自己紹介を兼ねて、私のはじめてのクルーズ旅行について書きたいと思います。
2000年、母と祖母が、添乗員付ツアーでエーゲ海・アドリア海クルーズに参加する予定でした。ところがユーゴスラビア紛争の影響で、アドリア海周辺のツアーがほとんど中止されていたため、個人手配に切り替え、添乗員役として私もついていくことに。元々参加予定だったのがコスタクルーズだったので、同じクルーズを選択。3人目は半額だし、ま、いっか、という感じでした。
私は海外をひとりで1~2ヶ月放浪するようなバックパッカーだったので、個人手配は慣れていましたが、クルーズは初めて。
今のようにクルーズ旅行を扱う代理店も多くなく、ネット検索で見つけたのは、設立間もないクルーズプラネット社。母が直接会社までクルーズ代金を支払いに行ったのですが、そこはなんとHISの澤田社長(当時)の豪邸。対応してくれたのはクルーズプラネットの社長(当時)である奥様。クルーズプラネットがHISの関連会社とは知っていましたが、まさかご自宅とは…。
乗船したのは、5万トンクラスのコスタ・クラシカ。行程は、ベニス出港、バーリ(アルベロベッロ)、カタコロ(オリンピア)、ミコノス島、サントリーニ島、ロードス島、ドゥブロブニク、ベニス帰港。色々経験した今でも、一生に一度のクルーズならこのルート、と思います。
部屋は16平米くらいの丸窓ステート。3人目はコーヒーメーカーなどの置かれたカウンター横の折りたたみ式ベッドで、背の低い私でも身体を折り曲げて寝る感じ。
また、今では船会社主催のツアーは事前にネット予約ですが、当時は船内でカウンターに行列して予約。ツアーに出る前にはシアターに集められて下船順を待ちます。テンダーのときは外に出るまで1時間以上かかることも(これは今もあまり変わらない?)。
アナウンスはイタリア語がメインで、英語はスペイン語に次いで3番目の扱い。注意していないと聞き逃してしまいそうで、たいへんでした。
食事については、とりあえず、パスタならハズレがなかった記憶があります。当時は日本人の乗船がめずらしかったためか、船長主催のディナーでは、船長から、「今回は日本人が乗っています!(拍手!)」と紹介されたりもしました。
寄港地がどこもすばらしく、母娘3世代、忘れられない旅になりましたが、このときは、また絶対クルーズ行きたい!、とはなりませんでした。添乗員役として気を張り英語を聞き取るのに必死、部屋が狭い、ベッドが小さい、ひとが多くてたいへん、というマイナスのイメージも強かったからだと思います。
それから時が経つこと10年余り。2011年、非日常の別世界(と感じた)、シーボーンクルーズと出会い、以降、その魅力にすっかりはまってしまうことになるのでした。
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