じぶんの記憶に間違いなければ高校2年の夏、ひとりで初めて行った関西旅行
大阪天保山から神戸中突堤まではじめて乗った関西汽船の客船、こばると丸(3151トン、1967年建造)です。
その航海の大半の時間をトップデッキにある煙突風の展望ラウンジで過ごしていました。
じぶんの記憶に間違いなければ高校2年の夏、ひとりで初めて行った関西旅行
大阪天保山から神戸中突堤まではじめて乗った関西汽船の客船、こばると丸(3151トン、1967年建造)です。
その航海の大半の時間をトップデッキにある煙突風の展望ラウンジで過ごしていました。
子供の頃に父に連れられて行った神戸港で、こばると丸や同型船のゆふ丸をよく見たのを思い出します。実家にはこの当時の関西汽船の絵葉書セットもあります。懐かしいなぁ・・・(ポチッ)
こじ太郎さん、ポチありがとうございます。
このころは小さいけど美しい客船が瀬戸内海にはたくさん走っていました。
わたしも懐かしい思い出なのでセピアカラーで描いてみました。
PUNIPさま
こんばんわ。
懐かしい船が登場しました!
大阪港弁天埠頭(私が乗った時代には、天保山ではなく弁天埠頭でした)から神戸中突堤まで、この『こばると丸』や『あいぼり丸』で行きました。お昼すぎに家を出て、友達と一緒に、わざと電車ではなくこの船で行ったり、特に目的も無く一人で出かけたりしました。
ほかにも高松便の『まや丸』や、加藤汽船の『はぴねす2』なども利用しましたが、この『こばると丸』『あいぼり丸』姉妹は、最後まで残った純客船ということで、とても印象深い船です。
最後の夏には、別府から大阪まで全区間乗船をして、純客船の船旅を楽しみ(もちろん2等ですが・・・)、最終便には、大阪から神戸までお名残り乗船しました。そのときですが、中突堤で私と入れ替わりに知人親子が乗船し、別府まで最終便の旅を楽しんで来られました。うらやましかったです〜。
もう、この船が引退して15年ですよね。
本当に懐かしくて、PUNIPさまのセピア色の素敵な絵を見ていると涙が出てきそうです。
では、失礼します。
こういう風にダミーファンネルを中央へ建てるデザインは今でも「あり」の様に思うのですが、中々無いですね。このデザインのまま1万トンくらいに拡大してみたい衝動に駆られます。綺麗な船です。このイラストも良いですね、遠景の貨物船二隻がまた、如何にも瀬戸内という感じが溢れていると思います。
鉄軌星斗さん、ごめんなさい、わたしが乗ったのも弁天埠頭でした。
そんなにたくさん乗る機会があったなんてうらやましいですね。
関西汽船もこのあいぼり丸クラスの次のゆふ丸クラスからカーフェリー化されていったので、最後の純客船なんですね。
いまや残っているのは横浜でレストランクルーズ船になっているくれない丸だけ・・・またこういった船が復活する時代が来てもらいたいです。
つうせいさん、当時は煙突を後部マストと一体化して目立たなくすることがはやっていたようで、わたしがはじめて乗った客船である東海汽船の初代かとれあ丸や巡航見本市船のさくら丸が同じような煙突を持っていました。
でもわざわざダミーの煙突を作ってそこに展望室をしつらえるというのはたしかにあまり無いような気がします。
有名どころではアメリカのブラジル、アルゼンチナ姉妹でしょうか?
この2隻もHALに売られる頃には展望室は無くなっていました。
HALといえば先代ロッテルダムも後ろに目立たない並列2本のデリックポスト風の煙突を持ってきて、本来の煙突の場所にファンネルマークをつけたダミーファンネルってほどでもない部屋(?)を設けてました。へんな時代だったのですね。
ちょうど30年前、今は亡き親父と二人で夏休みに九州旅行の際に乗船しました。イラストをみて、懐かしく胸がキュンとしました。
商業会計人さん、はじめまして!コメントありがとうございます。
神戸もしくは大阪から乗られたのでしょうか?
当時は瀬戸内海でも大きな部類に入る客船でさぞや楽しい船旅が楽しめたことでしょう。
展望ラウンジから見た風景が今でも忘れられません。
あいこば、わたしのいちばん好きな船でした。
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