今年の夏ごろ、このなつかしの日本客船という書庫で東京船舶の貨客船「日昌丸」のイラストをアップしたところ、うれしいことにかつて東京〜釧路間に就航していた貨客船に乗船したことがあるという方からコメントをいただきました。
う〜ん、いただいた文面からしてどうやらこの「大雪山丸」(3962トン、1960年建造)みたいだぞ…って超自分勝手な判断でイラストにしてみました。
え〜と調べてみるとこの船、戦後に日本郵船が戦争生き残りの「雲仙丸」(3140トン、1942年建造)を使って行っていた東京〜釧路航路が1954年休止されたのに伴って当時の三井船舶が運航を始めた同航路の最終船のようです。
この航路は都合4隻の貨物船と貨客船を使ってデイリーで運航されていたそうで、もう一隻の貨客船「十勝山丸」は先の記事のコメントではこの「大雪山丸」の姉妹船と書いてしまいましたが、それはわたしの認識不足で実はもっと古くて3千トン足らずの小さな船みたいです。
絵は1963年に三井船舶と大阪商船の合併に伴って設立された商船三井近海(株)に移籍したのちのおなじみMOLカラーで描いてみました。
デスクスタンドの明かりを正面から浴びて描いていたのでおもわず絵も逆光になってしまいました。ごめんなさいです。
それはさておき、ご覧になってお分かりのとおり、ハウスの大きさからしてかなり貨物比率の高い船に見えますが、実際にも乗客定員は1等12名、2等30名とわずかなもの…
いいな〜 こんな船だったらとってもアットホームな船旅が味わえるんだろうなぁ
乗ってみたかったなぁ〜
結局、1972年に同じ商船三井グループの日本沿海フェリーが東京〜苫小牧間に長距離フェリー航路を開設したため、そのままお役御免となってしまいました。
その後、台湾に渡って貨物船として活躍したそうな…
まだ元気でいるといいですね。
東京・釧路は近海郵船が長距離フェリーを運航していました。映画「幸福の黄色いハンカチ」にも登場します。
懐かしい船です。柳原良平さんの「第2船の本」に乗船記が掲載されています。当時(昭和46年頃)、この乗船記を読んで船旅に憧れました。早速、品川埠頭へ本船を見に行きましたが、道に迷い埠頭へ行きつかず引き返した記憶があります。今、改めて「船の本」を読み直しています。
ooyubari9201さん、近海郵船の「まりも」は以前に描いています。
http://blogs.yahoo.co.jp/tim_nakins/63081457.html
日本沿海フェリーには乗船しましたが、結局こちらは乗れず仕舞いでした。
SEA BIRDさん、そういえばわたしはその本を持っていないのですが、読んだ覚えがあります。
おかげで思い出しました。
こんど、横浜の博物館の図書室でも行って探して読み返してみたいですね。
ありがとうございました。
ワタシが北海道に通い始めた頃、釧路航路もチェックしていましたが、結局、近海郵船時代も含めて、同航路には乗船の機会はありませんでした。
三井時代の船は船影も見た記憶がありません。こんな船だったんですか。
ここ(http://blogs.yahoo.co.jp/italy_maru/9033790.html)に台湾時代の大雪山丸があります。
それにしても、撮影記録といい、消息といい、ご存知の方はおられるものだとあらためて感心。
ARCadiaさん、ありがとうございます。ご紹介いただいた方のブログは事前にチェックしてありました。
この絵の細部を描く上での参考にもさせていただいてます。
たしかにこんなマイナーな貨客船を撮影し、消息まで調べてしまうなんてすごいですよね〜。
父母が北海道出身だったため中、高、大学時代何度となく青函連絡船で行きましたが、その内乗ろうと思っていたら乗り遅れました。
その後の、サブリナ、ブルーゼファー等にも乗り遅れ、いまだに船で北海道に渡ったことが有りません。
一度、品川埠頭へ見に行きましたがカメラを持って行かず写真が無いのが大変残念です。
JTBの時刻表にも載ってました。もう解体されているでしょうね。
Punipさん、懐かしの船をありがとうございます。
ジェームス
ジェームスさん、何度も東京から直接北海道に渡ったことがあると思っていたのですがそうではなかったのですね。
フェリーも含めてこうした東京〜北海道の旅客航路が廃止されてからもうずいぶん経ってしまいました。
もうこういう航路は現れないでしょうね。
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