非日常のクルーズ旅行をもっと身近に。
クルーズマンズではじめよう
クルーズ航程
- 2019/09/24 — チビタベッキア(ローマ県)
- 09/26 — ドゥブロヴニク
- 09/27 — コトル
- 09/28 — スプリト
- 09/29 — コペル
- 09/30 — コルチュラ島
- 10/01 — ケルキラ島(コルフ島)
- 10/02 — カターニア(シチリア島)
- 10/03 — バレッタ
- 10/05 — ナポリ
- 10/06 — チビタベッキア(ローマ県)
CERTIFIED ms. sandy's 10th time voyage
2019-09-24 カップル・ご夫婦で 海側バルコニー 4
【クルーズへの想い】私達のターゲットとする地中海クルーズとしては①西地中海、②アドリア海、③エーゲ海の3つのクルーズを目標としています。この内「アドリア海クルーズ」(13日間)と、ローマを起点としミラノを終点とする「暮らすように旅する北西イタリア」(18日間)を組み合わせて全行程32日間の旅行を2019年の秋に行うものとし、クルーズの検討に入りました(2018年夏)。
注)「西地中海クルーズ」は2018年10月に10日間のバルセロナ発着(ロイヤル・カリビアン)として実施済。
【選んだ理由と経緯】1) クロアチアへの旅に興味がありましたが、陸路の場合、移動時間が膨大にかかることを聞いており、アドリア海クルーズをすることにしました。
2) アドリア海のクルーズとして「少なくともドブロヴニク、スプリット、コトルに寄港するクルーズ」を選ぶものとしました。これらの寄港地はその歴史において、ヴェネツィア共和国による支配を受けており、街の景観にそれが色濃く残っています。
3) 隣国スイスとオーストリアへの陸旅(ランド・ジャーニー)でイタリア世界を経験し、「暮らすように旅する」対象国をイタリアとする時期が来たものと判断致しました。
4) 以上述べた2)からベニス発着のアドリア海クルーズが望ましいものの、いろいろな船会社の寄港ルートを検討したところ、ベニス発着を条件に入れるとクルーズ選定が難しくなる為、ベニスは別途ランド・ジャーニーを行い訪問するものとしました。
(ご参考)北西イタリアはチビタベッキアにて下船後、フィレンツェ、ボローニャ、ミラノと宿泊滞在しました。
【日々の充実を目指して】「暮らすように旅するヨーロッパ」はスカンジナビア4国(2017年6月)、スイス(2017年9月)、北ドイツ(2018年6月)、スペイン(2018年10月)、オーストリア(2019年6月)を終えています。
【食事】レストランでの食事内容について書きます(会場については「ダイニング」の項をご覧ください)。
全体的に盛り付けが綺麗で、肉料理・魚料理共美味しく頂けました。
1) 朝食はビュッフェとオーダーを利用しました。ビュッフェは一通りの料理が揃っており、パン・野菜・果物等の種類も十分でした。オーダーでは様々な様式の朝食が用意されていました。和食(パンエイシャン・ブレックファスト)のお弁当とみそ汁も終日航海日に一度だけ楽しみました。
2) 昼食はビュッフェを利用しました。朝食の内容に加えて、3貫ずつお皿に盛られた巻き寿司、オーダー・メイドのサラダなどを美味しく頂くことができました。
3) 夕食は「素晴しい」の一言に尽きます。航海2日目のフォーマル・ナイトに相当するGala Attire(ガラディナー)、3日目の数人のシェフが監修するCulinary Council(カリナリー・カウンセル)におけるディナーでは、サラダ等前菜、メインそしてデザートの一品一品が丁寧に美味しく作られていました。その他の日のディナーでは①定番メニューのオニオン・スープ、シーザー・サラダ、サーモン、ステーキに加えて②日替わりメニューが提示されました。また米国メイン産の大きなボイルド・ロブスターは25ドルで、航海4日目にトライ、美味しく頂きました。
4) クルーズも半ばに差し掛かるとあっさりとした和食の味が恋しくなります。ところが今回のクルーズでは昼食に(毎日)お寿司を食べる事ができたので、船内のお寿司屋さんも行きませんでした。
【ダイニング】
1) 朝食と昼食のビュッフェはリド・マーケット(デッキ9)を利用しました。オムレツ等卵料理、トーストの必要なパン、西瓜等の一部の果物はサーバーに盛り付けてもらう形式となっていました。ただし多くの食材は自分で取ることができました。従ってクルーズマンズの口コミで指摘されていた長い待ち行列は私達はそれほど経験せずに済みました。
2) 夕食は5:15pm開始のファースト・シーティングを選びました。今回のクルーズでは長時間のイクスカーションがない為、早めに食事を終え7:30pmから始まるエンターテイメントを楽しもうと考えた為です。
3) 食器を片付ける音も静かで会話を楽しむことが出来ました。乗客の平均年齢は多分70歳くらいと高く、ほとんどの方が退職されていました。また、お子様はおらず、落ち着いた食事の雰囲気でした。
