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クルーズ旅行を、みんなの経験から。

日本カーフェリー・せんとぽーりあ

わたしが少年のころ、長距離フェリーというと「さんふらわあ」の日本高速フェリーでも、新幹線のような新日本海フェリーでも、瀬戸内海航路の阪九フェリーでもなく、川崎と宮崎の日向を結ぶ、この日本カーフェリーでした。

現代の基準ではもちろん、当時としても決して大きなフェリーの部類には入りませんでしたが、純白の船体と真っ赤な煙突に鳥のマークがかっこよくてあこがれの船でした。

時は流れてこの航路、マリンエキスプレスの宮崎航路として引き継がれたこの路線も2005年6月で廃止になってしまいました。

結局一度も乗れなかったなあ

上の絵は日本カーフェリー宮崎航路創成期のふぇにっくす型カーフェリーの一隻、せんとぽーりあ(5960トン、1971年建造)です。

このクラスの船は結局6隻が建造されましたが、最後まで生き残って1993年に引退したのがこの船でした。

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コメント

15件

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音
音実2007年10月13日 23:56

この船にふさわしい、可憐なお名前ですね〜(^_-)-☆ 夕景かな??・・優しみのあるタッチ・・いいですね(^^)v ・・ポチ☆

や
やいま2007年10月14日 00:21

いつも印象的な船の絵を楽しませていただいてます せんとぽーりあは高校の修学旅行で宮崎から大阪まで乗った船です あまりの懐かしさのためコメントさせていただきました

-
-2007年10月14日 23:22

幼少の頃、大阪へ旅立っていく知り合いを見送りに、日向港で見送りをしたことが何度かあります。当時フェリーと言えば、1000トン未満の船しか知らなかった私にとって、途方もなく巨大な船という印象がありましたが、廃止は寂しいものです。

punipcruises
mr. punipcruises書いた人2007年10月15日 00:13

音実さん、この船の姉妹船は、「ふぇにっくす」、「ぶーげんびりあ」、「はいびすかす」とどれも綺麗な花の名前がついていましたよ。

punipcruises
mr. punipcruises書いた人2007年10月15日 00:14

yaimaさん、お久しぶりです。 宮崎から大阪まで乗ったのでしたら、この船が宮崎カーフェリーに移籍してからですね。 いい修学旅行の思い出になったのかも知れませんね。

punipcruises
mr. punipcruises書いた人2007年10月15日 00:18

sunburnさん、近距離航路の小型カーフェリーに較べるとたしかに大きさも外観も「豪華客船」に見えるかも知れませんね。 わたしも最初見たときはびっくりしました。 それまで国内航路の船というと東海汽船の2千トンクラスの船しか知らなかったので…

S
sai*l*rge11*2007年10月16日 09:01

確か、1972年頃だったと思いますけど、宮崎カーフェリーが就航して早い時期に日本カーフェリーに宮崎カーフェリーは吸収合併されたので、大阪〜日向航路投入時の「せんとぽーりあ」は既に日本カーフェリーの大阪航路だったのではないかと思われます。

punipcruises
mr. punipcruises書いた人2007年10月16日 23:36

saillargeさん、おひさです〜 すんません、関西のフェリー事情にあまり詳しくないもので…(汗) この船の移籍後も「宮崎カーフェリー」だと思い込んでいました。 そのうち、美々津丸なんかも描いてみたいと思っています。

オ
オバケのQ太郎2011年5月6日 02:02

私も修学旅行で宮崎県日向港から大阪南港まで乗っています。当時はまだ日本カーフェリーでした。 川崎航路へやや大きな新造船が投入されこの船は大阪航路に回されたばかりでした。

punipcruises
mr. punipcruises書いた人2011年5月8日 00:13

qqqno9tarouさん、コメントありがとうございました。 当時、付き合っていた彼女が高校の修学旅行でこの船のあとの「美々津丸」に乗船して船のキーホルダーのお土産を買ってきてくれたのを思い出しました。

C
chikusui2013年1月7日 10:03

初めてお邪魔します。セントポーリア、ブーゲンビリアの機関室の設計をしていました。懐かしい写真や絵を見せていただきありがとうございます。紺屋の白袴で客としての乗船は出来なかったです。海上公試ではエンジンルームの中を駆け回っていました。

punipcruises
mr. punipcruises書いた人2013年1月8日 11:33

chikusuiさん、ご訪問&コメントありがとうございます。 こんな素敵な船のエンジンルームの設計をされていたのですね。 まったく新しいタイプのフェリーでご苦労も多かったと思います。 わたしもいつかは乗ってみたいと思っているうちに引退してしまいました。

ち
ちきゅう2013年11月20日 19:23

Punip師匠!。たしかにこのファンネルマークに見覚えがあります!。 子供の頃なので、もっと大きかったと記憶していましたが…懐かしい!。 しかし、スゴい交流の広さに驚きです! ありがとうございました!。 \(^o^)/

punipcruises
mr. punipcruises書いた人2013年11月21日 00:21

ちきゅうさん、このころフェリーといえば東京湾を横断するフェリーしか見たことのなかったわたしにとってもかなり大きな船に見えました。 実質的には一万トン以上のサイズのある船ですので決して小さくはないのですが、今の長距離フェリーの基準からすればだいぶ小さめの船ですよね。 でもとてもかっこよかったです。

後
後ろの怪生物2018年7月21日 12:46

ワタクシ、幼少の頃に何度か『せんとぽーりあ』に乗ってます まだ母方の祖母が存命でしかもまだまだ農業人としてバリバリの現役だった頃、丁度ウチの母も車の免許取ってそう年月も経ってなく……母の運転する真っ赤な(多分FRだった頃の)スターレットのリアに乗って宮崎に行く時はほぼ必ず(当時の)日本カーフェリーの『せんとぽーりあ』を利用してましたね 時代が下がって中学の頃、一人で祖母の家を訪れた帰路に乗ったのも確か『せんとぽーりあ』だったと思います 船内の様子は完全に忘却の彼方ですが……夕食は必ず船内のレストランでカレー食べてたのが記憶に残ってます(笑)

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