寄港地観光
City Drive, Soccer Museum & Legislative Palace: 10:00am-14:00;$70【選定の理由】南米で一番豊かな街モンテビデオとはどの様な街でしょうか?大河ラプラタ川に面するランブラとは、どの様な風景でしょうか?第一回ワールド カップが開催されたセンテナリオ スタディアムとは?
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】バスに乗車し、独立広場、国会議事堂、公園地区、センテナリオ スタディアムのサッカー博物館を訪れました。ランブラの美しい眺めを見た後、波止場に戻りました。
【感想】ラプラタ川は向こう岸まで250kmも離れており、まるで海です。ただし川の水は日本の洪水を連想させる黄土色です。訪れた日は有難いことに、抜けるような青い空で目に入るすべての光景が奇麗でした。東京に比べると夏は30℃前半で湿度も高くなく、冬は下がっても7℃位と寒くないようです。渋滞と喧騒のブエノスアイレスと比較すると静かで落ち着いた感じの街でした。ダウンタウンの中心の独立広場では、ネオクラッシック様式のお洒落な高層ビルと全面ガラス張りの近代ビルが程よい間隔で立っており、スペインのどの街とも違う印象でした。遊歩道ランプラの近くにはお金持ちの家が集まる高級住宅街を形成していました。インフラや社会的なシステムが整っていれば、日本人の永住先として理想的な街だと思います。世界一美しいと言われる国会議事堂は南洋の貝殻細工を連想させるくすんだ白で存在感がありました。ウルグアイはサッカーファンから「サッカーの聖地」と呼ばれているそうです。訪れたスタディアムでは第一回ワールド カップが開催され、FIFA の歴史的建造物にも指定されているようです。開催地に選ばれたのは1924年と28年と連続してオリンピックの覇者になったからだ、と勝手に理解しました。遊歩道ランブラの一角を成す小高い丘プラザ デ アルマーナを訪れましたが、なかなか素敵な展望でラプラタ川の畔に佇む街が一望できました、ただし、青い空に黄土色の水という風景は、私達にはどうもしっくりときません。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:3~4時間
費用:5,000~10,000円
プエルト・マドリン
寄港地観光
Paleontology Museum & Punta Loma: 8:30am-13:00;$130【選定の理由】南米特有の古生物化石を見たかったこと、先住民族がどうような暮らしをしていたのか知りたかったことです。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】トレレウの街までバスに60分乗り、古生物博物館を訪れ、専門のガイドさんから説明を受けました。プンタ ロマに移動し、アザラシの群生地を訪れました。
【感想】トレレウに到着前、荒野の中に史上最大級の草食恐竜アルゼンチノサウルスの実物大復元模型が置いてあり、全長37メートルと余りの大きさにビックリ。古生物博物館は上野の国立科学博物館に比べても小さな博物館でした。博物館の入口にはボーリングのボールよりもやや小さな大きさの恐竜の卵の化石が半分にカットされ、磨かれた断面は中の黄身の部分が薄灰色のメノウに化石化しており、大変奇麗でした。また恐竜からどのように鳥類が誕生したのか、羽毛等で飾られた大胆すぎる復元模型が置いてありました。直径2mの世界最大のアンモナイト化石の復元模型、史上最大級の草食恐竜の向う脛の大きさは私の背丈を遥かに上回る2m以上あります。この博物館で目を引いた南米の恐竜はウシのような頭上の角と、短すぎる手が特徴的のカルノタウルスです。また首から背中にかけて発達した沢山の長い突起を持つアマルガサウルスも復元図を見ると極めて忘れがたい印象の恐竜でした。1万年前の先住民族がどのような暮らしをしていたのか実物大のジオラマが展示されていました。先住民族の顔つきが険しく印象が強かったため、重要なことを見逃していました。このジオラマには世界遺産「クエバ デ ラス マノス」の多くの手の跡の洞窟壁画を復元していたのです。入口にいた案内係の女性に聞いて初めてジオラマの中の洞窟壁画を確認することができました。