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クルーズ旅行を、みんなの経験から。

関釜連絡船・興安丸

先日、第一芝浦丸のバックに描いた東洋郵船の客船、興安丸の戦前、関釜航路華やかりしころの晴れ姿です。

この船の数奇な運命についてはこちらをご覧ください。

しつこいようですけど、本当に下関で保存しておいて欲しかったです。もちろんこの姿に戻して

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コメント

4件

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M
mirai2802007年3月1日 13:03

私も下関に保存してほしかった1人です、父が崑崙丸、金剛丸、興安丸と航海士をしていて、金剛丸は座礁し解体され崑崙は青函に回送中魚雷にやられ、当時の写真を見ると思い出されます、最初に設置されたモニュメントの設計コンペに参加して私の思いもデザインに生かされているので内心うれしい思い出です。金剛丸の座礁した当時の写真を見ると今なら解体を免れたかなと?。

punipcruises
mr. punipcruises書いた人2007年3月1日 23:44

fxkfwさんにとって、忘れることの出来ない3姉妹なんですね。興安丸の解体の時は下関と三原で保存運動が盛んだったようですが、当時の東洋郵船の社長(あのホテルニュージャパンの故横井秀樹氏)が利益を優先にして解体に踏み切ったようです。国が買い上げるべきだったのにつくづく惜しまれます。

M
mirai2802007年3月9日 21:10

1944年試運転時の崑崙丸です、塗装なしの姿と、在りし日の興安丸の写真をアルバムから撮りました、金剛丸の座礁の写真は当時父が航海士をしていましたのでやめます、また興安丸のお客さんで東海林太郎さんの在りし日の写真もあります。

punipcruises
mr. punipcruises書いた人2007年3月10日 00:23

とびうおさん、拝見しました。崑崙丸の試運転の姿、かっこいいですね。さすが高速客船らしく、写真からもスピード感が出ています。つくづくいいデザインの船だったと思います。

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