
1942年7月22日のロレンソ・マルケス港

mr. punipcruises
船舶専門の画家、イラストレーター。本格海洋画風作品から水彩画、コミカルなイラストまで画風にこだわりを持たない。船旅専門誌のイラスト記事、横浜港の広報誌の表紙、レストランクルーズ船のパンフレット、クルーズ客船のギフト商品パッケージイラスト等を制作。クルーズ客船のキャラクター「クルボン」の原作者 東京海洋大学やクルーズ客船船内で水彩画教室を開催、年に1回、横浜で個展を開催、2019年秋には神戸でも個展を開催した。 少年時代に伊豆大島に行って以来、船と船旅の虜となり、故柳原良平氏の著書を読み船の絵を描き始める。 初代さんふらわあや初代にっぽん丸にも乗船したが、その後二十数年のブランクを経て船旅と船の絵を再開した。 水に浮かぶ乗り物なら渡し船からカーフェリー、離島航路等なんでも乗るが、家庭の事情から長期の外航クルーズ客船にはなかなか乗れていない。 公式サイトはこちらからどうぞ www.punipcruises.com
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太平洋戦争の日米開戦後、お互い敵国に取り残された外交官や学者、宗教家などの人々を自国に送り届けるために「日米交換船」EXCHENGE SHIPというシステムが構築され運航されたのをご存知でしょうか?
当然敵国にそのまま送り届けるのは不可能なため、いったん中立国の港にそれぞれの敵国民を乗せた自国船を入港させ、そこでお互いの乗客を文字通り「交換」して敵艦がウヨウヨいる中を命がけで自国に舞い戻るという困難極まりない、ある意味歴史的な航海でした。
絵は1942年7月、当時の中立国であったポルトガル領東アフリカのロレンソ・マルケス港(現在のモザンビークのマプト港)で合流した第一回「日米交換船」の姿です。
左は一時的に軍事徴用を解かれてダークグレイの船体に日の丸と白十字を大きく表示した日本郵船の「浅間丸」(16947トン1929年建造)が日本に向けて出港していく姿。
右の白い客船はアメリカ側がチャーターした中立国スウェーデンの「グリップスホルム」GRIPSHOLM(17993トン、1925年建造)。白い船体と小ぶりのカウンタースターンが実に魅力的な美しい客船でした。
実はあともう一隻、日本側にはイタリアの客船「コンテ・ヴェルデ」CONTE VERDE(18719トン、1922年建造)も日本船としてこの時に任務に就いていたのですが、画面の都合上描いていません。
わたし好みのデザインですし、この「浅間丸」とはなんとも不思議な運命で結ばれた船でもありますので、いつかまた改めて紹介したいと思っています。
ところでこの時、アメリカはなぜ自国船ではなく中立国の船を使ったのかよく判りませんが、「浅間丸」に較べると「グリップスホルム」の安全度ははるかに高かったはず・・・逆に「浅間丸」の乗客はアメリカ人、日本人を問わずいつ雷撃に会うかもわからない状況でさぞかし生きた心地もしなかったのではないでしょうか?
現在、横浜の日本郵船歴史博物館でこの「日米交換船」についての企画展を開催中・・・この話に興味を持たれた方はぜひ行ってみてください。
なお、日米交換船は都合二回実施されており、第二回目は「帝亜丸」(元フランス客船「アラミス」)が任務に就き、さらに一回だけ行われた日英交換船には「龍田丸」と「鎌倉丸」が就航しました。
また、第一回の「浅間丸」の乗客のなかには少年時代のジャニー喜多川氏(現ジャニーズ事務所社長)が含まれていたそうです。
この船が誤って米艦に撃沈させられていたら、SMAPもTOKIOも嵐も存在していなかったかも知れないんですね〜
コメント
7件本業が忙しくなり、ポツダム号を建造中の造船業はまたストップしているのですが、次に作ろうと思っていた船がグリップスホルムです。この船、戦後NDLに買われて「ベルリン」になっていますので、そのときの姿を。 ドイツも戦後外洋船はほとんど失われていましたので大西洋航路用にこの船に白羽の矢が立ちましたが、竣工は氷川丸よりもさらに遡る1924年でしたね。確か。近代化改造もしたのでしょうが、調達した時点で既に船齢を重ねていたことになりますね。 作品は、浅間丸と並んだ構図が実にいい。アフリカでの交換は日米の主戦場であった太平洋を避けるという意味だったのでしょうか?
お久しぶりです、ちらっと聞きましたよ「日米交換船」 いい形だなぁ〜と思っていました(あれ?私的外れなこと言ったかな?)しかしそんな命がけの船だったとは・・・・・・・。 おぉ、一枚の絵に2隻の船とはなんと良い構図!! 羨ましいです。 Pixivというお絵描きサイトで架空の浅間丸を描いた人がいて、 「是非とも描きたいです」とメールを送ったらOKがでて、 描きました、是非見に来てください

Berlinerさん、「ベルリン」建造ですか…それはまた楽しみです。 近代化は外見的には煙突を太く短くしたのと、船首に傾斜をつけてモダンな感じにしたところですかね。カウンタースターンとのマッチングも悪くなく、それなりに成功した改造例だと思います。 おっしゃる通り交換船は本来なら太平洋のどこか中立地帯を選んだほうが距離は短かったと思いますが、なかなか手ごろないい港が見つからなかったのでしょう。

paquebotさん、ありがとうございます。また見に行きます。 もう何度も何度もブログを閉鎖しないでね。

内緒さん、返信コメが遅くなって申し訳ありません。 そういうご事情でしたらどうぞお使いください。 これからもよろしくお願いします。

> 内緒さん 引用の表記法はお任せしますので、ご自由にお使いください。 お役目に立てれば嬉しいです。

了解しました





