紀伊半島沖で座礁転覆し、全損となったマルエーフェリーの東京〜沖縄航路フェリー「ありあけ」の代船として、かつて名古屋〜大阪〜沖縄〜八重山諸島〜台湾という気の遠くなるような長い航路に就航していた元有村産業の「クルーズフェリー飛龍21」(9225トン、1996年建造)が東京港、有明ふ頭にやってきました。
気温6度という真冬並みの寒さのなか、わたしが現地に到着したときはまだお食事中。
まずは先日、わたしが予想図で描いた構図で一枚。
やっぱりだいぶ違うなぁ・・・
今回はまだ就航前の試験航海、いよいよその出港のときが近づいてきました。
わたしが見ていたのは新交通システムゆりかもめの青海駅。
一時はパレットタウンの観覧車に乗ってとも考えたのですが、入出港時刻が不正確なので定評がある沖縄航路の場合、超リスキーなのでパスしました。
しかも寒い日におっさんひとりで観覧車に乗るなんてものすごく不自然だし・・・
船名は「ありあけ」でも「あけぼの」でも「あかつき」でもなく、有村産業の船名そのまんま。
これには意表を衝かれました。
新しい船名の下に旧船名を探すのが趣味だったのに〜(泣)
煙突の丸のアルファベットのAのマークも有村産業時代のものをそのまま流用していると思われます。
有村産業もマルエーフェリーももともとは同じルーツを持つ会社なだけに当然といえば当然ですね。
船体中央部、以前ARIMURAと書いてあったところにA”LINEの文字が・・・
その下のブルーの塗り分けはそのまま、上の2本のストライプは消されています。
これだけでだいぶ印象が変わってしまうものなのですね。
個人的にはいまのほうが好みかも・・・
わたしの描いたイラストと決定的に違うのがこの4隻の救命艇。
国際航路から国内航路になったので必要ないはずだし、しかも定員が272名から92名に大幅に減ってしまったのですが、取り外すコストを惜しんだのでしょうか?
それにしても定員100人にも満たない「クルーズフェリー」っていったい?????
定刻12時ジャスト(すごい!)いよいよ岸壁を離れました。
真横から見るとなかなかかっこいいスタイルですね。
船籍港は「ありあけ」の名瀬(奄美大島)から那覇になっています。
これも旧船主時代のままなのでしょうか?
昔からマルエーフェリー(大島運輸)の特徴である長いなが〜いタラップがどちらの舷側にも見られません。
やがて夢の島前を左折、次港の鹿児島県の志布志に向かって行きました。
この船の正式就航は3月11日木曜日、午後5時にここ東京港有明ふ頭を出港いたします。
「伊豆諸島の式根島(人口約600人)の船客待合所のほうが遥かにまし」だともっぱら噂されている日本の首都、東京港船客待合所に4ヶ月ぶりに明かりが点るのももうじきです。
PUNIPさん見に行かれたのですね。私は仕事で行けませんでした。それにしても改造した箇所が非常に最小限のようですね。船名が全く変らないのも珍しいですね。でも、この船を東京でみる事になるとは思ってもみませんでした。
おはようございます。
やっぱり噂は本当だったんですね。
試験航海に有明埠頭に来港したんですね。「飛龍21」
92名の乗客数とは意外な驚きでした。こじんまりしますね。
こんばんは、PUNIPさんもいらしていたのですね! 私はPUNIPさんのちょうど対角線上で撮影しておりましたよ(笑)。
こちらの記事にTBさせていただきますね。
本日、奄美に入港していましたので見に行きました。楽しみにしていましたが正直ありあけのほうが外観はよかったです。トン数以上に小さい感じでした。でもマルエー特有のタラップが短く乗り易そうでした。船内がきになりますが
咸臨丸さん、予想以上の早さでの航路復活で、しかもこの船とは驚かされました。
改装を最小限に留めたのはなるべくコストを掛けたくなかったのでしょうね。
長くこの航路が続くことを祈りたいと思います。
kujiraさん、この航路、乗客をたくさん乗せるようにしても意味ありませんよ。92名でも多すぎるぐらいかも知れません。
うみくまさん、トラックバックありがとうございます。
斜め前方からのショット、いいですね。
わたしはあまりの寒さにふ頭に行くのは諦めました。一時は青海駅のプラットフォームから出港を見ようかと思ったぐらいの軟弱者です。
おくおくさん、わたしもトン数の割りに小さく見えるなというのが第一印象でした。
有村産業のころのデザインはあまり好きではなかったのですが(と言っても写真でしか見たことないのですが・・・)このカラーリングはなかなかのものだと思います。
「ありあけ」とはまた違った外観の良さを感じました。
コメントを投稿する
コメントを書く