昔々、薩摩の地からはるか離れた種子島に、たいそう綺麗な娘がおりました。
名は若狭。父親は種子島きっての鍛冶職人でした。
そのころポルトガル人によって島には鉄砲が伝えられ当時の領主は自分たちの手で鉄砲を作ることが出来ないかと若狭の父親らに伝わった鉄砲をコピーすることを命じたのでした。
父親らの鍛冶技術は抜群のものがあり、見る見るうちに西洋の先端技術兵器である鉄砲を完成させました。
ところが本物そっくりの鉄砲も何度か試し撃ちをすると、どうしてもうまくいきません。
銃身の底にネジをつけなくてはいけないのですが、当時の日本にはネジと言うものを作る技術はありませんでした。
そこでポルトガル人のところにその技術を学びに行くと、ポルトガル人の答えは日ごろから自分が目を付けていた美貌の娘を嫁に差し出せば教えてやるとのこと。
国のため、自分の技術向上のため、やむなく父親は若狭をポルトガル人に嫁がせたそうです。
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そんな種子島に残る伝説の姫、若狭姫を船名の由来とするコスモラインの鹿児島〜種子島航路用カーフェリー「プリンセスわかさ」(1844トン、が現在お化粧直しのために宮城県石巻の造船会社ヤマニシでドック入り中です。
この造船所の方から聞いたお話では、今回のドック入りで右舷の開放デッキが一部閉鎖されることになり、右舷側から見た外見がかなり変化するとの事。
どんな感じになるか気になるので描いてみました。
伝説の若狭姫譲りの美貌はどうやら衰えずに済みそうなので一安心。
この船、ブルーの船体と赤い喫水線の間に船の全長に渡って白いラインが細く引かれていてまるでキュナードの客船を思わせる素敵なデザイン。
日本のカーフェリーのなかではわたしの好きな一隻です。
絵はそんなわかさ姫のリニューアル予想図。左舷側も角窓がいくつか閉鎖になり、船内もだいぶ変わるそうです。
背景はもちろん鹿児島の桜島です。
のーむさん、わかさ姫、こんな感じで合ってますか?
さすがに情報部長殿!歴史的エピソードにも詳しいですなァ
南のボケ老人とは、ちがいますますの〜
「わかさ」が帰郷の折には 写真など撮れれば投稿しょうかノ、、
ほぉ。あの船名にはそういった言われがあったのですか。
全体的なシルエットは変わりませんけど、こうやって見るとなんかちょっと四角っぽくなるような気はしますねぇ。桜島の噴火でお化粧直し早々灰かぶり姫にならない事を祈るばかりですw
じゃむオジ殿、いえいえ、実を言うとこの船の名前、種子島に伝わる伝説の姫君だと言うことしか知りませんでした。
今回、絵にするに当たって調べたところ、上のようなエピソードを知ったわけなのです。生まれながらのお姫様じゃなかったのですね。
ぜひ、鹿児島帰港の際は写真をよろしくお願いします!
のーむさん、いろいろありがとうございました。
この絵はどなたかが望遠で撮った写真をベースにしていますので、実際に見た感じより四角く描けてしまったかも知れません。
やっぱりわたしのヘタな絵ではこの船の美しさは伝わりませんね。
あと、ハンドルネームを間違っちゃっててごめんなさい(泣)直しておきました。
種子島!!!!!なんと奇縁な!!!私は高校まで其処で高校まで育ったのですよ。若狭姫は 鉄砲鍛冶 矢板金兵衛の娘でした。中学の教頭先生はその矢板の末裔でした。高校に種子島公の同級生もいました。苗字も種子島でしたよ。最近種子島の中種子高校をモデルにした、「秒速5センチメートル」というアニメ映画が上映されわが母校が、かなりリアルに、描かれていました。私も、絵が好きで油絵、スケッチを楽しんでいます。長くなりました申しわけありません。
初めて拝見しました。隠れた名船がローカルにありますね。本当の船らしいデザインで、伝説由来の名前もなかなかです。
種子島には行った事がありません・・・
今年の鉄砲打ちは終わりました。
トシさん、はじめまして!コメントありがとうございます。
そうですか、若狭姫や種子島公の子孫の方たちと一緒に過ごしてきたなんてすごいですね!驚きました。
これからもどうぞよろしくお願いします。
たかまるさん、たしかに隠れた名船かも…こんな南の島に行く船が東北の造船所で造られていたのも面白い事実です。
鉄砲で?…何を打っていたのですか?
旧わかさ丸について何か知りませんか!?
気になり調べても何も分かりません…
まぁさん、わかさ丸は九州商船が1970年5月に鹿児島〜屋久島〜種子島航路に就航させたカーフェリーで総トン数943トン、2004年12月に引退。
すみません、この程度の事しかわかりません。
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