
mr. minamiku
2026年1月13日21日間 / 20-Day Voyage Santiago de Chile to Buenos Aires
寄港地ではなく、そこを航海して通過する工程でしたので、様々な風景をみることが出来ました。2日間にわたっての航海ですが、サン・ラファエル湖のアンカーも入れると3日間自然の中でゆったりとした時間を過ごすことに成りました。マゼラン海峡やビーグル水道を帆船の時代に見つけて航海したことに、人類のたくましさを感じました。
寄港地での過ごし方
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全18件

mr. minamiku
2026年1月13日21日間 / 20-Day Voyage Santiago de Chile to Buenos Aires
寄港地ではなく、そこを航海して通過する工程でしたので、様々な風景をみることが出来ました。2日間にわたっての航海ですが、サン・ラファエル湖のアンカーも入れると3日間自然の中でゆったりとした時間を過ごすことに成りました。マゼラン海峡やビーグル水道を帆船の時代に見つけて航海したことに、人類のたくましさを感じました。
寄港地での過ごし方

mr. minamiku
2026年1月13日21日間 / 20-Day Voyage Santiago de Chile to Buenos Aires
サン・ラファエル湖は、小型の観光船しか入る事が出来ない氷河が流れ込む湖で、船が手配した、カタマランによるエクスカーションに参加しない限りは、アンカーリングした船の上での休日となりました。今回は、南極でもチリのフィヨルドでも氷河を見る事が出来るので、我々は船の上でのんびりと過ごしました。
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mr. minamiku
2026年1月13日21日間 / 20-Day Voyage Santiago de Chile to Buenos Aires
チャカブコは人口1500人ほどの小さな港町で、アイセンやコヘイヤという北部パタゴニアの入り口にアクセスする街でしたが、クリスマスの日という事もあり、集落は閑散としており、アイセンやコヘイヤに行く選択肢もあったのですが、静かな時間を過ごしたくて、自分たちで集落散策としました。自然を見るのには良い所で、静けさの中で休息を楽しむ一日となりました。
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mr. minamiku
2026年1月13日21日間 / 20-Day Voyage Santiago de Chile to Buenos Aires
カストロの街歩きは、多少のアップダウンは有りましたが、比較的歩きやすく、街もサン・フランシスコ教会を含むチロエ島の教会群がユネスコ世界遺産に成って居たので、興味深く見ました。のんびりした入り江にある田舎町で風情がありました。朝早くからテンダーで上陸して、一通り回って船に戻って遅めの中直という感じでした。
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mr. minamiku
2026年1月13日21日間 / 20-Day Voyage Santiago de Chile to Buenos Aires
自分で、Osorno Volcano and National Park のツアーを予約しており、 Puerto Varasの街から湖の横を通ってOsorno Volcanoの中腹まで連れて行ってもらいました。あいにくの曇り空で火山の頂上は見えませんでしたが、チリの大自然を味わえました。
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mr. minamiku
2026年1月13日21日間 / 20-Day Voyage Santiago de Chile to Buenos Aires
今回はバルパライソではなく、アンアントニオが起点となりました。昨年の下船もサンアントニオでしたので、サンチアゴからUberを頼んではやめに乗船し、荷物を下ろして、昼食を食べてサンアントニオ港の観光を行いました。市場の突堤で、魚のアラを海に落として、それをアザラシ(トド?)とカモメやペリカンなどが食べに来るのですが、アザラシに至っては殆ど餌付けされたペットのような感じで、アザラシは岸壁の岩に自分の定位置があるみたいで、漁師さんから名前で呼ばれて、餌を投げてもらうのを空中で上手くキャッチして食べていました。
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mr. minamiku
2025年2月8日11日間 / 10 nights / 11 days, one-way from Callao (Lima, Peru) to San Antonio
