ずいぶん以前に描きかけて、そのままにしていた青函連絡船「十和田丸」のイラストを仕上げてみました。
このブログを以前から見ていただいている方はお気づきと思いますが、わたしは人物や動物を描くのが非常に苦手でして・・・
そんななかではこの絵はごく珍しい作品かも知れません。
この絵からどんなシチュエーションを想像していただいても結構です。
描いている本人は特に何も考えずに直感だけで描いたものですから(笑)
ちなみに人物のモデルはウチの大ハニー様さまとその手下では決してありません。
「十和田丸」は大きく右舷に傾きながらピッチング(たて揺れ)して船首を波に突っ込んでいます。
普通、これだけ荒れていたら欠航ですよね・・・ま、いっか・・・
いいですね、ファンネルが『JNR』というのが…
青函連絡船にはJRになってからしか乗船したことが無いので。
これだけ荒天の中の航海だと間違いなく船酔いしますね(笑)
そういえばフィリピンに行った十和田丸、カジノ船で頓挫して
その後どうなったのでしょうか…
いよいよ十和田丸が登場ですね〜待ってました。
これくらいの時化でもば客なしで貨物便としての出航は十分有り得ますよ〜こういうシーン、ビデオに映っています。
こじ太郎さん、JRの期間ってすごく短かったですよね?
そういった意味では貴重な乗船経験かも・・・
わたしは全く乗ったことがありませんのでうらやましいです。
カジノ船って「フィリピン・ドリーム」ですよね・・・どうなったのでしょうか?気になるところです。
ケイイチさんのRC十和田丸の写真をこのイラストを描く際にはかなり参考にさせていただきました。
実際に「十和田丸」を描くのははじめてですね(「ジャパニーズ・ドリーム」は描いたことがあるけど)
やっぱり青函連絡船にはオレンジの識別船体色がよく似合っている気がします。
青函連絡船は、私も一度も乗船する事が叶わなかったので、乗られた方の話を聞くと羨ましい(^.^)ですね。
この十和田丸というか、カジノ船は今年の1月にフィリピンで毎日見ていましたけど。。。やはりオリジナルのこの塗装・形が良いです。
スクラップになってしまったと聞きましたが、あの時もう少しアップで撮れたら良かったなぁと、少々後悔しています。。。
十和田丸=JD(ジャパニーズドリーム)ですね。
フィリピンでカジノ船でしたが税金の滞納で差し押さえられ
今年の上半期にバングラデシュでスクラップされたそうです。
貨車が脱線してそうな勢いですね。
イラストとしてはこれくらいの悪天候を突っ切ってる方が好きですが。
ドラマチックな画面がいいですね。かってにドラマの筋書き作ってます。荒波を渡る十和田丸、それを見ている親子、海峡、なんだかドラマあるじゃないですか。ぽち トシ
これって冬でしょうか・・・。マフラーしてるので。
冬の津軽海峡は厳しいですよ、それはそれは。大間のまぐろが高いのもわかります(笑)ファンネルからの排煙が船を追いこしてゆく様子、リアルですね。見てるだけで寒いです!!
ロケーションは津軽半島の北端という感じでしょうか?とするとこの親子も津軽弁ですな。「わいは(うわー)風っこ強いっきゃ!」「でも連絡船だはんで(連絡船だから)すずまねびょん(沈まないよ、きっと)」
PUNIPさま
こんにちわ。
船尾が上がっている様子を見て、坂本幸四郎さんの名著『青函連絡船ものがたり』に記されている摩周丸(初代)の難航を思い出しました。
台風の強風にあおられて、船尾が切り上がり現象を起こして舵が効かなくなったり、洞爺丸台風を経験したかつぎ屋のおばさん達が救命胴衣を着用して右往左往したり、船内各部で大変な航海だったそうです。
昭和34年9月の出来事だったので洞爺丸台風の記憶も新しかったでしょうし、乗客もクルーも恐ろしい思いをされたことでしょうね。
青森で保存公開されている八甲田丸のビデオシアターで上映されている青函連絡船映像の中に、大波が津軽丸型連絡船(たぶん八甲田丸)のブリッジを直撃するシーンがありました。ブリッジ内から撮った映像なのですごい迫力、恐怖でした。
それにしても、あの見上げるほど高い位置にあるブリッジまで波が達するとは、すごい・・・。
では、失礼します。
讃岐丸船長さん、マニラ湾でこの船の最晩年の姿を撮影していたのですね!・・・気が付きませんで失礼しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/cv880b727/28346496.html
それにしても貴重な写真です。驚きました。
船体の塗りわけのせいか、「ジャパニーズ・ドリーム」のころより「十和田丸」のイメージに近い気がするのは気のせい?
こうなると長崎にいたホテルシップ・ビクトリアこと「大雪丸」のその後も知りたいところです。
kujiraさん、この船はやっぱり解体されたのですね。
横浜〜神戸の定期クルーズという発想はすごく良かったのですが・・・日本では短命に終わってしまって本当に残念です。逆にフィリピンではよくぞいままで生き残っていたというべきでしょう。
JD時代にいちど乗ってみたかったです。
のーむさん、こういう荒天の絵はあんまり描いたことが無いですね。
そういった意味でも貴重かも・・・
実際にこれだけ揺れていると中でどんなことが巻き起こっているのか興味があります。
とりあえず体質的に船酔いは大丈夫みたいなので乗ってみたいです(全然ダメだったりして)
トシさん、演歌風のドラマですかね〜
これがヤシの木繁る白い砂浜で水着の親子だとどんなドラマになるんでしょうか?
それじゃドラマになりませんね(笑)
アントンさん、すごい!津軽弁つきのドラマのシナリオまで考えてくれてありがとうございます。
今考えたのですが、この親子、「十和田丸」の2等航海士の家族っていうのはどうでしょうか?
鉄軌星斗さん、『青函連絡船ものがたり』ですか?読んでみたいですね。
冬場の青函航路はこんな航海も現実にあったかも知れません。命がけの航海です。
謹賀新年
国鉄をこよなく愛するガンバレールと申します。
十和田丸は、当方が唯一乗ったことのある青函連絡船でした。
JNRマークが懐かしいです。
旅情と、迫力を感じさせる絵画かと思います。
傑作ポチ!
ガンバレールさん、はじめまして!
ご訪問ありがとうございます。
青函連絡船はわたしは一度も乗船経験が無く、お台場の「羊蹄丸」で往時を偲ぶのみです。
これからも国鉄時代の連絡船は数多く描いていくつもりですのでどうぞよろしくお願いします。
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