東京生まれ、東京育ちのわたしにとって、昔から一番身近だった定期旅客航路は、やはり東海汽船の東京〜伊豆諸島航路です。
生まれて初めて本格的な船に乗ったのもこの会社の大島航路客船の初代かとれあ丸だったものですから・・
ところで東海汽船(旧東京湾汽船)の歴代の船のなかで一番の名船というとこの橘丸(1780トン)でだれも異存はないでしょう。
その美しいスタイル、波乱万丈の経歴、いつまでも記憶に残しておきたい日本船のひとつだったと思います。
晩年はさみしく解体されてしまいましたが、本当だったら、東京港か、大島の波浮港あたりに永久保存してほしかった船。
いつもいい加減な船の絵ばっかり描いているわたしも今回はちょっと気合を入れて描いてみました。
昭和9年の建造当時に近い状態で描いたつもりですが、コアな橘丸ファンのかたが見ると「ここがちがうぞ〜」というツッコミだらけかも知れませんが、ご勘弁ください。
伊豆大島を出港して東京に戻るところをイメージしました。バックの三原山と元町港はわたしのまったくの想像です。
この船に勝るとも劣らない素敵なデザインの三代目橘丸が伊豆諸島めぐりのクルーズ船としてデビューしたりすると最高なのですが・・・ちょっとありえないかな?
私の中の「お船らしいお船」です。。モノクローム・・ステキですね☆
ジュジュさん、黒い船体、二本のマスト、真ん中に堂々と位置する太い煙突。これぞ「船」のスタイルの原点です。最近の船では出せない味わいですね。
先ほどNorthernStarでの書き込みをした小野です。
東京の私立高校に通っていた頃夏休みには学校の林間学校で千葉の勝浦まで毎夏乗船しました。
また、菊丸、姫路丸(だったかな)、さくら丸、その他60年代の東海汽船にはすべて乗りました。
おっしゃる通り橘丸はどこかに残すべきだったと思います。
なんとか今後の新造船に名前が復活すると楽しいですね。
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