サンアントニオは下船港でもありましたが、2泊出来たため、最初は港町サンアントニオを徒歩で散策。二日目は、自分でアレンジしたツアーで、バルパライソの街観光から、カサブランカバレーのワイナリーを経由してサンチアゴのホテルに帰りました。 先ずサンアントニオの港の周りは、土産物屋が軒を連ねた海岸線のマーケット兼公園が、大きなモールまで繋がって居ました。モールで90度方向を変えて、内陸に入る通りは、両サイドが商店街で、地元民が生活物資を買うためのにぎやかな街でした。ウミーチェと言うトウモロコシを粉砕したものに多少の塩味を付けてマッシュ状にして蒸したストリートフードが有ったので興味本位に購入したところ、シンプルながら割と主食として食べられる蒸しトウモロコシで良い経験に成りました。ウミーチェでおなか一杯に成り船に戻り、パッキングをして翌日に備えました。 翌日は、朝早めの朝食が6:30から。そちらをさっさと済ませて、7:30に下船。お土産に買っていたキヌアを税関で没収されるハプニングがありましたが、8:00からのツアーに余裕で間に合いました。ツアーは、12人のミニバスで、バルパライソの街巡りの終盤に、高台の見晴らしの良いレスト連で各自が好きな食事。ゆっくりと食事を済ませた後、名物のアセンソール(ケーブルカー)に乗って丘を下り、カサブランカバレーでワイナリーツアー。Casas del Bosqueは比較的大きなワイナリーでした。白と赤それぞれを試飲させて頂き、1本買ってホテルに戻りました。
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mr. minamiku
2025年2月8日11日間 / 10 nights / 11 days, one-way from Callao (Lima, Peru) to San Antonio
コキンボは何も期待しないで降りたのですが、街の正面にそびえたつ、Cruz Del Tercer Milenioを見たら登りたくなり、観光案内書で道を確認して、20分ほどかけて丘を登りました。途中の道路が、両サイド朝一に成っており、野菜と果物がメインで魚屋と雑貨が少しだけでしたが、スペイン語の掛け声よろしく活気のあるストリートマーケットでした。マーケット通りを抜けるて左に曲がり坂道を登ったところが、Cruz Del Tercer Milenio。多少入場料はかかりますが、十字架の上から見るパノラマは絶景ですので是非お勧めします。完成が2001年ですが、工事の写真も展示してあり面白いです。その後は、次に目立つMohammed VI Mosqueに向かいました。こちらも歩くこと20分ぐらいですが、下り坂になるので多少は楽。このモスクはモロッコの資金提供で建てられたようで、モロッコ国旗がはためいていました。最後は海岸線に降りてお決まりの漁港ですが、此方には海賊船を模した観光船が有り、魚屋さんもレストランも、イキケやアントファガスタの3倍以上の規模で、とても賑やか。各魚屋さんが趣向を凝らしたセビーチェを売っていましたが、衛生的に少し不安になる状況だったので、我々は海賊船乗り場近くにレストランで、シーフードスープといわゆるフィッシュ&チップスを食べましたが、フィッシュはCongrioという現地の魚で、アナゴを大きくしたような魚でとてもおいしく頂きました。期待していなかったところに、3か所の観光スポットで1日が楽しく過ごせたのが得した気分でした。
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mr. minamiku
2025年2月8日11日間 / 10 nights / 11 days, one-way from Callao (Lima, Peru) to San Antonio
アントファガスタもイキケと同じく硝石産業で潤った街の様で、現時点でもサンチアゴに次いで第二の都市との説明でしたが、イキケとよく似た感じで、漁港の魚市場は、こじんまりとしており、早々と船に戻り、ホワイトナイトの準備にかかることにしました。
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mr. minamiku
2025年2月8日11日間 / 10 nights / 11 days, one-way from Callao (Lima, Peru) to San Antonio
古くは硝石鉱山の積出港としてにぎわったであろうイキケの街は、今は割とひっそりとした感じでした。港の南側は、サーフィンで有名な海岸があり、北側は漁港と帆船軍艦のエスメラルダ号の復元したものが博物館となっていました。漁港はシーフードレストランが集まり、にぎやかで、その場でさばいた魚のあらを海に捨てるため、カモメやアザラシ、アシカが集まり、野生だと言うのに丸々と太り色つやの良いカモメと、怠惰なアザラシを見ることが出来ました。
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mr. minamiku