本物は日本の怪奇番組心霊現象の原点ではないかと思わせる無数に残された手形で、9000年前のものとは思えない鮮やかさを保っているようです。この博物館では1時間の見学でしたが、ここにイクスカーションの80人が押し寄せたということには容量的に少し無理があるように感じました、博物館からプンタ ロマまではバスで1時間ほど。ビーチの窪地には100頭余りのアザラシが群生していました。アザラシの色は黄土色と焦げ茶でまるで動いているウンチの群れという感じでした(失礼!!)。窪地の上が柵になっており、真上から群生地を見るという感じでアザラシを良く観察することができました。トレレウの街は粗末な箱型の家々が多く暮らしぶりが貧しいことを実感しました。一方、プエルト マドリンはリゾート地で数多くのホテルやレストランの他、白い壁に色鮮やかなオレンジ色の屋根瓦の瀟洒な家々が集まっていました。多分ここは最果てのリゾート地だと思います。なお船が泊っている桟橋の下にアザラシの一家がたむろしていてビックリです。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:4~5時間
費用:10,000~15,000円
ポート・スタンリー(東フォークランド島)
寄港地観光
City Drive & Museum: 10:00am-12:00;$70【選定の理由】1982年にはここフォークランド諸島を巡って英国・アルゼンチンの間で戦争が起こりました。戦争の現場となった島々とは、いったいどのような風土なのか把握するために選びました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】テンダーボートに乗って、スタンリーの波止場まで移動。バスに乗車し市の東にある飛行場からトーテムポール、西の総督官邸まで車上観光をし、歴史博物館で下車しました。
【感想】上陸して風と雨が強く、観光を諦めていましたが、総督官邸に着くころから雨も止み日が差し、素晴らしい天気となりました。民家は白い壁に三角形の薄紅色・薄緑色の屋根が多く、青い空と背丈の低い草木の緑に映え、美しい景観を形作っていました。パナマ運河が開設されるまではマゼラン海峡を通るクジラ漁者にとって重要な街であったと思います。歴史博物館ではフォークランド戦争についての記録映画と展示を見ました。この静かで美しい村を突如としてアルゼンチン軍が占領したのには村民も驚き、憤りもきっと大きかったことと思います。フォークランド戦争はアルゼンチン ガルチェリ大統領が国民の不満をそらすために侵略し、それを人気が落ちていたサッチャー政権が絶好の好機として反撃し侵略軍をボコボコにし支持率が急上昇したというのが主人の独断です。なお島の住民はイギリス系白人の入植者がほとんどを占めるようです。先住民は白人が持ち込んだインフルエンザで滅んでしまった、という説明がガイドさんからあり、複雑な思いを抱きました。波止場の近くにある大聖堂には飾りはありませんが、がっちりとした印象でイングランド教会という感じがします。インターネットによれば住民の55%はイングランド教会でその他のプロテスタントが28%を占めているということです。歴史博物館の近くには何とカソリックのセント メリー教会が美しく建っていました。この事実は19世紀後半に入植し牛と羊を持ち込んだスコットランド人の信仰とその後の複雑な歴史を暗示しているように思います。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:1~2時間
費用:5,000~10,000円
ホーン岬
この岬は寄港地とはなっていないものの、大西洋と太平洋の境界となっている観光スポットです。地球がまだ平らだと信じられていた頃、大西洋側の滝の端であるホーン岬から滝壷側の太平洋へと帆船はジャンプして落ちていくというジョークがあったようです。ここは冷たい風が年中強く吹いている荒れた天候の地として有名ですが、運の良いことにこの岬を通過する時には日が差し晴れ間から青空が見えました。
寄港地観光:その他
ウシュアイア
寄港地観光
Drive to the "End of the World":11:30am-15:30;$110【選定の理由】「世界の果て」とはどういう所でしょうか?