4) 乗客の方はディナーでは毎日それなりのお洒落をしていたように思います。Tシャツの方もごく少人数いらっしゃいましたが、ほとんどの女性も男性もお洒落を楽しんでいらっしゃいました。ガラディナーでの私達のテーブル周りでは女性の方はロングドレス、男性の方はダークスーツに蝶ネクタイという方が多く、私達が経験しているクルーズの中ではドレスアップの程度が一番高かったように思います。なお、乗船客のほとんどを米国とカナダの方で占めており、日本人は私達2人だけでした。
【スタッフ】乗船客数2,650人に対する乗組員数は1,036人で2.6の比率になっています。
注)ほぼ同じ航路で同じクラスのセレブリティ・コンステレーションでは乗船客数2,170人に対して乗組員数は999人の2.2の比率であり、コンステレーションの方が乗組員の数で余裕があるものの、本船では長い待ち時間等の不便は経験しませんでした。
【食事】ディナー・テーブルにはウェイターのイカさんとウェイター補助のアディさんが付き、二人はインドネシアの方で対応も丁寧でスピーディーでサービスも満足のいくものでした。
【ルーム】担当はインドネシア出身のジャールさんとダアンさんの二人で、有難いことに「掃除をして下さい」の掛札に合わせて部屋を綺麗にしていただき、掃除の為に部屋を空ける等、気遣うことはほとんどなく快適でした。
海側バルコニー
1) 2018年7月末の予約の際には、部屋がメインダイニングと昼食会場に近い後方のキャビンを希望しました。また航路を検討したところ右舷・左舷の判断が付きかねましたが左舷を指定し、ベランダ付き客室の候補から「8160」のキャビンを指定し予約しました。
2) 地中海・アドリア海という波静かな航路の為、船の揺れをほとんど感じることはありませんでした。船のエンジン音もほとんど気にならず幸せな時間を過ごすことができました。
その他、気がついたこととしては、
1) キャビンの状況:2016年4月に就航したということで部屋は綺麗で快適でした。
2) 空調は通常の設定では涼しすぎる為、最高温度にスイッチを設定することによって空調を停止させていました。
3) シャワーの湯量調節用の回転レバーが固く、使い勝手がちょっと悪かったです。
4) 洗濯:靴下等小型洗濯物を干す為、毎回折り畳みハンガーを持参しますので、シャツ等は備え付けのハンガーを利用し、十分対応出来ました。気温は15℃以下になることはなかった為、冬物がなく洗濯は楽でした。
5) 収納:収納スペースが十分にあり、服を吊るすバーには物凄い数のハンガーがあり、困りませんでした。なおベッドの下にはスーツケースが収納できるように高さ25cmのスペースが取られていました。注:その分ベッドが高くなっており、落ちても怪我をしないように対策した方が良いです。
6) 航海2日目の朝、トイレのフラッシング・ボタンが効かなくなった為、担当部署に電話したところ、全ての部屋が同じ状態との事で慌てましたがすぐに復旧しました。今年3月の南米クルーズでは友人カップルが同様にフラッシング・ボタンを数回押した事で洪水事故を起こしていた事が教訓となり、直ぐに電話した訳です。
【設備:レストラン】メインダイニング(デッキ 3)のの内装は、シックなえんじ色の絨毯に白と赤のガラス球を団子状に吊るしたものを円柱状に集めた照明器具がゴージャスな雰囲気を醸し出していました。ビュッフェ(デッキ9)への出入口に置かれた自動手洗器は目新しかったです。
【設備:シアター】デッキ2とデッキ3を吹き抜けにしてワールドステージが設けられていました。プリンセス・クルーズのスタープリンセスに比較すると小さな劇場でしたが、上演内容は後方列の座席からもよく見ることができました。
【設備:ジム】デッキ9の船首にジムがあり主人は良く利用しました。かなりの数のウォーキングマシンがあるものの客層が高年齢である為、混みあうこともなく利用できました。
【設備:プール】デッキ9には小さなプールがあったものの日中気温は上がって25℃程度とプールに入るには少し寒く利用しませんでした。
【エンターテイメント】1) 劇場のWorld Stageでは「ポスト・モダン・ジュークボックス」と称する男性1人女性2人のトリオによる歌謡コンサートが行われました。有名な楽曲が少なかった為、途中退席する人も多かったです。
2) 3日目に行われた「ドブロクニクの伝統歌謡ショー」は男女3組の舞踊に始まり、男性7人によるアカペラでこの地方の歌謡が唄われ、その美しさには驚きました。
3)5日目に行われた「ルーベン・ヴィラグランドによるマジック・ショー」はユーモアを交え、手品だけでなく、指使いの実に器用な影絵もあり、面白かったです。
4) 6日目の「ヒューマニティ」と題して演じられた「ステップワン・ダンス・カンパニー」、男女6人のダンスは照明(映像)と音楽を効果的に使っており、私達にとっては斬新な試みで楽しめました。ただしダンスだけを見ればクラシックであり、照明・音楽デザイナーの方もダンサーの方達と同様に賞賛されるべきだと思いました。
5) 10日目の「キーラン・ポウエルによる腹話術」は観客参加型で人造の口を使って思わぬ発言をし壇上の観客はそれに合わせて手足を動かす、また腹話術の人形と複数の女性観客がお見合いショーを行う等、楽しめました。ただし腹話術の声が腹話術師との声とそれほど変わっていなかったことと、プリンセス・クルーズではもっと技量の高い演芸を見ていたこともあり、今一つかな?