2025年2月8日11日間 / 10 nights / 11 days, one-way from Callao (Lima, Peru) to San Antonio
アリカではレンタカーを借りて、世界最高地にあるチュンガラ湖を目指しました。片道200㎞弱で交通量が必要に少ない幹線道路ですの3時間30分あれば十分との説明を受けて、東に進みました。チュンガラ湖は海抜4500m越えたところにあるので、高山病対策準備を可能な限り行って出ました。具体的には2日前から、アセタゾラミドを服用開始、前日から断酒、当日は、オキシメーター持参して、水ボトル2本に酸素吸引缶を2缶用意して出ました。ところが、7割ぐらいの行程が進んだ所で、がけ崩れの道路工事を行っており、片側通行。長時間待たされた後、バスの後ろを走っていたら、バスに隠れていた落石を踏んでしまいパンク。すでにかなりの高度に登っており、手足のしびれが来ているところで片道通行の崖の道で、車を橋の寄せてのタイヤ交換はかなり苦労しましたが、何とかなりました。しかし、代償として高山病の症状である、頭痛、息切れ感が出てしまい、なんとも苦しい状態に。行程的には7割進んでおり、道も良くなり始めていたので、そのまま強行する中で、最初は深呼吸と水確保でオキシメーターの値を80以上に保つことが出来ましたが、加速度的に苦しくなってきたことから、酸素缶登場。吸えばオキシメーターの値が直ぐに反応。しかし到着前に1缶を消費。それからは時間遅れで出てくる症状と、酸素缶の残量の戦いでした。パリナコータ山とチュンガラ湖の素晴らしい景色は目に焼き付けたものの帰路に不安を残す状態になりました。酸素缶と水はほぼ使い果たし、後は深呼吸で血中酸素を維持するしかなく、帰りの片側通行のところまできた時には瀕死状態でしたが、どうにか片側通行を抜けて、高速で下山出来るようになると、高山病も山を越えた感じがしました。同行した家内は割と平気で私に合わせて深呼吸をすることで酸素濃度が維持出来ており、結局酸素缶は2缶とも私の肺に消えて行きました。苦労した分景色は素晴らしく、行ける人は行ってみてください。と言いたいところですが、甘く考えると一大事に繋がりますので、慎重に判断ください。バスツワーもあるようですが、団体行動はさらに状況を悪くすると思われます。一番大切なことは水分補給であることが、かなり降りたところの道端の売店で水を買って飲んでみて判りました。トイレを我慢するばかりに、水をボルト2本(一人500ml)に減らしたことが多分一番の原因だと思います。 アリカの町は小さい街でしたが2,市が特別に2月末に行われるフェスティバルを模擬した催しをAzamaraの乗客のために用意してくれました。それぞれに100人ぐらいにチームが、チリだけではなく、ペルーやボリビアなどから合わせて20組近く揃い、ストリートダンスパフォーマンスを2時間半ぐらい連続で見せてくれたのは圧巻でした。
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ms. merko
2025年2月6日11日間 / 10 nights / 11 days, one-way from Callao (Lima, Peru) to San Antonio
シャトルバスで街の中心部の時計塔広場まで連れて行ってくれます。 観光用の歩行者天国の通りをぶらぶらして無料の博物館に入ったり、お土産屋のマーケットに行きました。 ビーチに方にも遊歩道があります。漁港に行ってみたらあざらしがたくさんいて楽しく眺めていました。 港に来ていたお土産屋さんのアルパカ等のスカーフや帽子がとても高品質でデザインも良く、いくつか購入しました。街のお土産屋さんよりずっと品揃えが良かったですし、ドルでの買い物もできました。
寄港地での過ごし方








ms. merko
2025年2月6日11日間 / 10 nights / 11 days, one-way from Callao (Lima, Peru) to San Antonio
レンタカーでラウカ国立公園へ。 砂漠の山々から水辺へと続く素晴らしい景色。山羊やリャマ、ビクーニャ??、湖ではフラミンゴにも出会えます。オーバーツーリズムとは無縁の秘境。 山道はすいているのですが、途中、工事をしているところがあり、何回か、一度は15分以上通行止めになりました。 高山病予防の為に、事前にペルーでAcetakという予防薬1シートを購入し、2日前から一日1錠(副作用が気になった夫は1/2錠ずつ朝晩で)内服し、アリカの薬局で酸素ボンベ2缶購入して行きました。 私は頭痛と眠気、口の渇きくらいでしたが、夫はかなり症状がでてしまい、ヒヤヒヤしましたが、なんとか麓にたどり着いてレストランでお水を買って飲んだら、みるみる回復していきました。 アザマラの水筒一本ずつでは足りなかったと猛省。 私達が途中に寄ったトイレは無料だったし衛生的にも問題なかったので、トイレの心配せずに、水分をしっかり摂りながら出かける事を強くおすすめします。 アリカでは夜にアザマラの為のカーニバルが開かれ、伝統の儀式や華やかな衣装での踊りが披露され、とても楽しかったです。アザマラの乗客のみが入れる席が設けられていたので、治安上の心配もなく楽しめました。