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】「世界の果て」におけるパンアメリカンハイウェイの起票を訪れ、ロカ湖とビーグル水道に面するエンセナダ湾で散策を楽しました。【感想】この日ウシュアイアの天気は晴れ、冠雪の切り立った山々を背景にしたウシュアイアは空気が澄み渡り、青みがかった太陽光によってくっきりとした色彩が眼に映えました。氷河によって作り出された独特の山岳風景はスイスの街を連想させました。ウシュアイア湾沿いの平坦なストリートに対して山々から直角に急な坂道がいくつも下っておりホテルやお店が軒先を並べていました。ウシュアイアは20世紀前半までは流刑地の街として造成され、流刑者は周りの山から木を切り家々を建てたとのことです。街の郊外に広がる森はバンクーバーの森を連想させました。なおこの森も2、30年前にカナダから持ち込まれたビーバーによって深刻な被害を受けているとのことです。「世界の果て」を起票にしてパンアメリカン ハイウェイはアラスカまで18,000km延びているとのこと。「世界の果て」の湿地帯には遊歩道が設けられ、冠雪の山々と高原の湖畔の散策を楽しみました。ロカ湖もフィヨルドにできたきれいな薄緑色の湖ですが風が強いため、湖畔に打ち寄せる波が高かったことには驚きました。自然観察センターにてトイレ・買い物で休憩しました。その後、ビーグル水道に面するエンセナダ湾のビーチを訪れ、散策を楽しみました。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:3~4時間
費用:10,000~15,000円
プンタ・アレーナス
寄港地観光
City Drive & Museum:9:30am-12:30;$80【選定の理由】パタゴニアの人々はどのような風土で暮らしているのか興味があり、選びました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】 リメンバランス(思い出の)屋外博物館、市内墓地を訪問、クルツの丘にてマゼラン海峡を臨むプンタ アレナスの景観を楽しみました。サレシアノ博物館の後、マゼラン像を訪れました。
【感想】屋外博物館には街の建設のために19世紀の終わりに輸入された数々の蒸気機関が展示されていました。まだ日本は明治維新を終えて間もない頃で、ヨーロッパからはるばるマゼラン海峡を越えて当時の最新鋭のマシンが運び込まれたことは驚きです。市内墓地にはブエノスアイレスのレコレータ墓地で見た立派な納骨堂が有りました。墓地の奥に子供達の納骨堂を積み上げて作った言わば納骨マンションがあり、異様な感じがしました。納骨堂それぞれには亡くなった子供たちのために玩具や人形を入れ、あの世では幸せに暮らすようにと願いが込められているかのようでした。プンタ アレナスで一番高いクルツの丘からは、青みがかった太陽光の下、マゼラン海峡を臨むプンタ アレナスの家々がくっきりと見えました。サレシアノ博物館はイタリアの修道会(サレジオ会)が運営しており、先住民族のジオラマアも宣教師達が如何にして教育し野蛮な生活から抜け出させることに心血を注いだのか、力点を置き展示しています。パタゴニアの先住民族の物々交換や祭り・儀式といったものに私達は興味がありましたが、そうしたものは宣教師たちによって否定・抹殺されてしまったのではないかという気がしました。ウルトラマンに出てくるような異様な姿の先住民族の儀式での扮装は皮肉にも博物館ショップで土産物として売られていました。マゼラン像はプラザ広場にありマゼランの下には先住民がまるで抑圧されているかのようでした。実際には白人が持ち込んだ感染症によって、先住民族はほとんど全滅してしまったとは、本当にひどい話です。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:2~3時間
費用:5,000~10,000円
プエルト・モント
寄港地観光
Lake Esmeralda, Petrohue River & Puerto Varas:出発8:00am-15:30;$150;【選定の理由】日本の富士山に似ているオソルノ山と富士五湖のような風景に憧れ選びました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】プエルト モン市内からビセンテ ペレス ロサレス国立公園へと入り、エスメラルダ湖にて双胴船に乗って45分間遊覧しました。その後、ペトロウエの滝を見学、プエルト バラスのレストランにて昼食を取り、雑貨・土産店を訪れました。
