
クルーズ人生で経験した3つのニアミス ― 幸運とリスクを振り返る

mr. fukuyama
モーターボートの設計、開発に携わる事39年。 ボートに乗る事やボート釣りが好きなので、海には慣れているどころか、陸上にいるより海の上の方が安心する半魚人です。
プロフィールを見るクルーズに限らず私は「運がよかった」と思う事が多々あるが、実際には運が良いというよりも、ツキがなかった嫌な事はさっさと忘れるおめでたい性格のお陰で、結果的にラッキーな思い出だけが記憶に残っている、というだけだ
しかし「ラッキーだった」という表現は裏を返せば「平穏な日常」ではなく「リスクと背中合わせだった」という事を意味する
この後は「私達は運がよかったが不幸にも災難に巻き込まれた人は気の毒で申し訳ない」、という前提で記述しているとお考え頂きたい
先月5月20~27日の間、HALのザーンダムでアラスカクルーズを楽しんだが、実は下船したその7日後の6月3日のアラスカ航路でザーンダムは機関トラブルを起こしてしまい、旅程を短縮してバンクーバーへ引き返して数日間の修理を余儀なくされた
致命的ではないものの連続でクルーズを続行できなかった類のトラブルで、現在運航再開を果たしたものの出航は予定から2日遅れ、航程を大きく変更した状態で現在アラスカを航行している

私達が6月3日の旅程を選ぶ可能性は大いにあった。単に「誕生月だから(誕生日からはズレている)何か特別なサービスがあるかも…」程度の選択であり、連れとの都合がつかなければこの旅程を選択、このトラブルに遭遇していたかもしれない、という何ともニアミスな状況だったのだ
そんな「強運」は実はもう2つある
前回2025年のアラスカクルーズ。出発を二か月後に控えた頃、父親の病状が悪化しており、医者から告げられていた余命が丁度クルーズの日程と完全にカブっていたのだ
正直言うと「クルーズ中に他界されても困るし、容態を気にしてのクルーズなど不安で仕方がない。クルーズ前にまだ無事なら最悪100万円はドブに捨ててクルーズに行くのは諦めよう」と覚悟を決めていた
しかし、だ。そう決めた数日後、急に実家の兄貴から電話が掛かってきた。「親父の容態が急変した。今夜が峠との事だ。」
私は目玉が飛び出すほどに驚き、もう終電は逃していたので次の日の一番列車で山口県にある実家に向かった。残念ながらあと30分、父親の死に目には逢えなかったものの、迅速に通夜から葬儀までスムーズに手配でき、父親を天国に送り出す事ができた
もう永くない事は察していたので心の整理はずいぶん前からできていたし、逆に「いつも厳しく私に当たっていた親父が、自分が持って行くためではなく、私のために冥途の土産を置いて行ったのだ」と手前勝手に解釈し、その後のアラスカクルーズを大いに堪能したのだった(亡くなる前日の夜、私が実家に戻る旨をお袋が親父に伝えた時、病床の親父は息も絶え絶えに「何しに戻ってくるんだ。来なくていい」と怒ったという事でした。"海の男"ってのはそんなものですb)

2025年のアラスカが全くの悪天候に終始したのは、やはり親父が仕込んだトラップだったのかもしれない(苦笑
さて最後の強運の極めつけは「ダイヤモンド・プリンセスの新型コロナ騒動」である
当時、私は2020年2月のダイヤの日本周遊を予約していた
…そう、あの横浜に停泊を余儀なくされた旅程の次の航海だったのだ
しかし諸般の事情で都合が悪くなり、クルーズ商品を再検討していたところ、ダイヤのフラッシュセールがとある予約代理店から発表されたので2019年末のクリスマスクルーズに振替したのだった

ここでの強運は ●そもそもコロナ騒動でクルーズが破棄されるところだった ●2019年クリスマスクルーズという、問題の航海の2つ前の旅程で結果論としてニアミスだった ●プリンセスからの無料オファーで26万円/2名の料金で定価100万円相当のスイートとフルサービスにアップグレードされた事 である
「残りの人生の運をこれで全部使い切っちまった…苦笑」と、当時は思ったものだが、なかなかどうして幸運はまだ継続中というオチだ
繰り返しになるが、幸運の裏で不幸に遭う人々がいる。自分がラッキーだった、と思う時はその背中にアンラッキーな方々が多くいたという事実が残る事を肝に銘じておきたい
また、浮ついているといつ足元をすくわれるか油断ならない事も承知しており、日常から緩い緊張感を携えているのが私の性質でもある
だからこそ幸運だった、という言葉で片付けず、「リスク回避、もしくはリスクに遭遇した場合に如何にダメージを極小できるか」先読みし、周到な予測と準備段取りに今後も努めていきたいと思う
ここまで読み進めていただいた皆さま、ありがとうございました
これからも快適で楽しいクルーズライフを!
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