唯一の海外、ロシアのサハリン州コルサコフ。
北海道一周で良いのに何でわざわざロシアに立ち寄るの??
それは外国船籍の場合、一カ国のみのクルーズができないカボタージュ規制があるからなのです。
日本国内だけで良いのにわざわざロシアや韓国や中国に足を伸ばしている外国船クルーズはこういう理由があったからなんですね〜
飛鳥?やにっぽん丸などは日本船籍なので日本のみのクルーズが可能ですが、これはこれで雇用者の割合等にも関わってきて料金に跳ね返ってきたりしてるのです。
一見利用者の側からすれば厄介なこの規制。
でも実は日本の内航海運業を守っているので海に囲まれた日本には大切な規制なんです。(ちょっとお仕事絡んでます)
こんな話はさておき。。。
この日も朝から元気ゼロ。
熱っぽいし鼻も咳も止まらず頭痛もする。
でもこの日は唯一の「海外」だし、ユジノサハリンスクは初めてなので這ってでも行きたい。
ここまで来るともう意地です。
ユジノサハリンスクへのエクスカーションは$99。
自由時間は全然無いけどビザフリーで下船できるので申し込みました。
シアターで番号が呼ばれるのを待ち、テンダーボートで下船。
テンダーに乗る前にロシアの入国管理官のパスポートチェックがあるんですが、微熱が高熱になってしまうほどハンサムなんだなぁ〜
あぁ〜冷たい目だけどカッコ良いなぁ〜〜〜
天気がイマイチのコルサコフ、テンダーボートは大揺れ。
15分ほどで港に到着。
コルサコフ、寂れてボロボロです。
そして港にいる人は軍人!?犯罪者!?の如くマッチョで刺すような眼差し。
短く刈り込んだ金色の髪と青い瞳はロシア人そのものでした。
バスで1時間揺られて教会、博物館、レーニン広場を駆け足で見て終了。
ちょっと物足りなさを感じながらも体力の限界も感じたので丁度良かったといわざるを得ません。
この日は最終日だというのに夕食はとらず、下船に備えてひたすら寝ました。
テンダーボートで下船。
サンプリンセスのテンダーボートを4隻下ろしてピストン輸送。
日本語〜!
稚内からのフェリーもあり、日本人もそれなりに来てるようです。
港には日本船の中古や日本車の中古がそのまま使われているので、安全第一とかかれた船や○○運輸と書かれたトラックが走っているのでギョッとしました。
コルサコフ近くの線路
貧しい港町の印象です
牛と羊の群れ。
ここは北海道?
ユジノサハリンスク空港入り口のモニュメント
大きなショッピングモール。
アパート。
ロシアっぽさを感じます。
聖ニコラス教会。
この後、スケートリンクでトイレ休憩がありました。
私は下車しませんでしたが、母によると天使のような可愛らしい女の子がクルクル練習していたようです。
男の子はまだ華奢だったけどホッケーの格好をしてたとか。
サハリン州郷土史博物館。
ザ・ニッポンの建築様式。
日本でも少なくなっているものが海外で残っていると嬉しいですね。
ロシア語で読めません。
可愛らしいロシア人女性の日本語説明付でしたが、かなり駆け足なツアーだったため全く頭に入ってこない。
剥製の技術はイマイチ。。。
オサガメ。
この海域にいるのかな?
イトウはサハリンでも保護対象だそうです。
北国っぽい動物がいっぱい。
やっぱり日本と近いんですね〜
北海道の博物館といわれても納得しちゃう。
誰だったっけかな〜
サハリン州の地図。
日本のチームが一番の出来だったのだとか。
欧州とロシアの地図は「やる気あるの?」って感じでした。
天井が旅館みたーい
この帆船を使って貿易してたんですね!
ロシアと日本の国境線におかれてた石碑。
日本側には大日本帝国の菊の紋章。
ヤマハのオルガン♪
オットセイ工場
油をとってたのかな〜
戦後はロシアになったけど、残った日本人、韓国人、ロシア人、みんな「とても仲良く」暮らしました。
と言ってたけど・・・
絶対ウソでしょ。
戦後はロシア一色になります。
キャビア、鮭、いくら、蟹の缶詰。
サハリン州にプーチン首相が来たようです。
サハリン州にはさまざまな民族が住んでいて、南のほうにはアイヌ民族がいたようです。
北の方には狩猟民族が毛皮を纏って生活していたのだとか。
ロシアでも数少ないレーニン像。
大きかったなぁ。
レーニン広場。
だだっ広いです。
1995年にサハリン州で起きたネフチェゴルスク地震の石碑。
街一つ壊滅し、その後その街は再建されることなくなくなってしまったそうです。
ユジノサハリンスク駅前にあるD51
中村正俊が撮影でこの裏手にいたそうです。
気づかなかったなぁ〜
お土産屋さんに連行。
お出迎えの民族衣装の可愛らしい2人。
ピロシキ
200円、50ルーブル、2ドル
円、ルーブル、ユーロどれでも使えます。
お決まりの・・・
ここはツアー客用のお土産を集めた会場。
割高です。
でもモスクワより安いかな?
帰り道。
地味な街でした。
サンプリンセスが見えて来ました〜
コルサコフはなーんもありません。
ちょっとだけ日本っぽさが残る建物もありました。
日本時代の蔵かな?
今でも使えるのかな?と心配になる線路。
港に繋がっているので使われているんだろうけど・・・
安全第一と書かれた船。
船名はロシア語です。
120人ほど乗せてサンプリンセスに戻っていきます。
私たちの番が来ました。
やった〜これでベッドで寝れるぞ!
天気が良かったら綺麗なんだろうなぁ
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