【アクティビティ】寄港地観光の紹介が寄港に先立って行われました。各寄港地の見どころ、港湾施設、交通機関の説明があり、これはイクスカーション参加者向けというよりも個人で寄港地観光をする人達の為の案内という内容でした。
寄港地観光
【前泊から乗船までの概要】フィウミチーノ空港内のホテルに2泊し、空港シャトル・バスを利用してバチカンを訪れるツアーに参加しました。
【前泊の説明】治安を考慮しローマ市内の宿泊を避ける為、空港内ホテル「エア ルームズ ローマ エアポート バイ ハロースカイ」に2泊しました。ホテルはbooking.comを利用してオンライン予約をしました。
【バチカンへの移動】SIT社のシャトル・バスを利用し、空港T3からバチカン・ドロップオフまで移動しました。ドロップオフから路線バス492を利用して待ち合わせ地点へ向かいました。SITは往復で11ユーロと安いものの、高速道路で渋滞に巻き込まれやすいこと、ドロップオフからバチカン美術館までは1km余り離れていることが難点です。またバチカンからの帰りのシャトル・バスは満員だった為、予定の30分後の次のバスに乗らざるを得ませんでした。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
優先入場:バチカン美術館、サンピエトロ大聖堂、システィーナ礼拝堂 、現地発英語の小グループアップグレードオプショナルツアー(Faster Than Skip-the-Line: Vatican, Sistine Chapel and St. Peter's Basilica Tour:午前10時ツアー:8,800円)
【バチカン観光の意義】バチカンはローマ教皇が住むローマ カトリック教会の総本山です。またバチカンは貴重な美術品と建築物の宝庫と言われています。
【選定理由】体力の点から半日程度のツアーとし、バチカンの概要が把握できるこのツアーを選びました。
【イクスカーション概要】ギャラリー、ジュリアス2世のアパート、ラファエロの間、システィーナ礼拝堂、サンピエトロ大聖堂をガイドツアーで巡りました。
【ガイドツアー状況】3時間のツアーの途中でトイレに行くことはできない為、見学前にエントランスホールのトイレで済ませておくことをお勧めします。ガイドさんは若い女性で説明は丁寧でした。ツアー参加者は20名程度と多くなかったです。ツアー開始早々、中庭においてシスティーナ礼拝堂における最後の審判等、ミケランジェロの作品について説明がありました。この中庭における説明は礼拝堂での見学の際に大変効果がありました。ギャラリーでは無数のギリシャ時代からの彫像が所狭しと飾られていました。ミケランジェロはこれらの彫像に着想を得てシスティーナ礼拝堂の壁画・天井画を完成させたことが良く分かりました。タペストリーの間と続く地図の間でも、その数量のすごさに圧倒されました。礼拝堂はほぼぎゅうぎゅう詰めの立ち見状態で、立ち止まることも許されないような状態でした。サンピエトロ大聖堂のアーチをくぐり、アトリウム(前室)へ、「聖年の扉」等5つの扉は実に立派でした。前室の天井や壁は黄金に輝く繊細な装飾がぎっしりと施されていました。大聖堂内で目を引いたのは巨大なブロンズ製の大天蓋(パルダッキーノ)でした。またミケランジェロ作の「ピエタ像」も印象深かったです。
【イクスカーションの後で】バチカンへの入口はチェックしていたものの、出口は調べていなかった為、当初予定していたレストランに行くことができませんでした。代わりにお客さんで賑わっているカフェに入りましたが、ウェイターの詐欺まがいのお勧め料理に応じて45ユーロも予定外に支払うことになりました(2人で100ユーロの支払い)。プライスの書かれたメニューを要求して選ぶべきでした。店を出てから道に迷い、辺りにいる人たちは英語が全く通じず困りました。運よく日本人観光客に出会い、地図を見せて頂きました。反省として「北の方向はどちらですか」「この通りの名前は何ですか」くらいはイタリア語で聞けるようにしておくべきでした。
【乗船】空港から波止場までは船会社による移送をお願いしていました。空港でのピックアップ、バスへの乗車、波止場でのチェックインとスムーズで12時前には船内で昼食を取ることができました。
Historic Dubrovnik(9:30am-13:15 x $69.95 x Strenuous)
【ドブロヴニク観光の意義】「アドリア海の真珠」と称される「ドブロヴニク旧市街」はアドリア海クルーズの中で外すことのできない一番の目玉です。ラグーサ共和国は14世紀に都市国家として独立、繁栄し、1806年にナポレオンに降伏しました。その時代の城壁やその他の建物がほぼそのままドブロヴニクには残っていて世界遺産になっています。
【選定理由】待ち時間がかかることからケーブルカーの乗車を含むツアーはあきらめました。また体力に自信がない為、バスを利用するツアーとしました(イクスカーション候補17件の中から選択)。
【イクスカーション概要】バスに乗って展望台に向かい街の眺めを楽しみました。ピレ門前広場にて下車しました。オノフリオの大噴水からプラツァ通りを進み、ドミニコ会修道院と宝物館を訪れた後、旧港を眺め、旧総督邸の前で解散となり、1時間ほど旧市街の散策を楽しみました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【展望台まででの車窓風景】展望台はケーブルカー山頂駅への道路途中にありました。訪問時は生憎小雨がぱらつく灰色の空模様であった為、期待した紺碧の海に対比するオレンジ色の屋根の旧市街の絶景とはならず、残念でした。また展望台への途中風景の方が街の景色は良かった為、ケーブルカーに無理をして乗る必要はないと思いました。
【ガイドツアーと散策風景】ドブロヴニクに入るピレ門は分厚い石造りの建造物で、この門の向こうにはどのような街が広がっているのか、という期待が湧きました。ただし、旧市街は観光客で溢れており、観光施設、ほとんどのレストランは満員の盛況でした。女性ガイドのマリアさんの説明では、サマー・シーズン、ドブロヴニクは人口が観光客で4倍となるとのこと、従って観光客の集中する旧市街は十倍以上の人口密度となっており、観光客が街の風情を損ねているように思いました。
ピレ門から中心部ルジャ広場までは目抜き通りのプラツァ通りが約200m続いていました。白い大理石の石畳が美しく、幅の広い通りの両側にはカフェやお土産屋さんなど3階くらいの白壁の建物が軒を並べていて賑わっています。 狭い路地が網の目のように延びており、散策するには魅力的な街であるというのが感想です。
