こんばんは~´∀`)ノ)) HELLO♪
2019年1月19日、名古屋港到着で引退した初代”きたかみ”での旅行の話です。
名古屋城の本丸御殿に行ってみた~前編《さようなら。。。太平洋フェリーきたかみー2019.1.12~14》その⑩の1
今回から3回に渡って、名古屋城観光の話です。
名古屋城入場まで
前回、築地口駅から地下鉄に乗って
地下鉄で移動《築地口ー名港線→市役所》
迷うことなく名古屋城にたどり着けると思います。 d(゜-^*)
地下鉄駅の構内にも本丸御殿のポスターがありました。
地上へ出たら、案内マップで現在地をを確認します。
金シャチ横丁(宗春ゾーン)を通って東門から名古屋城に入ります。
途中にある@NAGOYAのオブジェ。
オブジェに絡んで写真撮影をする人で賑わってました。
フジヤマ55 という濃厚つけ麺、二郎系ラーメン、台湾まぜそばのお店はかなりの行列でした。
かなりワールドワイドに展開しているお店なんですね。(´-`) ヘー
丁度お昼どきでしたが、帰りに食べようと金シャチ横丁(宗春ゾーン)はスルーします。
東門では、『耐震性が低いことに対応するため、天守閣を閉館しました。』と天守閣に入場できないことを知りました。Σ(´Д`;)
そして本丸御殿の見学は50分待ちとお知らせが。(ノД`)トホホ
hiro1967: 「名古屋城 入場料¥500 ※ドニチエコきっぷで¥400に割引されます♪」
城内に入ると
東門を入るとすぐ二の丸庭園に那古野城跡の石碑がありました。
那古野城は、今川氏親(義元の父)が築城し、織田信秀(信長の父)に奪われたお城。また信長が清須から小牧、岐阜、安土と居城を移していく中で、役割の薄れた那古野城は天正10年(1582年)ころに廃城となったと伝えられているそうです。
二の丸広場からは天守閣が見えます。
日曜日だったので、名古屋おもてなし武将隊の初代将軍徳川家康公と戦国一の傾奇者前田慶次さんがイベントをやっておられた為、沢山の民衆が集まって(_゜ロ゜)人(゜ロ゜)人(゜ロ゜_)ワイワイしてました。
名古屋おもてなし武将隊の名古屋城出陣スケジュールなどはこちらから。
二の丸広場近くには
加藤清正公 石曵きの像がありました。石引にまつわるエピソードを模したものです。
加藤清正は、美しく着飾った小姓とともに大石の上に乗り、綱引きの人々をはやし立て、見物人に酒を振る舞ったと伝えられ、清正の石引きとして有名です。これは、大阪城築城の際の秀吉の故事に倣ったと言われ、秀吉を慕う清正の思いがうかがわれます。
~名古屋城公式サイトより
本丸御殿見学は想像以上の大行列
本丸御殿見学は想像以上の大行列で表二之門のだいぶ先まで続いていました。∑(ノ)゜Д゜(ヾ)マシ゛!?
表二之門前の橋から見た東南隅櫓です。
表二之門に入ってからも行列はまだまだ続きます。
表二之門内から東南隅櫓の写真を撮っていたら、ここでも名古屋おもてなし武将隊がいましたョ。
たぶんお城の案内ツアー中だと思います。
名古屋城の石垣のそれぞれの石には担当大名のマークが記されています。
名古屋城の石垣には、丸に三角や扇子、軍配などユーモラスなしるしがみられます。
これを『刻文』といい、築城工事を分担した大名と家臣のしるしです。苦労して運んだ石を他の大名家のものと間違え、無用なトラブルが起きることのないようにつけたものです。
そうこうしているうちに、やっと本丸御殿の正門に着きました。
しかし、ここは見学の入口ではありません。
入口まではあともう少し….(´д`)ハァ~
次回は、本丸御殿見学の話です。
《 To be continued 》 ((*´∀`*))ノ゛see you♪
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