保存青函連絡船「羊蹄丸」の船内にある展示施設「青函ワールド」でさんざんアホな行動を巻き起こしたクルボンは、そこを引きずり出されてデッキにやってきました。
連絡船当時にはたぶんなかったはずのステージで踊っております。
それにしても後方の煙突の「羊蹄丸」カラーのエンジ色は日焼けしてほとんど薄紫になってしまっていますね。
今度のオーナーはあれもきれいに塗りなおしてくれるのかな?
ブリッジにやってきました・・・すっかり船長気取りです。
こうしてみると他に見物客はいないように見えますが、実はこの周りには普段の平日では考えられないぐらいの見物客が訪れていました。
そんななか、バックからクルボンを出して撮影するのはほんの少し、ためらいが・・・(汗)
でもそれよりも皆さん誰も「お、クルボンですね!」と言ってくれなかったのが寂しかったです・・・当たり前ですが・・・
チャートテーブルの神棚でこの船の今後の行く末のご安航をクルボンが祈っているのだと思いたいですが、おそらくな〜んにも考えていないに決まっています。
船首に出てみました。
この次にここから見える風景はいったいどんな風なのでしょうか?
永年の東京での生活、お疲れ様でした・・・と、言っているのだと思いたいですが・・・たぶん「本物のおねいさんとのツーショットはないのかなぁ」ぐらいのことしか考えていないと思います。
連絡船当時の面影はどこにも無い休憩ラウンジでのショット
次の保存先でこういった船室をもとに戻せないのであれば、かえって夢や思い出を壊さない意味でも完全閉鎖して甲板と操舵室以外は公開しないぐらいの徹底をしてもらいたいですね。
そんなわけで、クルボンを連れて訪ねた東京でのおそらく最後の「羊蹄丸」乗船見学はこれで終了
昨日、(9月30日)大勢の連絡船ファンが見守る中、盛大な疑似出港式が行われ、すべての展示が終了したそうです。
わたしは仕事でどうしてもこのイベントを見に行けませんでした。
いずれ新しい保存先にもこいつを連れて見に行くことが出来るといいですけどね・・・
ちなみに画像に写っている船籍港が「函館」でも「青森」でもなく「東京」なのは当時国鉄の本社が東京にあったためで、こうして東京港に展示してあるからでは決してありません。
どこの港に行っても、これは出来れば変えないでほしいなぁ
横浜にくるといいのですが、廃船なのでしょうかね?
結局私は仕事多忙で見にいけませんでした。
photo shooterさん、以前のわたしの記事にも書きましたように、30件以上の引き取り申し出がありましたので廃船ではないようです。
ただ、横浜保存は…青函連絡船からなんの縁もゆかりも無い場所なだけにわたしとしてはあまり賛成出来ません。「氷川丸」と「日本丸」があればもうそれで十分でしょう。
いいトシした"おじさん・おばさん"がクルボンを持って写真を撮るのはかなり勇気が(^^;
そのハズカシサはPUNIPさんと私ペンミにしか分かりませんよね(笑)
ちなみに、呉基地では「クルボン」が目印で私がペンミであることがバレたケースが少なくとも3回(3人)ありました(^^;
ペンミさん、真のクルボン使いになるためにはお互いその恥ずかしさを克服しなければなりませんな(笑)まだまだ修行は続きます…
わたしの場合、撮るぎりぎりまでバッグにしまっておくのでいままでバレたことはありません。
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