訪れた宝物殿ではカソリック系絵画の他、聖遺物を鑑賞しましたが、多くの観衆の中、感動には今一歩、至りませんでした。
【フリータイムにて】ドブロヴニク大聖堂はバロック様式で、聖ヨハネの大理石の祭壇はゴージャスで美しかったです。野外市場は観光客でごった返していた為、立ち寄ろうという気になりませんでした。プラツァ通りに並行する裏通りには東方教会があり、訪れている人は少なかったのですが、壁に架かった美しいイコンが目を引きました。
ガイドツアーの最中にはトイレ休憩がありませんでした。旧市街にある公共トイレはスポンザ宮殿の近く塀の外と限られており、またクロアチア・コインがないと利用できません。私達はユーロが使えるカフェに入りトイレをお借りしました。
【思いがけない出会い】マリアさんの説明は丁寧でした。街は観光客で溢れているのにも関わらず、カフェ等この街の人達は親切で擦れておらず、この街の治安は良いのではないかというのが感想です。
【イクスカーションの後で】バスは行きも帰りも同じバスでしたが、私達が旧市街のガイドツアーをしている時間を利用して、何とMSCクルーズのツアーの送迎をしていました。「席に置いていた私のリュックは?」と思いましたが、ガイドさんの好意で保管されていました。また、ガイドツアー後の迎えの時間が15分ほど遅れました(これだけ観光客が溢れていたらバスのニーズは高く、当然のことかも知れません)。
【今後の展開】ウォー フォト リミテッド、ロブリエナッツ要塞等魅力のある多数の観光資源がこのツアーの対象外でした。次は観光客の少ないウィンター・シーズンに訪れたいと思いました。
Budva, Kotor & Coastal Views(9.15am~13:15 x $74.95 x Moderate)
【コトルとブドヴァ観光の意義】コトルの旧市街、コトル湾、ブドヴァの旧市街はトリップアドバイザーの口コミ数もそれぞれが2,000以上と人気が高い観光地です。15世紀から3世紀間にわたるヴェネツィアによる支配はコトルの街にヴェネツィア様式を特徴付ける建物を残しており、コトルは世界遺産に選ばれています。またブドヴァはリゾートタウンとしてその名をとどろかせており、多くのミリオネアが暮らしていることから、「モンテネグロのクウェート」とも呼ばれています。
【選定理由】この寄港ではコトルに加えてブドヴァも観光を楽しもうと、このツアーを選びました(イクスカーション候補12件の中から選択)。
【イクスカーション概要】テンダーボート下船の後、ブドヴァの旧市街を訪れ、ガイドツアーを楽しみました。移動時にコトル湾の美しい風景を眺めました。世界遺産のコトル旧市街を散策し、聖トリプン大聖堂、海事博物館、聖ルカ教会を訪れ説明を受けました。歩くスピードがかなり速かった為、写真を撮っていると取り残されそうになったことが何回かありました。暑い中、長い距離をかなり早く歩いたことで疲れました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【ブドヴァ旧市街でのガイドツアー】旧市街に入った途端、迷路の中に迷い込んだような錯覚を覚えました。小道の幅は大人がようやくすれ違うことができるほど狭く、網の目のように走っており、中世からの広場、砦、塔が残っており、魅力的な街を形作っていました。観光客も少なく私達にとってはドブロヴニクやコトルよりもブドヴァの街が気に入りました。
【ブドヴァからコトルへの車窓風景】ブドヴァからコトルへは海岸沿いの道路を走り、「美しいコトル湾の風景を堪能する」ことがこのツアーの謳い文句でした。実際には自由時間終了後の集合時刻に遅れてきた人たちがいた為、20分間待つことになり、コトルへはショートカットが取られました。残念ながらコトル湾の美しい景観が見れたのは少しだけでした。
【コトル旧市街でのガイドツアー】コトルの街はドブロブニク同様大変な人出でごった返していました。聖トリプン大聖堂はその起源を12世紀に遡る古いカソリックの教会で1667年の大地震の崩壊後に付け加えられた二つの塔が印象的でした。内部は豪華さを感じるロマネスク様式となっていました。港町コトルが繁栄を極めたのは15世紀から18世紀で、ベネッツィア共和国の支配下にあり、地中海貿易の拠点の一つとして大いに賑わったようです。そんなコトルを支えていたのはコトル海軍でした。海事博物館では時間がなかった為、コトル海軍の展示にも目が及ばなくて勿体ないことをしました。
【フリータイムにて】ブドヴァでは公共トイレでの待ち時間が長くなりました。ユーロが使えるのでカフェに入ってカフェのトイレを利用した方が時間を有効に使うことができ、良かったように思います。コトルのガイドツアー終了後は疲れた為、散策をせずテンダーボートに乗りました。
【思いがけない出会い】男性ガイドのブライアンさんに顔を覚えてもらい、お蔭様でコトルの街の地図は日本語版を頂きました。
【イクスカーションをした後で】このツアーは集合時刻が8時35分と早く、帰船の時刻もお腹の空く14時となりました。30℃近くまで上昇した気温の中、よくこれだけの距離をかなりのスピードで歩くことができたものだと我ながら感心しました。
【イクスカーション対象外の観光資源】シタデル(ブドヴァ)、モグレンビーチ(ブドヴァ)、サン ジョバンニ要塞(コトル)、コトル城壁(コトル)等があるもののそれほど多いとは言えません。このイクスカーションで十分であるように思います。
A Stroll through Split (11.00am-13:00 x $44.95 x Moderate)
【スプリット観光の意義】スプリットは風光明媚な港町で、旧市街全体が世界遺産にも登録されており、その観光はアドリア海クルーズにおいてドブロヴニク観光につぐ目玉です。スプリットの歴史は3世紀末の古代ローマ帝の宮殿まで遡ります。15世紀から第一次世界大戦前までオーストリア=ハンガリー帝国の統治の下、イタリア王国の影響を受け、ベニスへの海運中継基地として街は形成され、発展してきました。
【選定理由】今回のツアーではメシュトロヴィッチ美術館、昼食、ドライブを含まないこのツアーを選びました(イクスカーション候補10件の中から選択)。
【イクスカーション概要】このツアーはウォーキング・ツアーです。青銅の門から入り、ディオクレティアヌス宮殿の地下室を見学、聖ドムニウス大聖堂とジュピター神殿を訪れ、鉄の門から出てナロドニ広場へ、次いでプラチェ・ラディッチ広場を経てシャトル・バスの停留所に戻りました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【旧市街までの移動】波止場から旧市街の入口に設けられたバス停まで、10分余り歩いて移動しました。帰りは疲れていることもあり、シャトル・バスで波止場まで戻りました。