【感想】エスメラルダ湖までの道のりは霧の中で、遊覧船も曇り空の下、オソルノ山は全く見えませんでした。ペトロウエの滝で何と雲が消えて晴れとなり、南米のフジヤマと呼ばれるオソルノ山が姿を現し、イクスカーション参加者はその美しい姿に大騒ぎでした。滝までの遊歩道では期待していた野生動物には残念ながら出会いませんでした。オソルノ山は山頂が平らではなく丸くなっていること、斜面がやや急でごつごつしている所を除けば富士山にそっくりです。エスメラルダ湖でオソルノ山を見ることができず、本当に残念でした。プエルト バラスは、プエルトモンの北、ジャンキウエ湖に面した街で、湖越しにオソルノ山の美しい姿が望めました。プエルト バラスは道路沿いのバラの花が満開で奇麗な街でした。この街はオーストリアに近いバイエルン地方からのドイツ移民によって19世紀後半に創建されたとのことです。プエルト バラスの周辺の自然環境は、湖があって、緑が豊かで、山が近くにあり、風光明媚という点でバイエルン地方に似ていること、またバイエルン地方の住民は過半数がカソリックで、同じ宗教のチリに移民しやすかったのではないかと想像しました。プエルト バラスの周辺の川には鮭が遡上してくるということから、名物のサーモン料理を頂きました。ポテトから作られた付き合わせが肉厚のサーモンステーキにマッチし、ボソボソ感もなく美味しく頂けました。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:5時間以上
費用:15,000~20,000円
サン・アントニオ
寄港地観光
Santiago & Viña del Mar:7:00am-17:30;$150;【選定の理由】チリの首都であるサンチャゴ、カラフルな色彩と急斜面の街バルパライソを訪れたくて選びました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】バルパライソの市街を車上観光、スイスから送られた花時計を見学しました。霧の中、高速道路を1時間20分走り、サンチャゴの街に到着、街中にて下車、グループで散策し、大聖堂を訪問しました。その後、バスに乗って昼食会場へ移動、サンタルシアの丘にて街の展望を楽しみ、帰路に就きました。
【感想】サンチャゴは交通渋滞がひどいため、定刻までに帰ることが優先されました。その結果、以下の観光が募集パンフレットでは予定されていたものの、訪問・見学は省略されて不満の残る結果となりました:競馬場クルプ イピコ、オイギンス公園、サン クリストバルの丘。1973年9月のクーデターの舞台となったモネダ宮殿も前を通り過ぎたのみです。街歩きを行った旧市街には植民地時代に建てられた重厚な建物や石畳の道が残り、落ち着いた雰囲気を漂わせていましたが、「スリに注意して歩くように」と何度も念を押されて、雰囲気を味わう気分ではありませんでした。バルパライソでは、カラフルな町並みとケーブルカーを楽しみにしていましたが、これも見ることができず残念。リゾート地ビーニャ デル マルは花時計を見るために下車したのみでした。昼食は民族舞踊ショーを見ながらのサーモンのコース料理で、前日のプエルト モンと同じメニューであったため、特に美味しいとは思いませんでした。なお三浦雄一郎さんが本年2月に登頂とスキー滑降を目指していた南米大陸最高峰アコンカグア(6959メートル)は、サンチャゴの近くアルゼンチンとの国境付近にあります。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:5時間以上
費用:15,000~20,000円
ラ・セレナ(コキンボ州)
寄港地観光
La Serena On Your Own:9:15am-13:15;$70;【選定の理由】ラ セレナは1年を通じて温暖な気候でレストランも多いリゾート タウンとなっています。どのような魅力があるのか確かめるため、このツアーを選びました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】ラ セレナまでバスで往復1時間、アルマス広場に近い場所で下車、2時間30分間の自由散策を楽しみました。
