その3です。
操舵室
神棚
津軽海峡ではさぞかし活躍したんでしょうね...
時代を感じる...
スラスタは付いてたんですね...
※参考
最後の青函連絡船達
津軽丸(2代目):
1964年5月10日就航
1983年3月に北朝鮮に売却。その後再び転売されメッカ巡礼船となったが、エジプト政府に差し押さえられた。1998年に係留中に火災が発生し、同年12月14日にスエズで解体された。
※ちょっと無残な絵ですが... -> http://www.faktaomfartyg.se/tsugaru_maru_1964.htm
八甲田丸:
1964年8月12日就航
青森駅北側の旧桟橋に係留され、「メモリアルシップ八甲田丸」として見学可能。
松前丸(2代目):
1964年12月1日就航
北朝鮮に転売。数年間元山港に係留されていたが解体された。
大雪丸(2代目):
1965年5月16日就航
札幌五輪の聖火輸送船
長崎港でホテルシップ「VICTORIA」として使用されたが、2005年12月20日営業終了
摩周丸(2代目):
1965年6月30日就航
函館駅近くの「函館市青函連絡船記念館摩周丸」として見学可。
羊蹄丸(2代目):
1965年8月就航
終航後は ジェノヴァ国際博覧会 日本館パビリオンとして使用
現在は船の科学館の「フローティングパビリオン羊蹄丸」として見学可。
十和田丸(2代目):
1966年11月1日就航
1990年3月にクルーズ客船「ジャパニーズドリーム」となる
その後、フィリピンのマクタン島にホテルシップとして係船されている(営業休止中)。
大抵の乗り物の運転には席があるのに どうしてお船は立ったままで
操舵しなくちゃいけないの?
外側はなんども見たことがあるんですが・・中はこうなっているんですね〜。今でこそ新幹線が当たり前のように青森〜函館を走っていますが、当時は大活躍だったことがわかります。
青函連絡線は、なぜだかさみしいイメージ(極寒の)があるのは私だけでしょうか・・(笑)
確かに…
日本の客船って、シートが無いですね。
まぁ、殆ど自動操舵ですから、始終人が立っている訳ではないのですけどね。
"寂しいイメージ"、他の乗り物と比べても、船って独特な感じがあると思いますよ。後はやはり"津軽海峡"のイメージが重なるんでしょう…
地元の方はそんな事はないのでしょうけど、世の一般的なイメージはやはり"冬景色"なんだと思います。
懐かしい・・・・操舵室はよく遊びに行きましたね〜〜(笑)
30年前ですが。。。。あの頃は若かった〜〜〜(爆笑)
津軽丸がそんな数奇な運命をたどったとは知りませんでした。
それなら日本で解体してやればよかった思ったりしますね。
十和田丸がジャパニーズドリーム号として横浜と神戸間を
走ったのは覚えています。短い間でしたが。
チロやんさん、遊びに行ったって...(^^;)
武勇伝がありそうですね...
JDは結構印象に残ってる方が多いようですよ。
やはり目立つ航路だったからなんでしょうね。
今だったらまた別の意味で脚光を浴びたかもしれませんね。
すごい迫力ですね^^
入場料分(\500-)の価値はあると思いますよ。
もっと皆さんに見てもらいたいです。
停泊している船でときどき船内に入れるイベントがありますね。
見学会とかですか?
まぁ、客船以外の現役の船だと、そういうことでもない限りなかなか乗れないかもしれませんが...
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