【ガイドツアーの状況】バス停の近くに設けられた街の鳥観図を用いて女性ガイドのツリンカさんから街の歴史と街の建物の構成について、じっくり説明を受けました。空から見た旧市街は塀で囲まれてほぼ正方形で、南北215メートル、東西180メートルの大きさです。外から見ると塀はかなりの高さがあり、要塞あるいは刑務所のような印象を受けました。
この街はいくつかの遺跡のあらましからローマ神話の世界からカソリックへの移り変わりを見ることができました。
まず訪れた地下室は中世には倉庫として、またワインやオリーブオイル造りに利用されていたようです。北欧あるいは北ドイツのお城の地下では囚人が閉じ込められたり、処刑されたという陰惨な歴史を耳にしましたが、この地下室はそうした暗さを感じませんでした。高い天井は手彫り感が溢れてごつごつしており、中世以前によくこんなに大きなものを作ったものだと感心しました。
地下室から続けて入った大聖堂は、18世紀の壁画もあることから一気に長い歴史時間を下った感じがしました。観光客も多く、大聖堂は狭く感じられました。
大聖堂から宮殿の中心地へと出るとペリスティルと呼ばれ、ここは旧市街を取り囲む城壁にある4つの門から続く道が交差するポイントとなっていて、観光客があふれていました。コリント式の柱頭装飾が施された列柱とアーチが周りを取り囲んでおり、長い歴史を感じました。
ジュピター神殿は皇帝がローマ神話の最高神であるジュピターを祭る神殿として建てられましたが、後にキリスト教が広まると神殿は洗礼室として利用されるようになったということです。
ナロドニ広場とプラチェ・ラディッチ広場ではレストランのテラスが場所をとっており、観光客が溢れていました。
【イクスカーション対象外のスプリットの主な観光資源】マルジャン、リヴァ ハーバー等があるものの、それほど多いとは言えず、このイクスカーションで十分であると思います。
Medieval Piran: (9:30am -13:30 x $89.95 x Moderate)
【ピラン観光の意義】コペルは古き良き時代の面影を残す貿易港がある街です。一方ピランには中世の建築物・遺跡が残っており、言わば野外博物館です。ピランは13世紀末からナポレオンに降伏する1797年までヴェネツィア共和国の支配下にありました。
【選定理由】トリップアドバイザーの口コミ数の点でピランの方が圧倒的に多いことからコペルよりも観光資源の点で魅力的と考えこのツアーを選びました(イクスカーション候補10件の中から選択)。
【イクスカーション概要】コペルからピランまでドライブ、ピランではガイド付ウォーキング・ツアーを行い、聖フランシス教会、聖ジョージア教会を訪れ、ユダヤ人広場にて解散、自由時間となりました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【コペルからピランまでの車窓風景】ピランまでは片道30分間のドライブ、右側の席を選んだことで、紺碧の海とビーチ、伝統的な塩田の景色が良く見えました。街の中心から歩いて10分ほど離れたところで下車しました。帰りは自力でバス停に辿り着く必要がある為、バス停の所在を覚えておく必要がありました。
【ガイドツアーの状況】約2時間弱のガイドツアーでした。ピランは他の寄港地同様、狭い路地が入り組んでおり、歴史を感じさせる石畳の起伏に富んだ路地と、どこを撮っても絵になる魅力的な街です。幸いにも天気が快晴になったこと、観光客が少なかったので充実した時間を過ごすことができました。
聖フランシス教会の建造は14世紀に遡り、バロック・リノベーションを経て現在の姿に至っています。教会の中の装飾品は持ち去られ、一部壁画もはぎとられ、無残となった歴史を語るガイドさんの語り口には憤りが感じられました。タルティニ広場正面に立つヴェネツィアン宮はヴェネツィア・ゴシック様式の建物で、石の彫像のある白壁に茶色の窓枠が花で飾られており、美しい佇まいが記憶に残りました。聖ジョージア教会は町一番の高台にあり、紺碧の海に臨むオレンジ色の屋根の続く街並みが印象深かったです。
【フリータイム】フリータイムは45分間と余裕があったものの、地図もなかった為、バス停になるべく近いカフェを見つけ、そこで一休みしました。
【思いがけない出会い】女性ガイドのテナさんは現代史を振り返って現在は経済的にも豊かに成りつつあることから1991年のユーゴスラビアの崩壊・分裂は良かったという思いを語っていました。スロヴェニアの人達はイタリア語とスロベニア語のバイリンガルで、文化的にもイタリア的なものが数多く見られました。一方、歴史の上でイタリアから迫害を受けており、イタリアに対して複雑な思いを抱いていることが分かりました。
【イクスカーションをした後で】ピランからコペルまでバスで移動した後、波止場では出国審査を受ける為の乗船客の長い列ができていました。スロヴェニアはユーロが使える、カソリックが90%の国、一方隣国のクロアチアは通貨をクロアチア・クローネとする非EC国です。従ってクロアチアからECのスロヴェニアへと流れ込む人たちは多く、入国審査はそれなりに厳しいのではないかと思いました。
【今後の展開】ピランの観光について言えば、もう少し長い自由時間が望ましかったのですが、このツアーで十分だと思います。コペル観光は今回経験できませんでしたので、機会があれば挑戦したいと思います。
A Stroll through Korcula (10:00am~11:30 x $49.95 x Moderate)
【コルチュラ観光の意義】コルチュラの旧市街は大聖堂を中心に南北に貫く目抜き通りから何本もの細い路地が海に向かって伸びる、上空から見ると魚の開きのような形をしている魅力的な街です。
【選定理由】私はワインが飲めないので、ワインの試飲が入っていないこのツアーを選びました(イクスカーション候補6件の中から選択)。
【イクスカーション概要】テンダーボートを降りた後、1時間半のガイド付ウォーキング・ツアーに参加しました。要塞、イコン博物館(宝物館)、聖マルコ大聖堂、市立博物館を訪れました
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【コルチュラまで】コルチュラ沖からテンダーボート下船地までは十数分とかなりテンダーボートに乗った気がします。波止場は島影にある為、テンダーボートはほとんど揺れを感じませんでした。
