1月17日は阪神淡路大震災のあった日
はやいものであれからもう12年の歳月が経ったんですね。
20代前半の2年間を兵庫県西宮市で過ごしたわたしにとって、神戸は特に思い出の深い街であり、東京の自宅のTVで阪神高速の横倒しになった画像を見た瞬間、頭を殴られた思いがしました。
このイラストの船は震災の年の12月に神戸〜新門司航路に就航したフェリーせっつ(阪九フェリー、15200トン)です。同型船に翌年4月に完成したフェリーすおうがあります
船腹に大きく書かれた「We Love KOBE」の文字は阪神復興の象徴でした。
「神戸はまだ負けへんで!」というメッセージはどんなに被災者の方たちを元気付けたことでしょう。
いまでもこの2隻はこの文字を書いたまま、神戸から毎日元気に旅立っています。
あの記憶をいつまでも風化させないでおきたいかのように…
内緒さん、わたしが青春時代の一時期を過ごした場所が燃えて崩れていく様子は本当に耐えがたかったです。でも地震国日本に住み続ける限り、絶対に忘れてはいけないと思います。
あの日のあの時間、ぼくは静岡駅で新幹線6時の始発を待っていました。大阪出張で30分遅れで出たが、名古屋でストップそのまま静岡へ戻って来たのを鮮明に覚えています。繰り返したくない惨事でした。
もう12年も経つのですね。あの日ははっきりと覚えています。実家に連絡が取れずにニュースだけでどうしようもなかったです。
shouさん、あの時間起きていたのですね。わたしは熟睡中。目が覚めてTVをつけたとたん飛び込んできたのは神戸の惨状でした。西宮に住んでいたころ一度も地震に会わなかったのでにわかには信じられませんでした。
地図屋さん、わたしも西宮の友人にすぐに連絡したのですが繋がりませんでした。でも無事だったので安心しました。
PUNIPさん、東海地震に遭遇したら無事に生き延びてくださいね。あ、横浜に住んでる私もそうか・・・・。人事じゃないんだよなあ。慣れが一番怖い・・・。
アントンさん、わたしは東京でも多摩の奥地に住んでいるので大丈夫。な〜んてのんきに構えて油断しているヤツが一番危ないんですよね。ちなみに仕事中に震災にあったら完璧に帰宅困難者になります(汗)
神戸から遙か遠くに住んでいたこともあり地震には気付かず、何も知らないまま出勤すると、職場が騒然となっていたのを今でも思い出します。今でも大きな教訓となっています。
神戸のかたをはじめ、多くの方に見ていただきたい絵ですね。このようなところにもメッセージがあることを見て、胸があつくなります。高校生のとき、学校が避難所になり、お医者様になった青年を思い出しました。人間としてとても素敵なかたでした。
sunburnさん、離れているとなかなか実感が湧かないものですが、日本の場合いつ自分の住んでいるところが被害にあうか分からないですからね。教訓としたいです。
yamaさん、そういう経験が人を変えていくこともあるのですね。素晴らしいことだと思います。
日本の大都会は港町が多いので、このようなときに船の役割が見直されています。12年前も食べ物の準備や病院の代わりに活躍しましたが、その活動は単発的でした。災害援助の手段の一つとして船の活用が議論されています。
地図屋さん、たしかに大都市は港が近いので、震災の際の救助に船は大きな役割を果たせますね。ただそういったたくさんの船を非常時に統括的にコントロール出来るシステムは整っているのでしょうか?そうであればいいのですが…
今年の震災の日は雨模様で濡れていました。船が活躍できるといいますが、震災の時には港が壊れて大変でしたね。船を生かすためには、1日で組み立てられる簡易桟橋なんてのも必要になるかもしれません。
駒さん、トラックバックありがとうございます。カーフェリーは震災のときはいろいろに役に立つはずですが、確かに港が破壊されているとどうしようもありません。
神戸万歳!!
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