昨年10月まで青函航路に就航していた高速フェリー「ナッチャンworld」が横浜にプロモーション(?)で来航して話題を振りまいておりますが・・・
今を遡ること100年以上前、つまり1907年の12月26日、横浜に上のイラストのような青函連絡船がやってきました。
今のJRのルーツとも言うべき当時の鉄道院(日本鉄道会社)がイギリスのデニー&ブラザース造船所で建造した日本最初の蒸気タービン船かつ青函航路最初の本格高速連絡船の「比羅夫丸」(1480トン、1907年建造)です。
青函航路デビューに先立ち、英国からの回航途中に最初に入港した日本の港が横浜だったわけですね。
それまで旧式の蒸気レシプロエンジンの小さな客船が民間(といっても今をときめく日本郵船ですが)の手によって細々と運航されていた同航路にやってきた、当時最新鋭の蒸気タービンエンジンを搭載した高速客船は人々の注目を集めました。
そんな生い立ちは「ナッチャン」姉妹とどうもイメージがかぶるところがあるのですが・・・
こちらも就航当時は大活躍したものの、鉄道連絡船とはいっても単なる貨客船で貨車を自走して積載できるわけではなく、やがて日本最初の鉄道フェリーである初代「松前丸」の就航でその地位を奪われ1929年に大阪商船に売られていきました。
それでも津軽海峡を走り続けて21年、十分な働きをしたと言っていいでしょう。
聞くところによれば「ナッチャン」姉妹も夏の繁忙期のみ一日一便限定での復活も検討中とか・・・
出来れば末永い安定航海を願いたいところですが・・・難しいかなぁ。
名前の由来が気になりますね♪
漢字名が 不思議にイメージをかき立てます(^@^*
PUNIPさま
こんにちわ。
国鉄青函連絡船の華々しい幕開けを飾った記念すべき船ですね!
姉妹船の「田村丸」とともに津軽海峡に登場した当時には、タービン船の速さのインパクトの強さに、函館や青森に「タービン洋服店」や「タービン靴店」など、「タービン」を屋号に使ったお店が出現したというのは“その筋では”(笑)有名なお話ですね。
青函航路末期に活躍した津軽丸型の所要時間が3時間50分であったのに対し、その80年前に4時間フラットで結んでいたのですから、その速さたるや、人々へのインパクトはすごかったでしょうね。
速さといえば「ナッチャン」姉妹。繁忙期のみながら復活を検討中なのですか。できれば年間通してあの流麗な姿を津軽海峡に見せてもらいたいものですが、厳しいのでしょうね・・・。
では、失礼します。
いつも見てはため息をついています。ステキは船を書かれていますね・・・
とんとんしゃん、「比羅夫丸」は歴史上の人物、阿部比羅夫にちなんで名づけられたそうです。もう一隻の姉妹船は坂上田村麻呂にちなんで「田村丸」と名づけられました。
あんまりメジャーな歴史上の人物では無いですけどね。
鉄軌星斗さん、「タービン」が速さの象徴で店の名前にもなっていたのですか・・・面白いですね。
最近、「ナッチャン○○店」って言う名前のお店が函館に現れたりしたなんて事実は無いでしょうか?(笑)
ミーヤーさん、ご訪問&コメントありがとうございます。
いつも同じようなイラストばっかりですがこれからもどうぞよろしくお願いします。
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