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懐かしの東海汽船 「さつき丸」

今回は半世紀近くに渡って日本の海を走り続けた、大正生まれの小型客船「さつき丸」(538トン、1926年建造)です。

Y!ブログ仲間の船おじさんもご幼少のみぎりに伊豆大島航路で乗船したというこの船、たぶん当時でも「超長寿船」として有名だったことでしょうが、わたしは全く記憶がありません。

1973年にあの歴史的名船「橘丸」(1936年建造)の引退と時を同じくして引退しています。

今回も解説をtoshi@maru さんにお願いしています。

当時の「さつき丸」は下田〜大島・伊東〜大島・江ノ島〜大島の各航路に運航されていて、下田〜大島〜伊東で利用しました。

当時はあまり船の知識など無く、前部の広い木甲板でごろごろしていたのと、2等船室も壁で区切られていたこと同じく2等船室でも角窓であったこと位しか覚えていませんが、本格的に意識して乗った船は本船でした。

しかし船歴を知るや、「よくぞ生き残ってくれました!」という船であったことを知り、興味を持ちました。

建造は多くの銘船を誕生させた三菱長崎で1926年(大正15年)5月に九州汽船(後の九州商船)の長崎〜五島航路の貨客船「長福丸」として産まれました。

何の変哲も無い離島航路船で三連成蒸気機関(レシプロエンジン)石炭を燃やし黒煙を上げて走っていたことでしょう♪

その後1949年に「藤丸」(28隻組、大阪商船より購入)1952年に「椿丸」(元、大衆丸、尼崎汽船より購入)と何か因縁めいた船名の両船が五島航路に就航したため、この「長福丸」は屋久島・種子島航路に転配され、この時オイルバーナーを施されました。

当時の鹿児島には照国郵船の「第一照国丸」(のちの東海汽船「椿丸」)もいて、船の不思議な縁を感じずにはいられません。

その後、1957年に伊豆箱根鉄道に売却され「伊豆箱根丸」となり、純客船への改装やディーゼル機関への換装がされました、「伊豆箱根丸」当時は船内3等級で1等サロンや2等椅子席もあったようです。

1966年、伊豆箱根鉄道から譲渡された本船はしばらく東海汽船の「伊豆箱根丸」として運航されましたが、1967年に「はまゆう丸」の就航とともに他航路へ転配され、翌年「さつき丸」と改名され東海汽船の伝統である花の名となりました。

当時すでに我が国最古参の客船として、戦前派の「橘丸」「菊丸」とも各島で顔合わせをしていました。

九州を旅立ってからは大島航路に終始し、戦時中には徴用されるも一年足らずで返船され、戦争末期被弾炎上するも沈没を免れ数々の危機を乗り越えたこの奇跡の船も、1973年に不思議な縁をもつかつてのライバル「椿丸」の小笠原海運よりの返船により引退し、47年にも及ぶ永きの活躍に終止符を打ちました。

文 toshi@maru

ちなみに当時のライバル会社である伊豆箱根鉄道の「伊豆箱根丸」だったころはこんな感じです。

カウンタースターン(帆船のように大きく角度の付いた船尾形状)が素敵♪

hikari

昭和20年代に我が故郷五島列島と長崎を就航していた長福丸と再会できとても懐かしく思いました。藤丸や椿丸も乗船したことがあり想い出が深い船です。

seagoddessさん(でいいのかな?)はじめまして!
五島列島の方ですか?この船は現在の「フェリー福江」や「フェリー長崎」の大先輩にあたる船ですね。
博多航路の「太古」も大好きな船です。

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