前回、日本郵船の客船計画を書いたので、今回は商船三井です。
青年の船っていう政府主導型の研修クルーズがありまして、海の上で集団生活をして海外に行き、いろいろなことを学び取ろうといういかにも昔の日本人らしい発想のクルーズですが、昭和40年代には日本のクルーズというとこういったものが当たり前だったようです。わたしはすごく苦手なタイプのクルーズですが・・・
いまでも各自治体や、経済団体などが「○○青年の船」と言う形で日本チャータークルーズのふじ丸を使って行っています。
一番初めは昭和42年に巡航見本市船さくら丸を利用したものでした。ただし当然見本市航海のあいまに利用するため、いつでもと言うわけには行きません。
そこで昭和48年(1973年)に持ち上がったのが上の絵にあるような青年の船専用船の計画。
手持ちの資料によると、総トン数19000トン、完成予定1975年、三菱重工神戸造船所(ふじ丸と同じ)とのこと、沖縄海洋博に間に合わせるつもりだったようです。
運航は当時さくら丸、あるぜんちな丸(初代にっぽん丸)を運航していた商船三井に白羽の矢が立てられていました。
結局、オイルショックという高い壁にぶち当たりあえなく挫折。
その後、青年の船はにっぽん丸、新さくら丸と受け継がれて、いまのふじ丸になっています。
デザイン的には当時最新鋭のクルーズ客船だった、創生期のNCLのスターワードあたりの影響を強く感じられて面白いのですが・・・
次回はバブルに散った某イタリア人著名デザイナーの日本客船の巻〜 お楽しみに
そういえば今回は那覇に寄港した「ふじ丸」の横断幕に第27回大分青年の船と書かれていました。
kawatoyoさん、やっぱりふじ丸の沖縄クルーズは青年の船でしたか?こんなわけで研修クルーズがメインのふじ丸が一般向けのレジャークルーズを行うことはめったにありません(たまにあるけど)
10年程前に知り合いのお子が、入社したてに「青年の船」に乗り中国方面に行くと云ってました。船の名前は分かりませんが今でも行われているんですね。
shouさん、10年前ならおそらくふじ丸でしょうね。来月、ふじ丸が田子の浦から数回発着するのも何らかの研修クルーズのようです。
学生さんならいい経験になりそうですね。政府手動で研修の学生さんなどを対象としたなら値段もそうとうリーズナブルな感じですし(笑 ピースボートとはまた違うのですか?トパーズでしたっけ?
こたけさん、トパーズのピースボートは大学生も多く、研修クルーズっぽい感じですが、青年の船とはだいぶ雰囲気は違うようです。といっても研修クルーズ自体参加したことがありませんのでよく分かりません。
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