【感想】ラ セレナの街は小さな街でサンチャゴに比べて安全なので自由散策のできるこのツアーを選んで正解でした。アルマス広場から、前にある大聖堂を見学、19世紀のコロニアル風の街並みを散策、考古学博物館を見学しました。ここのトイレは無料で奇麗であり有難かったです。博物館の裏の大学のある小高い丘から街を見下ろすとスペインとは異なる黄色やベージュ色の壁の街並みが楽しめました。サナグスティン教会を訪れた後、レコバ市場へ、ここにはレストランと民芸品広場が並んでおり、クルーズ客でごった返していました。2階は理髪店・美容院・レストランで占められていました。昔は約20店もの理髪店が並んでいたようですが、クルーズ客が押し寄せるようになり、儲けの確実なレストランに変わってきたように思いました。バスに戻る途中、ガイドさんからトイレが利用できると聞いたデパートのRipleyを訪れました。ここでは従業員の人達のホスピタリティにビックリ、掃除のおばちゃんに「トイレはどこ?」と聞くと「こっちこっち」とトイレの前まで案内してくれました。トイレは一人200ペソ(3分の1US$)だったので二人分ということで1US$を渡そうとすると「ペソでないとダメ」とすまなそうなトイレ番のおばちゃんの返事。そのやり取りを見ていたRipley銀行のお兄さんに、「ちょっとこっちへ来て」と言われて両替のつもりでついていくと、なんと600ペソを私達にくれ、1US$は受け取ってくれませんでした。こんな奇跡のような嬉しいことが旅には起こるんですねえ(感激)。その後、アルマス広場で写真を撮っていると、小学生の2、3人が私達に何かインタビューをしたそうに近づいてきました。そこで「私の奥さんと一緒に写真を撮っていいかい?」と主人が尋ねると1クラス、30人位の小学生が一緒に写真に入りたいと私を取り囲み大騒ぎになりました。波止場までの車窓の風景は右側の席がお勧めです。波止場近くの渚には無数の野鳥がおり、その向こうには沢山の漁船が停泊していて、波止場には魚市場がありました。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:3~4時間
費用:5,000~10,000円
ピスコ
寄港地観光
Tambo Colorado:8:30am-13:00;$100;【選定の理由】インカ文明とは何か概要を理解するため選びました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】タンボ コロラードまでバスに乗車し片道1時間20分、タンボ コロラードに到着後、強い日差しの中、ガイドさんから遺跡を案内してもらいました。
【感想】港からタンボ コロラードまでは砂漠の風景が続き、まるで中近東の国のようです。税として徴収した豊かな物資を納める倉庫・行政センター・宗教施設がタンボ(宿駅)としてインカ道の要所に置かれたようです。この遺跡は15世紀の終わりに建てられたようで中心広場のまわりには、屋根のない日干し煉瓦の建物が150メートルに亘って延びています。日干し煉瓦の壁面にはところどころインカ時代の赤と黄色の彩りが残っていました。ガイドさんから倉庫・見張りの塔など各部屋について説明がありましたが、その部屋の片隅に埋められていた遺体の様子を分析し、そこでは何が行われていたのかなど論理的な語り口は興味深かったです。遺跡の部屋の遺構から中央広場に戻った時、涼しく心地よい風が吹いていました。ガイドさんの説明では、この涼しい立地条件からここをタンボにしたのではないかということです。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:4~5時間
費用:10,000~15,000円
カヤオ(リマ)
寄港地観光
Cathedral, Casa Garcia Alvarado & Monastery:9:00am-13:00;$80;【選定の理由】魅力ある街ペルーの首都リマの概要を把握するため選びました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】カヤオ港にてバスに乗車、アルマス広場で下車、リマ大聖堂を訪問しました。その後、大統領官邸・シティホール・リマ大司教宮殿を見ながら歩いた後、サント ドミンゴ教会を訪れました。次に住宅街にあるガルシア アルヴァラード邸を訪問し手作り菓子とピスコサワーを頂きました。 波止場への帰路、アモール広場に立ち寄りました。
