先日、横浜港で参加した練習帆船「海王丸」の一般公開 。
船内やデッキはとても清潔に綺麗に整備されていて、2004年秋の富山港沖でこの船を襲った台風23号の爪あとは微塵も感じることは出来ませんでした。
それは一時はこの船の存続自体も危ぶまれるような悲惨な座礁事故で、繰り返されるニュース映像に目を背けたくなるような光景が展開されていました。
あれからもう4年近く経ち、以前となんら変わることなく、多くの船乗りの卵たちを育てている姿を見て、「あぁ、元の綺麗な姿に戻ることが出来て、本当に良かったなあ」と感慨にふけってしまいます。
その反面、常に思い出されるのは上の絵に描いたロシアの小さな客船のこと。
彼女の名前は「アントニーナ・ネジダノーヴァ」ANTONINA NEZHDANOVA(4254トン)
ソ連極東船舶公社が1978年にユーゴスラビアで建造した小型客船で、主に日本海側の各港とウラジオストックなどロシアの港を結んで就航しており、東京や大阪にも寄港したことがあります。
事故のころは現在も活躍中の「ルーシ」とともに富山の伏木港とウラジオストックを結んでロシア人のための日本製中古車の運搬用およびバイヤー乗客用として主に使用されていました。
「海王丸」の事故と同じ台風23号接近の日、場所もわずか15キロしか離れていない伏木港の万葉埠頭に着岸した状態のまま強風に煽られた彼女は、デッキにところ狭しと積込まれた中古車による重心のバランスの悪さもあって、またたくまに横転半没。
本来なら台風接近の場合は埠頭には着岸せず、沖合いに避難して錨泊して台風をやり過ごすのが鉄則なのですが(海王丸はその時、沖合いに避難していたのですが、あまりの風に陸地まで流されてしまった)この船はなぜか強い風の中でも着岸したままだったそうです。
保険会社の査定は全損ということで、その年の年末に浮揚して中国の解体業者のもとに曳航されていきました。
奇しくも同じ台風で、同じ日に、すぐ近くで、しかも同じような損害状況でありながらその後の生涯で全くの明暗を分けた2隻の白い船。
船としての古さや、重要度など、さまざまな要素があってこうなったのだと思いますが、なんとなくやりきれない淋しさを感じてしまいました。
かつてのソ連のナホトカ航路の小型客船「バイカル」クラスを彷彿とさせる、小さいけれどもいかにも客船らしいデザインが好きでした。
人も船も・・・それぞれの役割を担って誕生してくるのでしょうに
粗雑な扱いを受けてこの世を去っていく無念さを思えば 命の尊さって何であろうかと・・・情を寄せ過ぎるようですが 涙が溢れる思いがします。
とんとんさまの仰るとおり・・共感です・・
こんな可憐なお船が・・
教えてくださって、ありがとう・・☆
そうなのですか〜、あの日 そんな事が起きてたのですね(^^ゞ
ひたすら「海王丸」が可哀そう!で、当時の船長のことを呪っていました。
2003年4月22〜25日の短い間でしたが、鹿児島→長崎を 体験乗船したばかりでしたので、、
海王丸は新造船並みの改造(費用も)で、以前の痕跡はありません。
とんとんしゃん、判っていただき、ありがとうございます。
もとは鉄であったものが、造船所や船員のみなさんの手で命をふきこまれ、そして消えてゆく悲しさ、解体や沈没の記事を読むたびに辛くなるものがあります。
音実さん、共感していただきありがとうございます。
海王丸の事故に隠れてしまっていましたがこの事故はわたしにはどうしても忘れられないものでした。
じゃむオジさん、あの日の「海王丸」のシーンは目に焼きついています。海上保安庁のヘリの活躍も凄かったですね。
たかまるさん、わたしも「海王丸」の船内に入って、新造船のように綺麗なので驚きました。
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