寄港地での過ごし方






ms. sandy
2019年4月2日31日間 / 30 nights / 31 days, one-way from Buenos Aires to Los Angeles
寄港地観光 La Serena On Your Own:9:15am-13:15;$70;【選定の理由】ラ セレナは1年を通じて温暖な気候でレストランも多いリゾート タウンとなっています。どのような魅力があるのか確かめるため、このツアーを選びました。 寄港地観光の詳細、アクティビティ 【イクスカーション内容】ラ セレナまでバスで往復1時間、アルマス広場に近い場所で下車、2時間30分間の自由散策を楽しみました。 【感想】ラ セレナの街は小さな街でサンチャゴに比べて安全なので自由散策のできるこのツアーを選んで正解でした。アルマス広場から、前にある大聖堂を見学、19世紀のコロニアル風の街並みを散策、考古学博物館を見学しました。ここのトイレは無料で奇麗であり有難かったです。博物館の裏の大学のある小高い丘から街を見下ろすとスペインとは異なる黄色やベージュ色の壁の街並みが楽しめました。サナグスティン教会を訪れた後、レコバ市場へ、ここにはレストランと民芸品広場が並んでおり、クルーズ客でごった返していました。2階は理髪店・美容院・レストランで占められていました。昔は約20店もの理髪店が並んでいたようですが、クルーズ客が押し寄せるようになり、儲けの確実なレストランに変わってきたように思いました。バスに戻る途中、ガイドさんからトイレが利用できると聞いたデパートのRipleyを訪れました。ここでは従業員の人達のホスピタリティにビックリ、掃除のおばちゃんに「トイレはどこ?」と聞くと「こっちこっち」とトイレの前まで案内してくれました。トイレは一人200ペソ(3分の1US$)だったので二人分ということで1US$を渡そうとすると「ペソでないとダメ」とすまなそうなトイレ番のおばちゃんの返事。そのやり取りを見ていたRipley銀行のお兄さんに、「ちょっとこっちへ来て」と言われて両替のつもりでついていくと、なんと600ペソを私達にくれ、1US$は受け取ってくれませんでした。こんな奇跡のような嬉しいことが旅には起こるんですねえ(感激)。その後、アルマス広場で写真を撮っていると、小学生の2、3人が私達に何かインタビューをしたそうに近づいてきました。そこで「私の奥さんと一緒に写真を撮っていいかい?」と主人が尋ねると1クラス、30人位の小学生が一緒に写真に入りたいと私を取り囲み大騒ぎになりました。波止場までの車窓の風景は右側の席がお勧めです。波止場近くの渚には無数の野鳥がおり、その向こうには沢山の漁船が停泊していて、波止場には魚市場がありました。
寄港地での過ごし方





ms. sandy
2019年4月2日31日間 / 30 nights / 31 days, one-way from Buenos Aires to Los Angeles
寄港地観光 Santiago & Viña del Mar:7:00am-17:30;$150;【選定の理由】チリの首都であるサンチャゴ、カラフルな色彩と急斜面の街バルパライソを訪れたくて選びました。 寄港地観光の詳細、アクティビティ 【イクスカーション内容】バルパライソの市街を車上観光、スイスから送られた花時計を見学しました。霧の中、高速道路を1時間20分走り、サンチャゴの街に到着、街中にて下車、グループで散策し、大聖堂を訪問しました。その後、バスに乗って昼食会場へ移動、サンタルシアの丘にて街の展望を楽しみ、帰路に就きました。 【感想】サンチャゴは交通渋滞がひどいため、定刻までに帰ることが優先されました。その結果、以下の観光が募集パンフレットでは予定されていたものの、訪問・見学は省略されて不満の残る結果となりました:競馬場クルプ イピコ、オイギンス公園、サン クリストバルの丘。1973年9月のクーデターの舞台となったモネダ宮殿も前を通り過ぎたのみです。街歩きを行った旧市街には植民地時代に建てられた重厚な建物や石畳の道が残り、落ち着いた雰囲気を漂わせていましたが、「スリに注意して歩くように」と何度も念を押されて、雰囲気を味わう気分ではありませんでした。バルパライソでは、カラフルな町並みとケーブルカーを楽しみにしていましたが、これも見ることができず残念。リゾート地ビーニャ デル マルは花時計を見るために下車したのみでした。昼食は民族舞踊ショーを見ながらのサーモンのコース料理で、前日のプエルト モンと同じメニューであったため、特に美味しいとは思いませんでした。なお三浦雄一郎さんが本年2月に登頂とスキー滑降を目指していた南米大陸最高峰アコンカグア(6959メートル)は、サンチャゴの近くアルゼンチンとの国境付近にあります。
寄港地での過ごし方




ms. sandy