【感想】交通渋滞を想定していたものの、サンチャゴほどの渋滞に遭わなかったことは幸いでした。アルマス広場を取り囲む白い大聖堂・大統領官邸などの建物に交じって、辛子色のリマ大司教宮殿・シティホールなどの建物が調和してスペインの街とは違う景観を形成していました。大聖堂でまず案内されたのはスペインからの征服者ピサロが納められた棺でした。インカ帝国を滅ぼした極悪非道のピサロの所業を考えた時、遺体が丁重に祀られていることは不思議です。スペインは先住民族の征服と共にカソリックへの改宗と教育を徹底して行い、その結果先住民族は原始的な生活から抜け出すことができた、とペルーの人達は考えているのかもしれません。次に訪れたサント ドミンゴ教会では壁面に飾られた絵タイルが目を引きましたが一部ははるばるスペインのセビリアから持ち込まれたそうです。昨年の秋に訪れたセリビアのスペイン広場に飾られた絵タイルを思い出し懐かしかったです。また薄桃色の塔は奇麗でした。大聖堂・教会の見学は、私達の行っている個人旅行に比べて慌ただしいものでした。ガルシア アルヴァラード邸では1900年代の上流階級の暮らしぶりを味わうつもりでしたが、スナックとピスコサワーを頂く時間も含めて20分ほどという弾丸ツアーで家具・調度品を見る時間がなく残念でした。アモール広場は見晴らしの良い断崖の上に設けられた公園で、愛を交わす恋人たちのオブジェが存在感を示していました。ここから見る海岸の景色は素晴らしかったです。なお停泊地カヤオの波止場・コンテナヤードにはテントのお土産屋が何軒も軒を連ね、安くて満足のいく買い物ができました。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:3~4時間
費用:5,000~10,000円
プンタレナス(プエルト・カルデラ)
寄港地観光
San Jose, National Theater, & Lunch:8:15am-15:45;$100;【選定の理由】美しい街サンホセの概要を把握するため、このツアーを選びました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】サンホセの街中で下車、国立劇場と黄金博物館を訪問、ロルモセル地区・メトロポリタノ ラ サバナ公園・中央市場・国立競技場等を車上見学、サンホセの西はずれにある旅行会社のレストランで昼食を取った後、観光施設エル ハルディンの土産物屋に立ち寄りました。【感想】紺碧の海は美しくプンタレナスの街はカリブ海のリゾートを連想させました。サンホセに行く途中、野生の猿を見ることができました。コスタリカは二酸化炭素削減に成功した国で環境に配慮したエコツーリズムなど観光立国としてもうまくいっているとのこと。コーヒーで成功した農場主達が子息を欧州に留学させ、経済を多角化させたことが反映しているようです。国立劇場の内部は白壁に金の装飾が美しいロココ調で北ドイツ・ワイマールの世界遺産である図書館を思い出しました。黄金博物館ではインカ時代の金製品のコレクションを見学しましたが、想像していたよりも小ぶりの製品が多かったです。ロサンゼルスの友人カップルはジャングル探検のウォーキングツアーに参加し、平地よりも涼しい中、数多くのハチドリや猿を間近で見ることができたと満足して帰ってきました。コスタリカはできればもう一度訪れ、じっくりとエコツーリズムを体験したいと思います。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:5時間以上
費用:10,000~15,000円
サン・フアン・デル・スル
寄港地観光
Granada, Parque Central & Shopping:8:45am-14:30;$70;【選定の理由】グラナダとニカラグア湖の美しい景色を堪能するため選びました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】グラナダの中央公園にて下車、サンフランシスコ修道院博物館を見学し、その後、自由時間、帰路ニカラグア湖湖畔に立ち寄り景色を楽しみました。【感想】ニカラグアは美味しいコーヒー豆が取れることが有名でアメリカの資本がかなり入っていたようです。こうした資本と結びつき国のかなりの資産を収奪し1979年に米国に亡命したソモサ大統領など、本当にひどい話だと思いました。その後も内戦などが続き今も中南米の中でも貧しい国のようです。