ピースボートのHPを参考にして歴代のピースボートチャーターの客船を古い順に紹介していくこのコーナー、今回は第2回目。
1991年から94年にかけてチャーターした客船の数々をご案内します。
「オリガ・サドフスカヤ」 ソ連極東船舶公社 4250トン 1977年建造
見てお分かりの通り、前回にご紹介した「アントニーナ・ネジダノヴァ」の同型姉妹船です。
同じ形の船をまた描くのがめんどくさいのでおんなじ絵を使っていますが(汗)、ピースボートが1991年にKOREAクルーズでチャーターしたときはもしかしたら船体が黒く塗装されていたかも知れません。
現在のこの船の状況は不明です。
「サムジョン」(8314トン、1976年建造)
どこにでもいるアメリカ人みたいな名前ですが、初代「万景峰」のあとを継いで北朝鮮の新潟〜元山間の定期航路に就航した小型貨客船。漢字では「三池淵」英語表記では「SAM JI YON」と書きました。
大きな角窓を多用したエーゲ海あたりのショートクルーズにも使えそうなスタイリッシュな客船でしたが、1992年「万景峰92」の就航とともに引退、その後の消息は判っていません。
ピースボートでは1991年のKOREAクルーズで前述の「オリガ・サドフスカヤ」を引き継ぐ形で元山から新潟まで往復乗船しているようです。
かつては大阪や舞鶴にも寄港したことがあり、大阪入港の様子はY!ブログ仲間の岬 さきっちょさんのこちらの記事でご覧ください。
「ルーシ」 ロシア極東船舶公社 12798トン 1987年建造
かつて横浜〜ナホトカ航路に就航していたポーランド建造のRORO貨客船で就航当時は「コンスタンチン・チェルネンコ」と名乗っていました。
ピースボートが最初にチャーターしたのは1992年の東南アジアクルーズ。
その後、2001年の「オリビア」による地球一周クルーズの途中、アフリカのモンバサでエンジントラブルのため立ち往生した同船をリリーフする形で使用しました。
このとき、どちらも船尾にランプウェイ(格納式車両出入り口)を持つカーフェリー型の客船だったため、2隻が船尾をくっつけてランプウェイを橋のように繋げて引越し作業をするという非常に珍しい光景を展開しています。
この時の様子はこちらのピースボートのHPでご覧ください。
この「ルーシ」、現在ではマーシャル諸島に船籍を替え、伏木富山港とウラジオストックを結ぶ定期航路に就航中。どうやら濃紺に船体を塗られているようです。
「新さくら丸」 商船三井客船 17398トン、1972年建造
先代「さくら丸」のあとを継いで建造された元巡航見本市用貨客船で、1981年にMOPASに移籍してクルーズ客船に大改装されました。
前部の貨物艙だった場所に2度にわたって大きく旅客用スペースを増設したため、竣工当時とはかなり船容が変わってしまっています。ちなみにイラストは1999年の引退直前の姿を表しています。
のちにMOPASで建造された「ふじ丸」などのクルーズ専用船に較べると、パブリックスペースも狭く、改造のため船内は入り組んでいて使い勝手は悪かったようですが、この船の熱烈なファンも多く存在していました。
引退後は岡山県の由良でしばらく係船されていましたが買い取り手も現れず、2001年に中国で寂しく解体されています。
ピースボートでは1993年から1999年まで4回に渡ってチャーターしました。
「ゴールデン・オデッセイ」 ギリシャ ロイヤル・クルーズ・ライン 6757トン 1972年建造
小さいながらもこの当時のクルーズ専用船のデザインの文法を忠実に守ったスタイルのお洒落な船でした。
1994年、ドイツ、ハパグ・ロイド社に売られて「アストラ」になった後、香港でカジノ船「オマール」、現在では「マカオ・サクセス」として同じく香港のカジノクルーズで活躍(?)しています。
ピースボートではドイツに売却される直前のこの船を第2回地球一周クルーズに使用しています(新さくら丸と同時航海)が、エピロティキの「オセアノス」同様、よくぞこんな客船を見つけてきたものだとつくづく感心してしまいました。
でもこれだけ小さいと世界一周は大変だったでしょうねぇ・・・
Y!ブログ仲間の船おじさんのブログではこのピースボートチャーター当時のこの船の姿や、現在の香港における姿がこと細かく載っていて必見です。
続く・・・はずです。 たぶん
こんばんは。
「新さくら丸」が既に解体されてたとは知りませんでした。
静岡県では、青年の船という青年団主催の行事で長いこと使い、自分も2度ほどお世話になった船です。
年末年始に清水から東シナ海を経て香港まで航海しました。
ブリッジの前に増設された“さくらプラザ”という空間の揺れのきつさは伝説化していました。
kawaiさんは2回も乗船しているんですか!
わたしは見本市船時代に一度船内見学をしたことがあるだけです。
たしかにブリッジ前方にあとから造られたホールは揺れがきつそうですね。
この画風、好きなんですよね〜!
このシリーズの前は、たしか”クリッパー”のお料理教室だったような。
あっ、ピースボートだ!
PUNIPさん、こんにちは!
新さくら丸、なつかしいですね!
船おじさんは、新さくら丸のオリジナルの船型が大好きでした。
BLUE FUNNEL LINEのCENTAUR号やCOMPAGNIE MARITIME BELGEの
FABIOLAVILLE号のように本来、成り立たない別々の目的/見本市船
/貨物船/を背負って誕生した貨客船でしたね。
その後の改造で訳の判らない増築建物みたいになりましたが、
それでも、船体後部に位置した公室の内装は、見本市船時代の
大変、立派なものでした。
あの内装品なども全部、中国で解体してしまったのでしょうか?
はまねこさん、ときどきこの画風で描いたりしていますが、あんまり多用していないですね。
柳原良平さんという偉大な先駆者がいるのでちょっと遠慮してしまっているのかもしれません。
でもけっこうファンも多いので今後、いろいろな場面で描いていきたいと思っています。
船おじさん、わたしも見本市船当時の「新さくら丸」が一番好きでした。
「セントー」をかなり意識したデザインでしたが、均整はとれていたと思います。
後年のクルーズ船の姿はよく「巨大カツオ漁船」と揶揄されたものでしたが、ある意味親しみやすかったのかもしれません。
いずれにしろ、もう二度と世の中に現れないタイプの船ですよね。
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