いまから35年前、つまり1972年の今日、香港の沖合いで一隻の大型客船が改装工事中に炎上横転。
その後解体処理されました。
彼女の名前はシーワイズ・ユニバーシティ(83637トン)
1940年に英国の老舗客船会社キュナードラインのクイン・エリザベスとして完成した彼女は、ずっと史上最大の客船として君臨してきましたが、寄る年波で香港の海運会社オリエント・オーバーシーズ・ラインに売却。
同社が当時力を入れようとしていた洋上大学船の第二弾として再デビューさせようとして改装していたのがこの船でした。
完成後は処女航海で香港から横浜に来航する予定だったようです。
昨年の11月23日まで横浜のマリタイムミュージアムで開催されていた「客船クイーンエリザベス2と横浜港の30年」展で、日本で企画されたこの処女航海の幻のパンフレットが展示されていました。
キュナードラインで彼女の跡を継いだクイン・エリザベス2が横浜に来日を果たしたわずか3年前のお話です。
イラストは幻に終わった横浜港大桟橋接岸中のシーン。当時の氷川丸はグリーンの船体色でした。
・・・むごい・・こんな歴史があったなんて・・
「氷川丸」はなんで、昔グリーンで塗装されていたんですかね?
考えてみれば、そんなに時間が経っているのですね。当時、悲しいニュースと受け止めてました。当時は、そんな船に乗ることを目指していた時期でした。
悲劇ですね。こうして考えると、サファイアプリンセスがあれほどの火災だったのにもかかわらず、立派に完成したことは素晴らしいことですね。話は変わりますが、今日川崎汽船のVLCC「最上川」が米潜水艦にぶつけられたようです。も〜気をつけてよ!
torakyojinさん、氷川丸が日本郵船の手を離れて保存船になったとき、もう日本郵船の船ではないので別の色に塗り替えようということでなるべく目立つ派手な色のグリーンにしたという話を読んだことがあります。現在の黒になる前にマリンブルーに塗られていたこともありました。
音実さん、ごめんなさい。ご紹介した画像は船の好きなかたにはかなりショッキングかも知れませんね。でもこんな歴史もあったことを知っていただければと…
地図屋さん、ずいぶん昔の話です。準姉妹船のクイン・メリーは保存船として苦しい経営ながらも生き延びて元気で現在に至っていることを考えると不運な船でした。
アントンさん、サファイアプリンセスもといあの当時はダイヤモンドプリンセスの火災事故のときはこの事件がすぐに頭をよぎりました。もう廃船になってしまって第二船は建造中止になるのかなとも思ってしまいました。それを何事もなかったかのように作り上げてしまうのは凄いことですよね。ところで米原潜にはえひめ丸の教訓ってないんですかね?
悲運の生涯でした、それに比べて氷川丸はここまで親しまれたのは幸せだった様な気がします。
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