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懐かしの東海汽船 あけぼの丸

このシリーズ6隻目は、同社では異色の小型客船「あけぼの丸」(399トン、1947−70年)。ccommonthymeさんのリクエストです。

戦前の瀬戸内海航路の客船「志ろがね丸」を意識したと思われる流線型デザインの船体を身にまとい、戦後の大島〜下田航路に就航しました。

「橘丸」や「椿丸」「かとれあ丸」「さるびあ丸」など客船には伝統的に花の名前をつけている同社としてはちょっと珍しい名前ですね。

もっとも関西汽船から購入した「淡路丸」も「藤丸」に改名されるまでしばらく旧船名を使っていたようですが・・・

イラストの「あけぼの丸」にはブリッジ後方に小さな煙突が付いていますが、建造された頃は流線型デザインを追及するあまり、当時ではまだ珍しい後方排気方式(クルマと同じ船尾から排煙を逃がす)のため煙突は存在しなかったようです。

それにしてもこんな遊び心に溢れたデザインの船が離島航路に就航していたなんて、いい時代だったんですね。

toshi@maru さんの解説
この戦後小型客船28隻組の一番船「あけぼの丸」は戦後復興の礎として建造された、当時本邦初の客船・貨客船でした。

外観は「志ろがね丸」というよりは「橘丸」の小型版という感じで三菱神戸に発注され、船内は東京湾汽船「菊丸」からの同社のポリシーである仮眠の出来る遊覧船を受け継ぎ、全体がサロンというか喫茶室のような仕上がりでした。

当初は三崎や館山等湾内での運航を考えていたようですが、その後大島・下田航路に変更されました。
当時はGHQの管理下での建造で 28隻組全てに貨物の搭載を義務付けていましたので、本船にも船底に貨物倉があり、荷役はエントランスに設けられたリフトで行われました、これは戦後復興のためには食料の輸送が重要との考えのもとからです。

船名の「あけぼの丸」は当時多くの船社で名付けられた名前で日本の再復興を願って付けられたものでした。

文 toshi@maru

commonthyme

こんばんは、あけぼの丸を描いていただいて、ありがとうございます。
子供頃、元町港から見たあけぼの丸の雄姿をついこないだのように思い出しうれしくなりました。
あけぼの丸、橘丸、かとれあ丸、昔の東海汽船の船はデザインよかったですね。

common thymeさん、喜んでもらえてよかったです。
実はこの絵はもうしばらく前に描いてあったのですが、アップするタイミングを逃してました。

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