世界三大運河の最後は、「キール運河」です。
実は「キール運河」というのは通称。 ドイツ本国での正式呼称は、 「Nord-Ostsee Kanal(北海バルト海運河)」 キール運河(Kiel Canal)とはユトランド半島の根元にある、北海とバルト海を繋ぐ運河。 最初に北海とバルト海を繋いだのはアイダー運河(Eiderkanal)である。アイダー川を拡張し2つの海を結んだもので、1784年に完成した。この運河は幅29m、深さ3mしかなく通れる船が喫水の浅い船のみに制限されてしまっていた。 1887年には新運河の建造が開始され、1895年に完成した。その後、1907年と1914年に運河は拡張された。
◎北海とバルト海を結ぶキール運河 北海とバルト海の間の通商は、デンマークのユトランド半島を回り、幅20数㎞のズンド海峡を通るコースで行われたが、ユトランド半島沖は波浪が荒いうえ、狭いズンド海峡では、デンマークが高い通行税を課していたため、ハンブルクやリューベックなどのハンザ同盟諸都市は、協力してキールからアイダー川にぬける小さな運河をつくった。 その後、16世紀中ごろのクリスチャン三世なども大きな運河を計画したが、実現しなかった。1784年にようやく汽船の航行できる運河が完成した。これは大いに通商に役立っただけでなく、運河の水は周辺の灌漑にも用いられ、シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン地方の農業生産を高めた。 ドイツのビスマルクは1863年にデンマークを破って、シュレスヴィッヒ・ホルシュタインを併合し、キールをドイツ海軍最大の基地とした。ドイツは戦艦が直ちに北海にぬけられるようにすることを意図して、1886年に新運河の建設に着手した。新運河はキールからレンズブルクまでは旧運河を拡張し、その先はアイダー川ではなく、南のエルベ川のブルンスビュッテルにぬけるルートを開いた。運河は9年の歳月を費やして、1895年に完成し、皇帝ビルヘルム二世は、祖父の名に因んでカイザー−ビルヘルム運河(Kaiser Wilhelm kanal)と命名した。 この運河によって、北海とバルト海の間の航行距離が約322km短縮され、また、ユトランド半島沖の航行困難な水域をとおらずに航海できるようになった。 その後ドイツが大型戦艦を建造すると、これを通すために運河の拡張工事が進められ、第一次大戦中に完成した。ドイツの敗戦で結ばれたベルサイユ条約では、この運河は、ドイツの主権下におかれるが、すべての国の商船に通行権を与えることが定められ、今日に至っている。
有名な懸垂式フェリー
シュレスビヒ・ホルシュタイン州を横切って、エルベ川河口近くから北東方向に、バルト海に面したキールまでのびている。きわめて高度差が少ないため、水門は北海とバルト海にでる端の部分にあるだけで、これは潮の満ち干に対応するためのものである。 全長:98,637 km 幅:最大 162m(一部 102.5m) 水底幅:最大 90m(一部 44m) 水深:11m ロック ・旧ロック 長さ:125 m 幅:22 m ・新ロック 長さ:310 m 幅:42 m 通行可能船舶 長さ:235 m 幅:32.5 m 水上部の高さ: 40 m 喫水: 9.50 m
関連サイト
http://www.kielkanal.de/
http://www.kiel-canal.org/english.htm
船舶の制限がきつく、とりわけ、高さが低い為、昨今の大型クルーズ船は殆ど通行不可能
となってしまっています。郵船クルーズも飛鳥2になって通行できなくなってしまいました。
キール運河といえば、にっぽん丸の写真がかなり出回っています。
写真家の佐藤秀明先生の作品。皆さんも目にしたことがあるのでは?
さて、三大運河のご紹介も終わりました。
次はとても特徴のある運河をもう一つご紹介したいと思っています。
お楽しみに。
かなり勉強になりましたので傑作押しておきましたo(^-^)o日本でも鹿島港と東京湾を結ぶ運河の計画がありましたけど立ち消えしちゃったのかしら。。
大変勉強になりました。3大運河までは知っていたのですが。次の特徴ある運河、期待しています!
傑作、ありがとうございます。こういうネタで傑作を戴くっていうのははじめてかも...(^^;) 東京湾と鹿島、川をうまく使えばできそうな気もしますけどね。でも、大型船を航行可能にしようと思ったら大事業になってしまいそうです。需要があるかどうか...そのあたりなんでしょうね。
決して大きくは無い日本のクルーズ船でも通れないような運河なので。おそらくご存知の方は少ないでしょう。でも、話の種には良いと思いますので記事にしますね。お楽しみに。
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