コーヒーなど一次資源依存から何とか脱却し観光を成功させたいため、嫌な思いをした米国からの観光客にも腰を低くせざるを得ない、というガイドさんの心の苦しみが分かったような気がします。グラナダの中央公園はコロニアル スタイルの家々に囲まれ、周りの民家も緑・黄色・青と美しく彩色されていました。公園の広場では子供達も交え民族舞踊が演じられていましたが、物売りと子供の物乞いが何度も寄ってくることには閉口しました。博物館の展示品にはニカラグア湖にあるサパテラ島・オメテベ島から持ってきたマヤの石像・遺物が展示説明もなく展示されていました。色んな物をかき集めて何とか観光資源にしようとしている感じがしました(失礼!!)。ニカラグア湖はリバスの町に近い湖畔から眺めましたが、さざ波が打ち寄せ、二つの大きな島を背景に現地の人々が水遊びを楽しんであり、初めて見たスペイン人が海と間違えた気持ちが分かるような気がしました。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:5時間以上
費用:5,000~10,000円
プエルト・バジャルタ
寄港地観光
Top 10 Best of Puerto Vallarta:13:15am-18:15;$30;【選定の理由】魅力のある街プエルト バジャルタの概要を把握するため選びました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】マレコン遊歩道近くにて下車、聖母教会を見学、銀細工店で買い物時間を取りました。町外れの断崖に立つレストラン(El Set)に立ち寄った後、クアレ川の中洲にある民芸品市場を訪問し、テキーラ製造場で試飲を楽しみました。【感想】プエルト バジャルタは交通量も多く、ホテル・リゾートマンションの立ち並ぶ立派なリゾートタウンであることに驚きました。ロサンゼルスから飛行機で3時間と近いため、リゾートマンションの持ち主は約3分の1が米国人・カナダ人とのこと。観光資源も多いため、数多くのイクスカーションが用意されていました。私達のイクスカーションは5時間で5か所を訪問し、テキーラを試飲でき$30というツアーで、日本の日帰りバスツアーを連想しました。ただし、テキーラ試飲後(有料の)食事を取らない場合、することもなく50分も待つことになり時間の無駄だと思います。マレコン遊歩道には巨大な竜の落とし子に跨った少年のオブジェが存在感を示していました。El Setでの眺めはヤシの木と白壁・レンガ色の屋根のホテルに紺碧の海と、このクルーズの中でも屈指の美しさでした。民芸品市場は狭い道の両側に土産物屋が軒を連ね撮影対象としては面白かったのですが、Tシャツ等の衣料品が多かったように思います。
寄港地観光:船会社のショア・エクスカーション
所要時間:4~5時間
費用:2,000~5,000円
ロサンゼルス(サンペドロ / ロングビーチ)
1) 米国入国ビザESTAについては、航海10日目にESTAを取得していることを示す物的証拠を求められ、ゲスト カウンターに提出しました。
2) 後泊のホテルはロサンゼルス(LA)空港の近くに取りました。予約していたデルタ航空のLA-東京直行便が無くなったため、シアトル経由成田行きとなりました。
3) 下船からホテルまでのタクシー乗車がなかなかスムーズに行きませんでした。
①配られる筈の荷物タグが届かなかったためゲストカウンターに求めました;
②下船地のサン ペドロ港の受け入れ施設(ピア46)がテント張の仮設営であったためタクシーの数が極めて少ないことが予想され、恒久ターミナルのあるピア93に赴きタクシーを拾うことにしました;
③ピア46でのスーツケース受け取りにおいてケースの破損を見つけクレーム書類を作成してもらいました;
④ピア46からピア93までのシャトルバスは最後の4人で最終バスにかろうじて乗ることができました;
⑤ピア93ではバス下車後すぐにタクシーを拾うことができチップも入れてUS$65で済みました(船会社の説明ではほぼUS$100)。
以上②から④を考えるとゴタゴタしたものの私達は運が良かったかも知れません。
寄港地観光:観光していない
行ってらっしゃい♡
ミネアポリスの-17℃は驚きました。
この冬、札幌の最低気温は-13℃でした。
平成最後のクルーズ?
お疲れ様。
画像は全て拝見しましたが、投稿の方はゆっくり読ませていただきます。
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