「氷川丸」の日本一周クルーズを描いていて、舞鶴まで来てふとこの船のことを思い出しました。
戦前の大阪商船の神戸〜門司〜台湾(基隆)航路に就航していた貨客船「高砂丸」(9315トン、1937年三菱長崎建造)です。
戦争によってほとんどの日の丸船隊が失われた中で、「氷川丸」と同様に病院船として徴用された事によって戦火を免れて生き残った貨客船のうちの一隻で、やはり戦後は復員船として大陸と舞鶴のあいだを往復して数多くの引き揚げ家族を運びました。
二本煙突の堂々たる船容で見ようによっては生き残り客船の中では一番大きかった「氷川丸」よりも大きく見えるような美しい船でしたが、引き揚げ活動従事後はさしたる活躍もせず、1956年に寂しく解体され、その20年に満たない短い生涯を閉じています。
台湾航路時代に母港としていた神戸で保存船になってくれていれば・・・なんてどうしてもそんなふうに考えてしまうのですが・・・
「氷川丸」一隻だけでも現代まで生き残ったということ自体が奇跡的な事実なのでしょうね。
高砂丸、は現在、日本郵船のタンカーの名前になっていますね。
とんでもねえさん、お久しぶりです。
そうなんですよ。日本郵船の船の名前になっているのはびっくりしました。
そんなこともあるんですね。
船名の由来は全然違うのかな?
それとも命名者が単に知らなかっただけなのかも・・・
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