はじめまして。まさか、何らかのお尋ねがあるとはお思っていませんでした。先ずはそのことに驚いております。只今、私、落ちついてお話の出来る余裕のない時間を迎えており、簡単な、過剰的な返答を致しますことを、ご容赦ください。貴殿は,11月にご乗船とのこと、......
はじめまして。まさか、何らかのお尋ねがあるとはお思っていませんでした。先ずはそのことに驚いております。只今、私、落ちついてお話の出来る余裕のない時間を迎えており、簡単な、過剰的な返答を致しますことを、ご容赦ください。
貴殿は,11月にご乗船とのこと、私は4月から5月にかけて、BERGEN-KIRKENES-BERGENを12日間で、楽しみました。
航海は、信じられないくらいの好天の航海の下、PERFECTな航海を楽しみました。船長からもどうか、もう一度、いや、続けて乗船してほしいと懇願されました。貴殿はFE「晴れ男」と上機嫌でした。船は「MIDNATSOL]で、既に当時の乗組員は、転職又は退職しています。
事程左様に、私の航海では、定刻通りの航海が維持され、申し分のない、航海の毎日でした。
私の記憶では、当時のKIRKENESこれといった建造物も無く、ホテルと判別できるようなものも桟橋周辺には無く、私共のオプショナルな行動に関与するバスが数台待っていただけと記憶しています。
そこからのツアーは、大きな鉄鉱山跡と、ロシアとの国境見物でした。この国境にはロシア土産の小さな小屋がありましたことを記憶しています。
私が乗船した時は、200~300人ほどの乗客があり、90%はアメリカ人でした。僅か、1名の日本人が乗船していました、それも往復客でした。ほぼ半数の乗客がKIRKENESまたはその一つか二つ前の港で下船、新たな観光客が乗り込んできたのを思い出します。
なにしろ、南北に2000km喪の航海をするのに、天候の変化が無く、航海できることなど、信じられないことですが、好天帯をジグザグに航海出来た幸運は、今もって、自慢の出来る素晴らしい思い出です。
この好天の模様{世界遺産 フヨルドの絶景」は、昨年2月、私の地元で、写真の個展として公開、地元コミュニテイー紙でも、全面に紹介され、大いに好評を得ました。
今年は、2月に、「捨てられない、古い海外の新聞やカレンダーに残された古い船舶の麗姿」を展示します。興味と関心のある方は、ぜひお越しください。もうすぐ開催予定です。