先日、浜松町で行われた公共交通関連の同人誌のイベントに「保存船舶」の即売で参加した際に、大阪からやって来た「関西汽船ファンクラブ」の方と少しお話しする機会がありました。
そこのブースに並べてあった懐かしい関西汽船フリートの写真を見ながら出た話は…
「さんふらわあのペインティングもいいけど、やっぱり関西汽船で一番魅力的だったのはオリーブグリーンの船体塗装の純客船だよね」と言うもの。
この船体塗装色は同社創業以来のシンボルカラーなのですが、この色を使っている同社の船は松山〜小倉航路の僅か一航路になってしまいました(フェリーくるしまとフェリーはやとも2)。
もちろん全てカーフェリー化され、純粋の客船は今は存在していません。
そんな関西汽船の瀬戸内海観光定期航路が華やかだった時代。
以前このブログで同社最後の純客船である「あいぼり丸」 の絵を描いてみましたが…
今回は戦前、戦後を通じて同社でもっとも美しいと言われた「こがね丸」(1859トン)です。
昭和11年(1936年)、船舶工学の権威、和辻春樹博士のデザインで当時の大阪商船の阪神〜別府航路の客船として完成。
東の東京湾汽船「橘丸」と並んで国内航路の花形として活躍しました。
戦後は新たに設立された関西汽船に移籍、1971年に引退するまで、瀬戸内海を数多くの観光客を乗せて走り続けました。
そのスタイリングは同社の阪神〜別府航路で戦後初めて建造された「くれない丸」(現ロイヤルウイング)クラスのデザインに強い影響を与えているように見えます。
ちなみにわたし個人的には同社の客船のなかでは「くれない丸」のデザインが一番好みです。
がんばれ! ロイヤルウイング!
PUNIPさん、これは懐かしい絵ですね。関西汽船のグリーンの船体は思い出されます。ありがとうございます。 神戸のまつ
冗談で書くわけではないのだけれど 黄金色、よかネ〜♪(長崎弁)
こういった色合いのお船が居た時代があったのですね。(^@^*
関西汽船は 四国や神戸に住んでいた事があるゆえに なんだか近しい気持ちになって拝見できました。Pochi
こんな美女が昭和11年生まれ・・1971年に引退ですか・・
記憶にないのが悲しいなあ・・・
まつさん、関西の船ファンには懐かしい船体の色になってしまいましたね。なんだかさみしい気がします。
とんとんしゃん、関西汽船の船は伝統的に船名に「色」に関する名前をつけることになっています。
「くれない」とか、「あいぼり」とか「こはく」とか・・・そのなかでも一番派手な船名ですね。
こんな船が昭和の瀬戸内海を走っていたんですよ〜
音実さん、残念ながらこの船は広島には寄港しなかったと思います。
でも神戸ではもしかしたら見かけたことがあるかも知れませんね。
古きよき時代のお船です。
この船私が幼稚園の時一回だけ大阪より松山まで乗船しました。
何分幼すぎるので、かすかに松山で大きな船やなーとしか覚えていませんが、、
sumireさん、当時の瀬戸内海航路の船としてはかなり大きなほうだったのでしょうね。
私が4才から12才位まで、毎年両親の里
の大分県の臼杵市、そして2年に一度神戸につれていってもらった、懐かしい船です。その当時、るり丸、にしき丸、こがね丸がありまして、こがね丸が一番大きかったと思います。あやふやな記憶ですが2000トン位だったかな。夏休みとか、冬休みなどいつも混んでいて食堂や甲板に寝たのを、覚えています。
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