東京、お台場、船の科学館の保存青函連絡船「羊蹄丸」がどうやら生き延びることになりそうだということがあまりに嬉しくて、写真アップだけでは飽き足らず、その写真をベースに現役のときの函館での姿を絵にしてみました。
筋金入りの青函連絡船ファンの方からは「ここも ちげ〜よ!」という声が出そうな気がしないでもないですが、なんせ悲しいことに現役の姿を全く見たことが無いもので、なにとぞご容赦を・・・
それにしてもなんて季節はずれな設定の絵なんでしょうね・・・これを描きながら口ずさんでいたのは函館出身のロックグループ、GLAYの「Winter Again」だし・・・
さて、肝心の新しい保存先は10月一杯で決定するとのこと・・・
先日のわたしの記事にいただいたコメントに「関東でただ一か所保存してもらいたい場所がある」とレスしたところ、その後つうせいさんが見事に当ててくれましたが、わたしの一番の保存希望場所は神奈川県横須賀市にある旧浦賀船渠のドックです。
ここは2003年をもって閉鎖されてしまいましたが、日本有数の古い造船所であり、なんといっても羊蹄丸」の同形姉妹船である「津軽丸」「十和田丸」が建造された場所でもあります(帆船の「日本丸」なんかも建造ね)。
もしかしたらこの「羊蹄丸」も一度ぐらいは修理で入渠したことがあるかも知れません。
現在、再開発が計画されていて、整備して博物館や公園になるとか・・・明治時代に造られた石積みの第一号ドライドックに保存されれば、この再開発の大きな目玉になるのではないでしょうか?
ドックの水を抜いた状態での保存がその後のメンテナンスを考えてもやはりベストでしょうね・・・青函連絡船の浮かんでいる姿は函館や青森に行けば見られるわけだし・・・
でもって、もしここがダメなら第2希望としてはこの船の生まれ故郷である大阪の桜島地区・・・ちょうどクルーズ客船が停泊する天保山ターミナルの安治川を隔てて対岸ですね。
現在、この船が建造された造船所はテーマパークになってしまいましたが、このUSJに遊びに来た人の何パーセントかはこの「羊蹄」丸の見物に呼び込めるかも・・・
それになんといっても阪神大震災後に解体されてしまった神戸の「進徳丸」以降、保存船不毛の地と言われた関西地区に久しぶりの朗報をもたらすことでしょう。
その運命の結果発表まであと一か月半・・・お願いだから、外国にだけは行きませんように・・・
PUNIPさま
こんばんわ。
この作品、拝見した瞬間、涙が出そうになってしまいました。
バウスラスターの駆動音、ウインドラスの巻上音、そして、吹雪の中に響く長声一発!
蛍の光を聞きながら出航する青函連絡船のワンシーンが、見事に蘇りました。
津軽丸型の美しい船体が吹雪の函館港に居る風景は、本当に絵になります。
「ここも、ちげーよ!」なんて言いませんよ!(笑)
タグボートもいいアクセントになっていいじゃないですか!
BGMもいいですね。
8cmCD時代のシングルが、うちにあります(笑)。
久しぶりにPVを引っ張り出して来ようかな?
実は以前、GLAYのファンクラブに入ってたんですよ…。
♪逢いたいから、恋しくて、あなたを想うほど…
まさに、9月中にはもう東京へ行けない、羊蹄丸に逢いに行けない私の心境です。
見事な作品にしてくださったPUNIPさんに感謝です。
では、失礼します。
鉄軌星斗さん、ありがとうございます。
どうしても青函連絡船というとこういった冬のシーンを描きたくなってしまいます。今回は補助汽船の「ひうら丸」にもスポットを当ててみました。
GLAYは妻が一時期ハマってまして…(笑)、わたしもなんとなく覚えてしまった中でも好きなのがこの曲です。
本来ならこういう絵のBGMは「津軽海峡なんとか…」なのでしょうけどね。
昔、学生の頃好きだった女の子に会えたような気分の素晴らしい絵!
涙が出そうに嬉しいです。ありがとうございます。
出港時、いつも最後方の甲板に出て連絡船独特の岸壁を見、少し離れたら前方へ移ってタグの動きを観察していました。(就航から大分しばらくは、どの船も乗用車を運んだりしてなくて、後方オープンデッキはかなり後ろまで行くことが出来ました)
冬の青函連絡船は歌にもあるように、一番絵になり情緒があります。
函館到着時など、時々あまりに「しばれる」ため、プロムナードにあった乗下船口のスライドする側板が凍ってしまい、乗員がホースから熱い蒸気をかけて着氷を溶かして開ける「情景」も観ることが出来ました。冬には船上の食堂「海峡」で食べる海峡ラーメンの美味かったこと。
すみません、Glayて名前だけは知ってますが、なんで青函連絡船の話に出てくるのですか? 当然のことながら「。。。冬景色」は良ーーく知っておりますよ。それよりも羊諦丸の船内アナウンス、タグとの連絡用の汽笛のやり取りが、はっきりと聞こえてきました。
本当に素晴らしい作品をありがとうございました。ジェームス
いつもながら架空のこととは言え、Punipさんの構想力には感心させられます。(先般のにっぽん丸三代も)浦賀工場には勤務していたこともあり、ここに決まれば嬉しいですが、資金的な裏づけが必要ですね。私が関係している桜木町の初代日本丸も市民の理解があるからこそ、ナントカ持ちこたえています。明治丸や氷川丸をみても船の保存の難しさを感じます。国民全体がもっと海事に関心を持って欲しいものです。少々固い話で失礼しました。
青函連絡船大好きのジェームスさんにも気に入っていただいてよかったです。実際に乗船された方にはこの絵の光景はしっかりと瞼の奥によみがえってくるのかも知れませんね。
そんなふうに感じてもらえると描いたほうとしてはとても嬉しいです。
ちなみに今や日本を代表するロックグループ(ここんとこ少し落ち目?)のGLAYは青函連絡船引退の年である1988年に函館で高校生バンドとして結成されたのですが、直接の関連性はありません。
なんとなく函館〜雪〜冬からの連想で口ずさんでしまったものです。
SEA BIRDさん、ありごとうございます。
たしかに資金的なものが一番問題ですよね。それだけに40社近くもこの船の引き取りに手を挙げたということがいまだに信じられません。
本当に船の保存の大変さ、難しさを判っていて手を挙げているのかなぁとも思ってしまいます。
なんとかしっかりした団体で引き取ってくれるといいのですが…
こんばんは、こちらではご無沙汰しております。
羊蹄丸・・・凄い・・・です。
現役時代を見たことない自分が言うのもおかしいのですが、北国の景色や空気、こんな雰囲気だったんだろうなと、何か絵の中に吸い込まれてしまうような‘気‘を感じます。
昔、時刻表を読めるようになってあちこち誌上旅行プランを練るようになった頃、連絡船を介さないと渡れなかった北海道は今より心理的にずっと遠い場所で、それ故の憧れも大きなものだったことを思い出しました。
来島ゆうさん、わたしも現役時代を見たことがありませんので、想像で描くしかなかったのですが、気に入っていただけて嬉しいです。
冬の海は“男の仕事場”って感じがしますね。
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