【ガイドツアーの状況】旧市街の街を形成する建物は15~16世紀に建てられたものが多く、それなりに歴史を感じました。観光する場所はこの旧市街でも南門の辺りと中央広場の辺りに限られており、歩行距離もそれほど長くありませんでした。従って訪れた観光施設ではユーモアを交えたかなり丁寧な説明が女性ガイドのビアナさんから有りました。埋蔵しているイコンの数としては、宝物館は西ヨーロッパでも有数の博物館とのことです。このコルチュラにはカソリック同様東方教会の数が多く、ここは西ヨーロッパの先端であったということを肌で感じました。第二次世界大戦後の東ヨーロッパ世界では無神論のコミュニズムとなり、教会から貴重なイコンが流出したのではないかと思います。宝物館ではイコンの見方についても説明があり、これは今後の旅への大きな参考となりました。コルチュラはベニスへの海上貿易の中間地として発展してきました。こうした歴史を背景に市立博物館では、海中から引き揚げられた古代の遺物、中世の石造物、近世の絵図などが展示され、造船業についてもコーナーが設けられており、それなりに面白く見ることができました。多分古九谷と思いますが、博物館の入口には大きく遊女をあしらったお洒落な壺が置かれていました。大聖堂等、いくつかのカソリック教会を訪れましたが、団体行動の為、じっくりキリスト教絵画を鑑賞するには至らず物足りなかったです。
【イクスカーションをした後で】中央広場でガイドツアーが解散となった後、小雨模様となった為、トイレ休憩を兼ねてカフェで一休みしました。ここではユーロはお札しか受け取りませんでしたので、差額がウェーターさんへのチップになったと思います。
【今後の展開】このツアーでコルチュラの観光はほぼカバーできたと思います。
Achillion, Kanoni & Corfu(9:30am~13:45 x $79.95 x Moderate)
【ケルキラ島観光の意義】ケルキラ島(コルフ島)はイオニア海北東部に位置し険しい山々やリゾートが点在する海岸線で知られています。1864 年にギリシャ領になるまでにヴェネツィア共和国、フランス、イギリスの支配下にあり、文化遺産はそうした歴史を反映しています。
【選定理由】アヒリオン宮殿、カノニでの遠景、コルフ旧市街でのウォーキングの三つが含まれていることからこのツアーを選びました(イクスカーション候補8件の中から選択)。
【イクスカーション概要】カノニの展望台からヴラケルマ 正教会修道院とマウス島の絶景を眺めました。コルフの旧市街でのガイド付ウォーキング・ツアーの後、自由散策を楽しみました。ガストォウリにあるアヒリオン宮殿を訪れました。ケルキラには5隻のクルーズ船が停泊しており、観光施設は乗船客で混みあっていました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【バスでの車窓風景】アヒリオンへの往復は同じ道路を通る為、バスのどちらに座っても青い海を見ることができました。重要なのはその時間が晴れていて海の色が青く見えたらラッキーと言う事ですね。アヒリオン宮殿へはバス1台がようやく通れる坂道で、登り降りに少し時間がかかりました。女性ガイドのコンスタンティ-ナさんと運転手さんは、道路状況に合わせてイクスカーションでの訪問順序、ミーティング・タイム等を判断し説明されました。
【カノニでの遠景】展望台からは、茶色の屋根に白壁が美しい修道院とマウス島が良く見えました。またコルフ国際空港が隣合って位置し、飛行機の離陸する様子が手に取るように見え面白かったです。
【旧市街での散策風景】コルフは14世紀終わりから約400年にわたり、ヴェネツィア共和国の支配下にあった為、この町の旧市街には、どことなくイタリア風のエレガントな雰囲気が漂っているというのが宣伝文句でした。旧市街の細い路地には、土産物屋がずらりと並んでいて、海綿スポンジやオリーブオイルの石鹸や木製の玩具等を売っていました。中心にある聖スピリドン教会の中に入ったものの、物凄い数の観光客でした。フリータイムではバスへのミーティング・ポイントに近いカフェに入り、トイレ休憩を兼ねてビールとブラック・ティーを頂きました。
【アヒリオン宮殿】プリンセス・シシーことオーストリア皇后エリザベートが19世紀末に建てた宮殿はヨーロッパ風の外観です。一方、宮殿内はギリシャ神話をモチーフにした銅像や絵画が多く展示されており、ギリシャ文化の伝統と近代的なヨーロッパ建築が融合した空間となっていました。私達は前回のオーストリア周遊旅行の際、シシーの生涯について色々見聞きしました。今回の訪問でもシシーの肖像画が幾つかあり、いつも冷たく物悲しい表情がほとんどでしたが、少しだけ微笑んでいる珍しいシシーが一点有りました。また皇帝はシシーを深く愛していたことを再確信しました。
【今後の展開】パレオカステリツィア修道院、パレオカステリツィアのビーチ、愛の運河、リストン、シダリビーチ、コルフ要塞等、魅力のある観光資源が このツアーの対象外でした。コルフ島をもう一度訪れ、これらの施設・名所を見学したいと思います。
Taormina & the Greco-Roman Theatre (13.00am – 17:30 x $89.95 x Strenuous)
【タオルミーナとシラクサ観光の意義】世界遺産である古代地中海の大都市シラクサとイタリア人気の避暑地のタオルミーナはシチリア島でも有数の観光地です。
【選定理由】シラクサは往復に時間がかかる為、より近いタオルミーナのツアーを選びました(イクスカーション候補7件の中から選択)。
【イクスカーション概要】タオルミーナの入口の駐車場にてバスを下車、エレベーターを利用して高台にあるタオルミーナの街へ向かいました。カターニャ門からウンベルト1世通り、ギリシャ劇場通りを通ってギリシャ劇場(タオルミーナ古代劇場)を訪れました。そこでフリー・タイムとなり、バス停に戻りました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【タオルミーナまでの車窓風景】カターニャ、タオルミーナ間は高速を利用しました。バスの右手には青い海が見えました。左には残念ながら山頂を厚い雲に覆われたエトナ山が見えました。富士山と同じような美しい景色を期待するのでしたら、冬等、晴れの日の多い季節を選ぶべきだと思います。
