戦争は全てのものの運命を狂わせてしまいます。
戦前の日本郵船が計画していた、27700トンの日本造船史上最大の客船の姉妹は工事半ばにして太平洋戦争の兵器としてその姿を変えてしまいました。
三菱重工業長崎(飛鳥やダイヤモンドプリンセスなど建造)で建造中だった樫原丸は空母隼鷹として完成、撃沈こそ免れたものの見るも無残な状態で終戦解体。
川崎重工神戸で建造中だった出雲丸は同じく空母飛鷹として完成、マリアナ沖会戦で撃沈。
日本郵船としてはこのことがよほど悔しかったのでしょう。
戦後、東京オリンピックの際に計画された客船(結局廃案)ではその基本スタイリングが、そしてやっと実現した先代飛鳥ではその総トン数が継承される事となりました。(結局飛鳥のほうが少し大きくなってしまいましたが)
上の絵はあんな戦争がもし起こっていなかったら、実現したであろうサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ(金門橋)をくぐるシーンです。
商船改造の空母は防御力が他のそれと比べて低いですからね。やはり客船は客船然としている方が美しいです。出雲丸を造った人たちもこんな絵を想像していたはずだったのでしょうね・・・・
こたけさん、この姉妹、建造費が国費からの補助をかなり受けており、もともとの計画段階から「有事の際は空母に改造できること」と言うのが助成の条件だったそうです。もしかしたらある程度の装甲はあったかも知れませんね。
しぶいです。 船体の黒い塗装の傾斜というかシアラインの傾斜、実物しらないというか、実物なかったんでしょうけど、かっこいいです。 設計の計画段階から吹き抜けの部分は航空機のエレベーターシャフトに転用できるようにとか、いろいろあったらしいですね。 就航できれば良かったのにと思いますです。
saillargeさん、いままで完成予想図は斜め前方からのものしかしか知りませんので、あえて斜め後方から描いてみました。それだけに正確さはあまり無いですが、雰囲気はつかんでいただけたかと思います。
速力が少し遅いのと(26.8ノット)防御の弱さがネックでしたが、隼鷹は商船改造空母としては高性能でしたし、割と運の強い方だったと思います。旧日本海軍の空母で終戦まで生き残ったのはほんの僅かでしたし、仮に商船として完成していたとしても、徴用されて潜水艦の餌食になっていた可能性が大きかったでしょう。生き残って終戦後しばらくの間は引き揚げ船として活躍しただけまだ良かったのかも知れません。
sunburnさん、たしかに隼鷹は生き残っただけでも奇跡ですよね。戦後、引揚げ船として働いたのですか?知らなかった!すぐに解体されたと思っていました。
隼鷹が戦後引き揚げ船として働いた・・・というのは誤りでした。実際にはpunipさんの説明通り、戦後まもなく除籍されて翌年解体されていました。引き揚げ船として働いたのは空母葛城でしたので訂正とお詫びをします。
sunburnさん、それでも引揚げ船として働いた空母が存在したのですね。それだけでも驚きです。いい情報ありがとうございました。
今年88歳になる方から伺った話ですが、その方は1936年(昭和11年)3月に旧制の川崎高等女学校を卒業なさった方ですが、修学旅行は横浜から「浅間丸」で神戸に向かう関西一周の旅行だったそうです(帰路は列車だったそうです)
沙耶さん、浅間丸で修学旅行ですか?…そんな時代もあったのですね。この樫原丸が完成しなかったので浅間丸が戦後1989年まで日本海運史上最大の客船でした。その方にとっていい思い出でしょうね。浅間丸の絵も描いてみたいな。
空母「準鷹」・・・日本海軍の空母で一番好きでした。この艦の傾斜煙突や艦橋構造は後の「信濃」や「大鳳」に応用されたんですよね。
ジュリーさん、残念ながら軍艦のことはよく判りませんが、「隼鷹」は軍艦マニアの間でもかなり人気の高い空母のようですね。
そうなんです。商船改造空母でありながら正規空母より活躍した戦歴もあるんだと思います。構造は商船構造でも(軍艦のは攻撃に耐える構造)戦後まで生き残った数少ない大型艦ですから・・・U^エ^U
準鷹は南太平洋海戦の殊勲艦です、アメリカ海軍も認める闘将角田覚治
の指揮する準鷹はホーネットを撃破、エンタープライズを大破とアメリカ海軍に使える空母のない魔の海軍記念日を演出、その立役者が商船改造の準鷹でした
母艦水練さん、くわしい解説、ありがとうございました。
はじめまして。
もし、世の中平和で1940年に東京オリンピックが実現していたら、五輪を象徴する花形客船だったんでしょうね。
もともとは他の軽空母のように平甲板にする予定でしたが、大鳳汲建造の試験としてああいう煙突・艦橋になったそうです。
それと戦後復員に使われた空母としては、わが国最初の(そして戦時中は旧式・小型すぎて戦場には投入できず、後方で練習用だったので生き残った)鳳翔があります。
べっきいさん、コメントありがとうございました。
こんな素晴らしい客船を空母になんて…とも思いますが、戦争がはじまったら空母に改造されるということを前提として…つまり初めから戦争ありきでの船だったのかもしれません。
辛い時代だったのですね。
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