2019年4月2日31日間 / 30 nights / 31 days, one-way from Buenos Aires to Los Angeles
寄港地観光 Lake Esmeralda, Petrohue River & Puerto Varas:出発8:00am-15:30;$150;【選定の理由】日本の富士山に似ているオソルノ山と富士五湖のような風景に憧れ選びました。 寄港地観光の詳細、アクティビティ 【イクスカーション内容】プエルト モン市内からビセンテ ペレス ロサレス国立公園へと入り、エスメラルダ湖にて双胴船に乗って45分間遊覧しました。その後、ペトロウエの滝を見学、プエルト バラスのレストランにて昼食を取り、雑貨・土産店を訪れました。 【感想】エスメラルダ湖までの道のりは霧の中で、遊覧船も曇り空の下、オソルノ山は全く見えませんでした。ペトロウエの滝で何と雲が消えて晴れとなり、南米のフジヤマと呼ばれるオソルノ山が姿を現し、イクスカーション参加者はその美しい姿に大騒ぎでした。滝までの遊歩道では期待していた野生動物には残念ながら出会いませんでした。オソルノ山は山頂が平らではなく丸くなっていること、斜面がやや急でごつごつしている所を除けば富士山にそっくりです。エスメラルダ湖でオソルノ山を見ることができず、本当に残念でした。プエルト バラスは、プエルトモンの北、ジャンキウエ湖に面した街で、湖越しにオソルノ山の美しい姿が望めました。プエルト バラスは道路沿いのバラの花が満開で奇麗な街でした。この街はオーストリアに近いバイエルン地方からのドイツ移民によって19世紀後半に創建されたとのことです。プエルト バラスの周辺の自然環境は、湖があって、緑が豊かで、山が近くにあり、風光明媚という点でバイエルン地方に似ていること、またバイエルン地方の住民は過半数がカソリックで、同じ宗教のチリに移民しやすかったのではないかと想像しました。プエルト バラスの周辺の川には鮭が遡上してくるということから、名物のサーモン料理を頂きました。ポテトから作られた付き合わせが肉厚のサーモンステーキにマッチし、ボソボソ感もなく美味しく頂けました。
寄港地での過ごし方



ms. sandy
2019年4月2日31日間 / 30 nights / 31 days, one-way from Buenos Aires to Los Angeles
寄港地観光 City Drive & Museum:9:30am-12:30;$80【選定の理由】パタゴニアの人々はどのような風土で暮らしているのか興味があり、選びました。 寄港地観光の詳細、アクティビティ 【イクスカーション内容】 リメンバランス(思い出の)屋外博物館、市内墓地を訪問、クルツの丘にてマゼラン海峡を臨むプンタ アレナスの景観を楽しみました。サレシアノ博物館の後、マゼラン像を訪れました。 【感想】屋外博物館には街の建設のために19世紀の終わりに輸入された数々の蒸気機関が展示されていました。まだ日本は明治維新を終えて間もない頃で、ヨーロッパからはるばるマゼラン海峡を越えて当時の最新鋭のマシンが運び込まれたことは驚きです。市内墓地にはブエノスアイレスのレコレータ墓地で見た立派な納骨堂が有りました。墓地の奥に子供達の納骨堂を積み上げて作った言わば納骨マンションがあり、異様な感じがしました。納骨堂それぞれには亡くなった子供たちのために玩具や人形を入れ、あの世では幸せに暮らすようにと願いが込められているかのようでした。プンタ アレナスで一番高いクルツの丘からは、青みがかった太陽光の下、マゼラン海峡を臨むプンタ アレナスの家々がくっきりと見えました。サレシアノ博物館はイタリアの修道会(サレジオ会)が運営しており、先住民族のジオラマアも宣教師達が如何にして教育し野蛮な生活から抜け出させることに心血を注いだのか、力点を置き展示しています。パタゴニアの先住民族の物々交換や祭り・儀式といったものに私達は興味がありましたが、そうしたものは宣教師たちによって否定・抹殺されてしまったのではないかという気がしました。ウルトラマンに出てくるような異様な姿の先住民族の儀式での扮装は皮肉にも博物館ショップで土産物として売られていました。マゼラン像はプラザ広場にありマゼランの下には先住民がまるで抑圧されているかのようでした。実際には白人が持ち込んだ感染症によって、先住民族はほとんど全滅してしまったとは、本当にひどい話です。
寄港地での過ごし方









ms. sandy
2019年4月2日31日間 / 30 nights / 31 days, one-way from Buenos Aires to Los Angeles
この岬は寄港地とはなっていないものの、大西洋と太平洋の境界となっている観光スポットです。地球がまだ平らだと信じられていた頃、大西洋側の滝の端であるホーン岬から滝壷側の太平洋へと帆船はジャンプして落ちていくというジョークがあったようです。ここは冷たい風が年中強く吹いている荒れた天候の地として有名ですが、運の良いことにこの岬を通過する時には日が差し晴れ間から青空が見えました。
寄港地での過ごし方
