戦前の大阪商船、幻の大阪〜大連航路貨客船 「筑紫丸」(8136トン、1943年建造)です。
なぜ幻かっていうとこの船、ちゃんと完成したにもかかわらず、実際にこういう美しい姿で就航することは無かったからです。
この大連航路の花形だった「黒龍丸」クラスの改良型で当時の造船工学の天才であった和辻春樹氏の手になるスタイルもさらに洗練され、トン数も800トンほど増加。当時としては最新鋭の貨客船でした。
しかしながら建造中に太平洋戦争が勃発、海軍に徴用されて例のごとく特設潜水母艦に改造。
奇跡的に戦火を逃れて終戦を迎え、復員船としてしばらく活躍しましたが、最後までこの塗装に塗られることは無く、遠くパキスタンに売られていきました。
以前にも何度か書きましたが義父が戦前に何度もこの大連衡路を利用していたせいか、どうもこの航路の船には親近感が湧いており、先日船の科学館でこの船の姉妹船「浪速丸」(未完成)の模型を見たのをきっかけに描いてみました。
絵としてはまだ未完成、これから手直しをして背景をつけて仕上げていきます。
さすがは和辻先生。約70年後に見ても美しいスタイルです。あるぜんちな丸にも似ていますね。
TBいたしました。ポチです。
「生まれたときが悪い〜のかぁ〜、それとも・・」という「昭和ブルース」が聞こえてきそうな船ですね。日本にはこういう、海よりも時代の波に翻弄された客船が多すぎる。大連航路なら時代の波がなければ生まれなかった船かもしれませんが。
ブルワークで囲まれたオープンデッキは台湾航路の船にも似ていますね。
私の造船所には、昨日NDLのPotsdamの材料が届きました。この船にも実現しませんでしたが、ドイツでの航空母艦への改造計画があったそうです。
ふねきちさん、もう少し煙突を短くしてブリッジ下の遮浪甲板をガラス窓にすると初代「あるぜんちな丸」クラスとそっくりになります。
ま、同じ船会社、同じ設計者ですからね。似てて当然かな?
Berlinerさん、大連航路は当時の大阪商船の花形航路でしたからね。こういった優秀な船がどんどん投入されていったわけです。戦争直前は「あるぜんちな丸」まで就航していたらしいですから・・・それがみんな軍事投入されてしまうのですね。
「ポツダム」は姉妹船の「シャルンホルスト」みたいな運命にならないだけでも良かったのでしょうか?模型の完成を楽しみにしています。
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