こんばんは~´∀`)ノ)) HELLO♪
2018年12月に行った、女友達との台湾旅行とダイヤモンドプリンセスでの初クルーズの話です。
この旅行記を最初から見たい方はこちらからどうぞ。
準備編から
ぷろろーぐ。台湾でしたいこと~台湾女子旅&ダイヤモンドプリンセスで初クルーズー2018.12月準備編①
本編から
仙台空港へのアクセスは仙台空港 ⇔ 相馬・福島・会津若松の空港直通バスが楽だった♪~台湾女子旅&ダイヤモンドプリンセスで初クルーズー2018.12月・本編1-1
クルーズ編から
基隆の海洋廣場はクルーズ船のベスト撮影スポットです♪~台湾女子旅&ダイヤモンドプリンセスで初クルーズー2018.12月・本編6-6
氷川丸見学記~台湾女子旅&ダイヤモンドプリンセスで初クルーズー2018.12月・本編9-4
2度目のクルーズ旅行から帰って、夏風邪でダウン。_:(´ཀ`」 ∠):_ .
お久しぶりの連載再開です。
今回は、大さん橋の近くの黒猫ヤマトに荷物を預けて身軽になった後の話♪
トマトちゃん: 「凄く楽しかった。絶対見に行って(*^▽^*)ノ」
と言うので山下公園に係留されている氷川丸に会いに行ってみましたョ。 d(゜-^*)
憧れのにっぽん丸で初クルーズ。娘の旅行記ー2018.8月番外編③氷川丸をご紹介
山下公園のイチョウ並木が綺麗です。(´∀`艸)♡
お利口そうなワンちゃんが沢山お散歩していました。
会社に行く人、お散歩する人、ランニングする人…氷川丸は横浜の街を見守っています。
かつて北太平洋の女王(あるいは貴婦人)と謳われたその姿は、今でもとっても優美です。(´∀`艸)♡
窓を小さく出来るだけ頑丈に造ったのが幸いして、3度の触雷を乗り越え90年近く海に浮いている現存する唯一の貨客船です。
入口ゲートから入場します♪ε=ε=ε=ヾ(´▽`*)ノ☆イッテキマース☆
氷川丸の歴史の展示
乗船すると先ずホールがあって、氷川丸の歴史のビデオが見れます。
時間は30分くらいだったと思いますが、ビデオ鑑賞してから見学するとより理解が深まりますョ。d(゜-^*)
ホールには写真で見る氷川丸の歴史のパネルも展示されていました。
シアトル航路復帰の時や最後の航海の見送りに集まった群衆が凄い…。∑(゜д゜υ)
hiro1967: 「とても愛されてる船だったんですね。(´ー`*)ウンウン」
氷川丸の客室
三等客室は、2段ベッドが並ぶ8人部屋でした。
一等客室は、シングルベットが2つのツイン客室で、ベッドの間に洗面台が置かれています。
一等特別室は、寝室とリビングダイニングにお風呂まであります。(´∀`艸)♡
チャップリンが乗船した時は、この特別室を利用したそうですョ。
氷川丸の娯楽室
パステルカラーの壁やイラストが可愛い一等児童室。
スチュワーデスと呼ばれる子供の世話をする女性船員がいたそうです。
一等喫煙室はワイルドな内装。
一等読書室。
一等社交室。
殆ど改装されていないので当時のままの姿だそうです。
氷川丸の船内
船内の廊下や階段などその他の様子。
郵便のポストや窓口があったんですね。(´-`) ヘー
氷川丸のHの文字をデザインした階段はとってもお洒落です。
氷川丸のプロムナードデッキなど
デッキが結構幅広い。
そして、二引きのファンネルがかっこいい。(・∀・)イイネ♪
日本郵船のファンネル(煙突)の白地に引かれた二本の赤いライン、通称「二引の旗章」は、当時の日本海運界を代表する三菱会社と共同運輸の二社が大合同した日本郵船の航路が地球を横断するという決意を示していたそうです。
氷川丸からの眺め。
氷川丸からも、さっきまで乗船していたダイヤモンドプリンセスが見えました。(「・_・)
氷川丸の運航に関わる設備
こちら船長室。なにやら椅子が多いので、この部屋にオフィサーが集まって会議とかもするんでしょうか?σ(´∀`me)??
初代船長は、秋吉七郎さん。
規律や礼儀作法に厳しい方で、初代から続くこの気風が伝統となり、規律の厳しさから”軍船氷川”と呼ばれたそうです。
操舵室には、舵の他良く分からない計器が沢山ありました。
hiro1967: 「機関室と連絡を取る伝声管(写真右下)って、『天空の城ラピュタ』のドーラの船でもあったよね♪」
操舵室には、今も船名の由来でもある大宮の武蔵一宮 氷川神社の御祭神が祀られています。
クリアビュースクリーン。
hiro1967: 「90年近く前の技術が今でも活用されてるなんてすごいですね。(´-`) ヘー」
そして機関室。詳しく説明されてましたがよく覚えていない…。(ノД`)トホホ
氷川丸の航路
氷川丸は、1930年(昭和5年)の誕生から1960年(昭和35年)の引退までの30年間に、127回太平洋を横断し貨客船として活躍したのは勿論のこと、戦争中は傷病兵を運ぶ病院船、戦後は復員兵や一般邦人の引揚げ輸送に大きな役割を果たし、30年を通して約9万人もの人々を運びました。
船内には氷川丸との思い出が沢山紹介されていました。
北米シアトル航路
左上は氷川丸・日枝丸・平安丸の北米航路3姉妹のパンフレットです。
1930年当時、日本郵船の初任給が70円だった時代に、一等の運賃が500円、二等が250円…。(初任給の7.14倍/3.57倍)
※2019年現在、大卒初任給は212,304円。横浜発 シアトル着 函館・ロシア・アラスカクルーズ15日(ロイヤルカリビアン)が$1,250~(133,819円/$1=¥106.29)は初任給の0.63倍と、クルーズ旅行も身近な旅行になりました♪
hiro1967: 「そして1930年当時は$1=¥2だったんですか∑(o’д’o)!!」
トランクに貼られたラベルは旅慣れた旅行者の証で、外国のホテルなどで優待されたそうな。
トランクにシールを張るのはその名残なんですね。
小さな港町だったシアトルの発展に貢献したとは…歴史って面白いですね♪(*´艸`*)
氷川丸のおもてなし
氷川丸のおもてなし。
日本画のポストカードがあったり、船長はじめ上級船員が盛装して乗客と記念写真を撮り乗船記念にプレゼントしていたそうです。
この飾り毛布は、今でもクルーズ船のおもてなしで続いていますよね。(´∀`艸)♡
また、シアトル航路の穏やかな航海中に必ず一度は開かれるすき焼きパーティが大人気だったり。
他にも毎夜のダンスパーティーや、航海中に船客をいかに楽しませるか、映画や乗組員が自作自演するショーなど多彩なプログラムを用意していたそうです。
hiro1967: 「そんな90年近く前のおもてなしが、スケールアップして現代のクルーズ船のアトラクションとして続いているのは面白いですね。(´∀`*)ウフフ」
hiro1967: 「氷川丸は戦前に建造され、3度の触雷に遭いながら沈没せずに現存する唯一の貨客船です。 来年は90歳を迎えます。興味のある方はクルーズ旅行のついでに訪ねてみてください。 (*^▽^*)ノオススメテ゛スヨ」
次回は、本編最終回です。
《 To be continued 》 ((*´∀`*))ノ゛see you♪
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