戦前、戦後を通じて英国〜インド〜極東航路に就航し、もちろん神戸や横浜にもたびたび来航していた英国P&Oラインの貨客船「カントン」CANTON(16033トン、1938〜62)をアクリル絵の具で描いてみました。
英国のオーシャンライナーにしては小ぶりのサイズで均整のとれたデザインが何とも魅力的で、日本郵船の「照国丸」クラスといいライバル関係にあったことでしょう。
ちなみにこの絵の黒い船体に同じく黒い煙突はそういった戦前の同社のもので、戦後は現在のP&Oクルーズまで継承されている白い船体に、薄い黄色の煙突に変わっています。
この絵は深い霧の中から現れた・・・という設定で描いてみたのですが、ちょっと霧っぽさが足りなかったかもしれません。
でもあんまり深い霧に閉じ込めちゃうとせっかく描いたのに何の船なのか分からなくなっちゃうしなぁ・・・それじゃなくてもマイナーな船なのに・・・
さて、今年日本にやってくるP&Oクルーズの客船は「オーロラ」(76152トン、2000年建造)一隻のみ、しかも大阪(3月7日)と長崎(3月9日)だけという寂しさです。
去年も「アーケイディア」1隻だったし、一昨年も「アルテミス」1隻だったし・・・
傍系のプリンセス・クルーズはご存じのとおり日本市場で大活躍しそうなのですが、70年代の大さん橋のように毎月何隻もの黄色い煙突の客船が停泊していた時代はもう訪れそうもないですね。
こんばんわ。
カントン貨物船、貨物船ですがスマートですネ。ナイス
michael380さん、ありがとうございます。
でもこの船は記事にも書いてありますように「貨物船」ではなく。乗客と貨物の両方を乗せる「貨客船」です。
「貨物船」は法律上12名までの乗客を乗せることは可能ではありますが、基本的には貨物専用の商船のことで、通常は乗客を乗せることはありません。
ですから貨物船はこの絵のようなたくさんの窓や救命ボートは持っていないんですよ。
少なくとも遠洋航路では貨客船なんてカテゴリーはほどんど絶滅してしまいましたし、貨物船が客扱いなんて面倒なことをやる時代でもなくなってしまったので、せめて我々が、こんな船が、とか、こんなサービスが、とか、記憶と記録に留めておきましょうね、PUNIPさん。
CANTONは、〜62年ですから私も実物は見ていません。
照国丸かあ・・・言われてみて思い出すこともあります。
70年代の大さん橋は形は違えど 同じ場所に存在して 多くの客船が出入りしていたはずなんですよね 私は当時はおばかさんな子供でしたので 何も知らない 見ないまま過ごしていました 思えば住んでいた場所からIHIの造船所も肉眼で見下ろす丘の上でしたが 当事は電車や車に眼のいく普通の子供でしたので 知らないまま見過ごしていたのでしょうね そもそも大さん橋に入ったのが20歳ぐらいで初めてでしたし^^; 近くに住んでいながら 何をしてたんだか・・・惜しいことです
正統派のきれいな船ですね。黒のファンネルもしぶくていいです。
私のお気に入りになりそうです。
こんにちは。
神戸にも来たんですね。
昔の客船は、今の客船よりも煙突が大きいいですね。!
ナイスです。
僕が打ちました。
ARcadiaさん、そうですね。当時はあくまで渡航手段としてこうした船で貨物と一緒に乗っていったわけで、それゆえこうした貨客船や乗客も乗せる貨物船が存在していたわけですが、時代は変わり娯楽として船に乗るようになるとこうしたオーシャンライナーの存在価値はなくなってしまいました。
おっしゃる通りいつまでも記録と記憶にとどめておきたいものです。
yuさん、わたしたちの子供時代はいまよりずっと小さくて、狭くて、娯楽も少なくて、でも夢と希望に溢れた世界各国の貨客船がたくさん大さん橋に泊まっていました。
そんな時代があったことを後世に伝えていきたいです。
s4s*s4s*1さん、どことなく「オリエンタル・クイン」に通じるものがある伝統的な英国客船のデザインです。
いつか機会があったら1/1250を造ってみてください。
フネ双子さん、今の煙突は中に細い煙突の管(排気管)がたくさん入って出来ていますが、このころの船は煙突自体が一本の太い排気管の役目をしていたんですよ。
これよりもっと大きな煙突を持った船もありました。そのうち絵で描いてアップしますね。
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