【タオルミーナでの散策風景】今回のクルーズではバス6台以上の乗船客がバスタオルミーナへのエクスカーションに参加しました。タオルミーナの街はそれだけ人気があるということと、タオルミーナの混雑の一因はクルーズの寄港にあるとも言えます。ガイドツアーの初めに男性ガイドのクンツィオさんから参加客の一人一人に緊急連絡先のカードが手渡されました。
カターニャ門から約800m続くウンベルト1世通りには、歴史を感じさせる教会の他、土産物屋、レストラン、洋品店等が観光客の目を引こうと装いに趣向を凝らして軒を並べていました。なおウンベルト1世はイタリア王国の第2代国王で議会政治を推し進めようとしたものの暗殺された悲劇の王様であり、慕われていたことで名前が残されたのだと思います。
ウンベルト1世通りの先には16世紀から長い間この街の支配者であったコルヴァイヤ一族の館、コルヴァイヤ館がありました。今まで目にしてきた建物とは異なり、ゴシック、ノルマンに加えてアラブ様式が見られました。
タオルミーナ古代劇場は岩場の斜面からすり鉢状に石を切りだした劇場で、イタリアでも2番目に大きいと説明がありました。ここで夕立に遭い、ガイド・ツアアーは終了し自由時間となりました。自由時間の後の待ち合わせ場所を確認した筈でしたが、きわめてアバウトで集合時間にガイドさんがおらず心配でしたが、同じグループの方達と何とかバスに戻ることができました。
【カターニャでの車窓風景】波止場に着く前にカターニャの街の車上観光がありました。オペラ座など歴史を感じさせる建物も多く見ることができました。ただし古くなっているものの修繕されていない建物も多く、失礼ながら街は薄汚れていて、渋滞も頻発していることから、今年の3月に訪れたブエノス・アイレスに似た印象を持ちました。
【思いがけない出会い】ガイドさんからシチリアの人達にはギリシャ、ローマ、ノルマンといろいろな民族の血が流れている、このことが世界は一つだという強い気持ちにつながっていくという発言がありました。またイタリアの経済はここ20年間停滞し、南北間の格差は大きくなっている、具体的にはヨーロッパでもファッションの最先端を行くミラノに対してシチリアは貧しい、どうかこのシチリアの現状をよく見てほしい、という発言も心に残りました。
【今後の展開】イゾラベラ、プブリコの庭園がこのツアーの対象外でした。2020年2月に「暮らすように旅するシチリア」を行う予定で、タオルミーナについては他の都市と観光資源を比較した上で再訪を検討します。
Malta's Capitals Old & New(8:30am ~12:30 x $84.95 x Strenuous)
【バレッタ観光の意義】島国マルタの小さな首都、バレッタは1500 年代に聖ヨハネ騎士団が半島に築いた城塞都市です。古都イムディーナはバレッタが築かれる前のマルタの首都です。
【選定理由】イムディーナとバレッタの観光内容にバランスが取れているように思われたので選びました(イクスカーション候補12件の中から選択)。
【イクスカーション概要】イムディーナ旧市街の正門前にてバスを下車、正門から聖パウロ大聖堂前を経てパラッツォ・ファルゾーン、パスチオン広場に至り、正門前に戻ってバスに乗車しました。バレッタまで車で移動し、アッパー・バラッカ・ガーデン近くのバス駐車場で下車、ガーデンでトイレ休憩、見晴らしを楽しんだ後、首相官邸、聖ヨハネ准司教座聖堂、大聖堂、騎士団長の宮殿と道路沿いの見学を楽しみました。そして自由時間を楽しんだ後、バスにて波止場に戻りました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イムディーナとバレッタ間の車窓風景】クルーズ・ターミナルの船から眺めるバレッタの旧市街は海抜数十メートルの高台、石垣の上に広がっており、独特の景観がとても印象的です。イムディーナまでは約30分のバスの旅、車窓から見る家々の屋根は平ら、家は四角な箱型で、サボテンでできた生け垣と、どこかアラビアの印象がありました。イムディーナの街はさらに海抜200mの高台に広がっていました。
【イムディーナでの散策風景】イムディーナでは珍しく観光客が少なく、「静寂の町」という名の通り、一歩路地に入れば静寂を感じることができました。正門から入って車1台がようやく通れる石畳の道を進むとカフェ、聖パウロ大聖堂、そして貴族の館に出逢い、中世の世界に紛れ込んだ感じがしました。15世紀後半に建築されたパラッツォ・ファルゾーンは聖ヨハネ騎士団団長が一時滞在し、その後、中世後期の貴族の屋敷として使われたということです。美しい館でしたが、生憎逆光で良い写真とはなりませんでした。同じ高台にあるパスチオン広場からは、眺めを楽しむことができました。
【バレッタでの散策風景】バレッタの街は通りが狭くなく十字に交差しているという点でいわゆるヨーロッパの旧市街とは異なっている感じがしました。これも16世紀後半にマルタ騎士団が,18世紀終わりにナポレオン1世が占領し,1814年に英国領となり、以降英国陸海軍の基地として発展してきたという歴史によるものだと思います。最初に訪れたアッパー・バラッカ・ガーデンからは青い海と停泊している我船コーニングスダムが近くに見えました。大聖堂の内部は美しいから是非訪れるべきだとガイドさんの説明がありましたが、入口付近での長蛇の列を一目見てあきらめました。騎士団長の宮殿は訪問前には城のイメージを持っていたのですが、普通の(失礼)がっちりとしたバロック調の建物でした。路地に並ぶ土産物屋の屋台では安価な商品が並び、観光客もいろいろな国から来ていることを窺わせます。騎士団長の宮殿で自由時間となりました。自由時間後の集合時刻と場所は「12時30分に正門前に」と何度もガイドさんに確認したのにも関わらず、会えたのはカナダ・カルガリーのカップルの2人だけ、4人であちこちガイドさんを探すものの会えず不安になりました。運良くガイドさんとずっと一緒に歩いていた一行を見つけて一安心。バスに戻って数えてみると参加者40人の内、バスに残っているのは十数人程度で後の人達は船まで歩いて帰ったようです。中には落ち合えず置き去りにされた人もいるのではないか、と思われ、これは本当に危険なイクスカーションでした。
【今後の展開】バレッタではほとんどの観光施設をじっくりと見ていません。バレッタは再訪するに値する街だと思います。
【バレッタ出港の後で】シチリア島とイタリア半島の爪先にあるメッシーナ海峡に差し掛かった時、停電となり「コンピュータシステムがダウンした」との船内アナウンスがあり、船内の電気は消えトイレも使えない状態が1時間余り、どうなる事かと思いましたが、船はパイロット船の救援を受け3kmという狭い海峡を無事に抜け出しました。この後、船はシチリア島の沖のストロンボリ島がよく見えるように航路を取りました。この富士山に似た島は今年の7月にも噴火活動で死者を出した活火山で、日が暮れると赤いマグマ噴火が良く見えました。
