
大島往復2000円クルーズ その2

mr. punipcruises
船舶専門の画家、イラストレーター。本格海洋画風作品から水彩画、コミカルなイラストまで画風にこだわりを持たない。船旅専門誌のイラスト記事、横浜港の広報誌の表紙、レストランクルーズ船のパンフレット、クルーズ客船のギフト商品パッケージイラスト等を制作。クルーズ客船のキャラクター「クルボン」の原作者 東京海洋大学やクルーズ客船船内で水彩画教室を開催、年に1回、横浜で個展を開催、2019年秋には神戸でも個展を開催した。 少年時代に伊豆大島に行って以来、船と船旅の虜となり、故柳原良平氏の著書を読み船の絵を描き始める。 初代さんふらわあや初代にっぽん丸にも乗船したが、その後二十数年のブランクを経て船旅と船の絵を再開した。 水に浮かぶ乗り物なら渡し船からカーフェリー、離島航路等なんでも乗るが、家庭の事情から長期の外航クルーズ客船にはなかなか乗れていない。 公式サイトはこちらからどうぞ www.punipcruises.com
プロフィールを見る大さん橋絵画展の記事でずいぶん間が開いてしまいましたが、3月末に往復2000円という驚異的バーゲンプライスで「さるびあ丸」に乗って訪れた伊豆大島紀行記の続きです。
その1はこちらをご覧ください。
え〜と、どこまで書いたんだっけ(-_-;)
そうそう伊豆大島の南端の古い港町の波浮港に着いたところまででした。

ご覧の通りの奥まった入り江にある静かな港です。
わたしは伊豆大島を過去に何度も訪れてまして、だいたい船を好きになったきっかけが中学生のときに親に連れられて初代「かとれあ丸」でこの大島に来たことですからなじみの深い島なのですが、なぜかこの港に来るのは今回が初めて

その一番奥に停泊しているのは東京都立大島国際高等学校の練習船「大島丸」(497トン、1996年建造)
ひときわ大きく白く美しく輝いていました。

その大島丸」のいる港の奥まで歩いていきます。
この港はもともとは火口湖だったそうで、江戸時代に地震で海と繋がったのをきっかけに湾口を人の手で広げて今のような港にしたそうです。
かつては太平洋を行き交う大小の船舶の風待ち港として大いに繁栄した港町だったとのこと
航海技術が発達した今では、そうした使われ方はほとんどしていません。

最奥部に到着
真正面が狭い湾口です。その向こうが太平洋
逆光の波浮港もなかなかいいですね。

最奥部には港に面して小さな商店街があります。
いまはほとんど商店として営業していませんが昭和の面影をたっぷりと残したレトロな街並みが素敵です。

その商店街の途中を左に折れ、少し坂を上ると、かつてのこの町の繁栄を象徴するような立派なつくりの旅館がありました。
もちろん現在では営業をやめて資料館になっています。

お邪魔しま~す
この旧旅館は川端康成の小説「伊豆の踊子」で主人公の踊子が働いていた場所だそうです。
従業員やお客のマネキンがちょっと不気味

かつては現在の東海汽船の前身の東京湾汽船の客船も本土とここを結んで出入りしていたようで、伊豆の踊子もこうして船に乗って下田まで巡業に行って学生さんと淡い恋に落ちたってわけですな。
小説の踊子はまだ14歳、いまの中学二年生なんで、当時のコドモはませてたんですね〜

当時の写真に写っている客船は「菊丸」(759トン、1929年建造)
僚船の「葵丸」とともに名船二代目「橘丸」が完成するまでは東京湾汽船のフラッグシップだった船でした。
何の解説もなかったのでわかりませんが、満船飾なのでもしかしたら初入港のシーンなのかもしれません。

もう一枚、客船の写っている写真がありましたが、この船の船名はとうとうわからず
う〜ん、悔しい〜

その旧旅館から坂道を登っていくと波浮港が一望に出来ます。
想像していたよりずっと小さく、そして美しい港です。

坂を上り切ると波浮港の高台のお屋敷街に出ます。

昔ながらのなまこ壁の民家が立ち並んでいるフォトジェニックな場所
画面左の民家は内部が改装されてお洒落なカフェになっています。

そのカフェで名物の耳付きたい焼きを賞味しながらレトロな街並みを眺めてかつての繁栄を極めたこの街に思いをはせます。

かつてのこの土地の網元のお屋敷「旧甚の丸邸」が保存公開されていました。
いかにも南の島のお屋敷といった造りで大きな棕櫚の木と縁台が素敵
三線を持ってくればよかった〜
このあたりで波浮港の滞在はタイムアップ、再びバスに乗って元町港経由で岡田港に戻ることにしました。
次回、大島往復2000円クルーズ最終回、「さるびあ丸」で岡田港から東京港にもどりました編に続きます。
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