来月いっぱいで沖縄航路の客船の老舗、琉球海運が1951年からはじめた、旅客サービスを完全にやめてしまうようです。またひとつ定期客船航路の灯が消えてしまいます。
現在就航中の船は鹿児島/博多〜那覇、那覇〜先島諸島を結ぶ、わかなつおきなわ(8052トン、1991年建造)の一隻のみ、それもかなり貨物重視の船で、乗客はついでと言う感じでしたが・・・
この琉球海運、最盛期は1万トンを越える大型のだいやもんどおきなわ(のちのクルーズ客船ニューゆうとぴあ)を筆頭に数多くのRORO型貨客船を持ち、東京、大阪、博多、鹿児島から数多くの乗客を沖縄に運んでいたものです。
わたしが学生時代、ダイビングをやるために沖縄に行く際に大阪から乗ったのが、上の絵のごーるでんおきなわ(7604トン、1972年建造)。お金が無かったのでもちろん2等。
見てのとおり、船体の長さの割にはデッキが高く、かなりトップヘビーな感じ、つまり頭でっかちで、お世辞にもスマートなデザインとはいえませんでしたが・・・
旅客用の設備はかなり充実していて、レストランのほかに、喫茶室、高級ダイニング、屋外ステージ、ゲームルーム、さらにはブリッジの上に眺めのいいスカイラウンジ、そしてそのうしろにはサンデッキと国内航路としてはかなり大き目な10メートルのプールまであり、まるでクルーズ客船。
わたしは航海中、寝るとき以外はほとんどこのスカイラウンジで海を見てすごしていたように記憶しています。
プールには残念ながら時期が悪く入ることが出来ませんでしたが、すこぶる快適な船旅が楽しめました。
その後、博多〜韓国航路に就航したのち、韓国に売られたようですが、現在の消息はわかりません。
上の絵はわたしが乗った大阪〜那覇航路就航当時の姿です。 saillargeさん、資料提供サンキュでした。
昭和59〜60年ごろと、平成5年ころ那覇ー石垣航路の船に何度か乗りました。夜、那覇を出発し、朝、石垣に着くフェリーでプールのあるような船ではなかった気がします。そんな船に乗ってみたかったです。
cruise qm2さん、那覇〜石垣航路は観光と言うよりもかなり生活航路に近いですからね。あまり設備の整った船は無理かもしれませんね。
以前は長崎にも沖縄からよく来ていましたね。着岸するのは、柳埠頭ばかりで、”ごーるでんおきなわ”など、よく目にしたものです。http://www.wakanatsu.com/photo/special/hibiscus.html
黄龍さん、そういえば長崎〜沖縄航路と言うのもあったような気がします。長崎と那覇って文化的に似ている様な感じがあるので(あくまでわたしのイメージですけど)、船での交流があってもいいですよね。
「だいやもんんどおきなわ」が一番かっこよかったです。
skyblueさん、たしかに「だいやもんどおきなわ」が一番良かったですね。でも「ニューゆうとぴあ」になってちょっと?かな。いまはどうしているのでしょうね。
4年前に韓国・済州島でホテルシップとして使用されることになったのは聞いた事がありますが、今はどうなったのか・・・。
skyblueさん、保存船になったのですか?そうなると現存しているかどうかあやしいですね。
ブログに初めて伺いました。
http://shimada.ti-da.net/
我が家のベランダから那覇港が見えます。16年前にこの景色が欲しくて住みはじめました。
「ゴールデンおきなわ」は中学の修学旅行で乗りました。かつて琉球海運には「ひろゆり丸」「おとひめ丸」「とうきょう丸」「なは丸」そしてこのゴールデンおきなわ」「エメラルドおきなわ」という歴史を重ねます。
島田さん、はじめまして!ご訪問ありがとうございます。
那覇はなんども訪れた大好きな街です。
どんどん内地からの定期旅客航路がなくなってしまうのは淋しい限りですね。
これからもどうぞよろしくお願いします。
10代の頃 沖縄海洋博に行くのに合わせて北海道からアルバイトしながらお金を稼ぎながら日本縦断しながら開幕した年の暮れに飛行機で沖縄に着き 暮れから正月を海洋博で楽しみ全島観光して散財し(笑)帰路『だいやもんどおきなわ』で鹿児島へ。2等客室は みんないい客ばかりで車座になって酒飲んだり色んな話をして長旅でも退屈しなかった。いい思い出です。
韓国に売却後、フィリピンに転売されました。最終的には、旅客を扱わず、貨物だけになってしまいました。
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