Panoramic Naples(9:00am~12:00 x $59.95 x Easy)
【ナポリ観光の意義】「ナポリを見てから死ね」と言われるほどの観光都市です。
【選定理由】2018年10月寄港時には「Pompeii On Your Own Transfer」を選びました。今回はナポリの概観を把握する為このツアーを選びました(イクスカーション候補16件の中から選択)。
【イクスカーション概要】ツアーの前半まで小雨模様の生憎のお天気で、バスからの車窓観光中心のツアーとなりました。写真撮影の為、高台に2か所停車し、その他、ヨットハーバー近くで30分のフリータイムを楽しみました。今回のように寄港地が雨模様の場合、個人旅行ですと船から下りるのはどうしても及び腰になりますが、バス乗車を中心とするイクスカーションは寄港時間を有効に活かすことができ良かったように思います。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【ナポリでの車窓風景】ツアー開始時は小雨模様で薄暗くナポリの街は中南米の大都市を思い出させるような美しくない(失礼)街並みでした。どんよりとした曇り空を背景に不気味に立つヌオーヴォ城は、このツアーではバスが何度も前を行き来したこともあり、印象深かったです。男性ガイドのアントニオさんから、ナポリの街並みはその歴史を背景にして、スペインあるいはフランスの面影が色濃く残っているという説明を受けました。
【途中下車して】最初の高台(アレッサンドロ・マンツォーニ通り)では広がる荒れ地に巨大な赤く朽ちた工場跡の向こうに美しい海岸と島影(ニシダ島)という何かはかなさを感じる風景が広がっていました。残念ながら巨大な工場の説明は聞き逃しました。フリータイムはヨットハーバーの向こうにベスビオ火山が見えるという絶好のアングルだと思いますが、曇天の下、海が青くはなかったこと、火山の中腹から雲にかかっていたことなど残念な思い出となりました。2番目に下車した高台(フランチェスコ・ベトラルカ通り)からは薄褐色の美しい家々の屋根がナポリ湾に向かって山の斜面に立つ風景を楽しむことができました。
【今後の展開】ナポリは多数の観光資源がある魅力的な街ですので、別途ランドジャーニーを行い、再訪する予定です。
チッタベキアでの下船
【下船の準備】事前に希望の下船時刻につき申請しました。下船前夜の船室前に荷物を出す刻限は夜中の12時までということで焦ることなく荷物整理ができました。
【下船当日】波止場にてスーツケースのピックアップ、ターミナル入口までのシャトル・バスへの乗車とスムーズに進みました。ターミナル入口からチッタベキア駅まではさらにシャトル・バスが出ており、利用しました。チッタベキア駅では乗車予定の列車の到着プラットホームが発車前に変えられたこと、またエレベーターが使えずスーツケースを持って階段を上り下りしたことには困惑しました。
2018年7月アドリア海クルーズとエーゲ海クルーズを比較・検討する為、見積りを頂き、アドリア海クルーズで行こうと方針を決ました。この他にもIACEからは有益な出港地情報、ダイニング情報、ビザ情報などを頂いています。
【旅行代理店への期待(主人から)】IACEから①船会社の総代理店の力量・状況を正確にご説明いただき、私達からいつリクエストをどのような形で出したら良いのかアイデアを頂いています。②個人では入手することが難しい情報を頂いています。A) 船の構造、特にリバー クルーズでは階段、エンジン音などに関する情報;B) 船の航路・運航に関する情報:リバー クルーズでは夜間の運航、景観等;(以下申込以降に必要な情報としては) C) 船会社によるオペレーションに関する情報:送迎バス、支払いの精算・計算方法等;D) その他:出港地・ビザ・予防接種に関する情報です。
これまでの13回に達する予約を経て現時点(2019年11月)では、日本でも有数の知識と実力を持った方に相談ができる体制をIACEに取って頂き感謝しております。
1) ドブロヴニク・スプリット等アドリア海沿岸の都市に興味を持っている方。朝起きて窓に広がる近づく街の美しさ、夕暮れ時に出港する時の港の美しい情景には特別な感慨が有りました。ランド・ジャーニーではこうした海からの絶景を見ることは難しい気がします。
2) そうした寄港地では狭く入り組んだ迷路のような街並み、石畳と白壁の軒を連ねるお店など散策するのに魅力的です。紺碧の海が美しいけれど観光客で溢れているサマー・シーズンか、きれいな海は望めないが静かで落ち着けるウィンター・シーズンを選ぶかが、思案のしどころです。アイデアとしては、紺碧の海を見る為にサマー・シーズンのクルーズを選び、エクスカーションにおいて観光地としてはマイナーなブドゥヴァ、ピランやコルチュラを訪れるイクスカーションを選んでは如何かと思います。
3) アドリア海の寄港地はイタリア、特に歴史上「ヴェネッチア共和国」の影響を受けています。古くはギリシャ、イタリア、オスマントルコ等に絡めて、この地域の複雑な歴史、文化に興味を持っている方にお勧めです。
4) ホランドアメリカ(HAL)のクルーズを同じプレミアムのプリンセス・クルーズと比較するとHALは大人のクルーズであると感じます。ディナーレストラン・オープンの待ち方、毎夜ディナーではほとんどの方はドレスアップ、エンターテイメントの劇場での席の取り方、イクスカーションのバス席の取り方等、乗船客が実に落ち着いていて今後のクルーズの参考になりました。再来年の2月に南米ブエノスアイレスからアマゾン経由にて米国フォートローダデールまで33日間のクルーズにチャレンジします。この「客層のレベルが上なのはこの船に限ったことなのか、HALだからか」という点をそのクルーズで検証したいと思います。
5) ここ1年の間、西洋美術については、ベルリンの絵画館、マドリッドのプラド美術館、ウィーンの美術史博物館等々、世界有数の美術館を訪れ、おぼろげながら「この絵画はどのような時代に属するのか」が判るようになりました。今回の旅行に際して「西洋美術史」の本を一読し、今までの経験を少しは整理することができ、さらに興味を深めることができたように思います。
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