12月15日火曜日 航海12日目 成田出国より17日目 現地アラブお昼前 日本時間夕刻
昨日中東の地の果て中東アラブのヨルダンを出港した。
本日より4日間、船はどこにも寄港せず終日航海、現在アカバ湾より紅海に至り、左にサウジアラビア右にエジプトを臨み方位151度南下を続けている。紅海の出口はインド海である。
船の醍醐味は、2度と同じ景色がない自然の移り変わりであり、下記画像の雲の間よりの木漏れ日の光のすじは限りなく
神々しい。
気候はスエズを過ぎれば暑いと思っていたが、イスラエル、ヨルダンと寒い、現在も船室にてフリースを着て記事を書いている。
昨日のヨルダンの記事は、別にアップ予定。やはり地の果てあった。
イスラエルより、欧州のクリスマスムードは全くなくクリスマスは無縁の世界となつた。
今回のヨーロッパより、ドバイの旅のハイライトは2つ、一つはスエズ運河、もう一つは昨日のヨルダンのペトラ遺跡である。
紀元前に作られたペトラ遺跡は、どうして古代人がこんな高い建造物を作れたのか不思議な世界であった。
しかし混乱と治安の悪化の為、エジプトの寄港がないのはなんとも残念であった。
日々何も困る事もなく、多言語を耳に生活し、日々手洗洗濯の毎日、そして今回は着るもののほつれも多く、針仕事も多い。
イタリア語、そしてフランス語が゛耳に響く毎日。今日はUNIQLOのダウンの手洗いするかを迷っている。
なれた船の生活は迷いもなく日々普通通り続く、ダイニングのウエイターにはすでに特別食の日々のおべーレーションもありチップは
2度渡しており、概ね私の好みも把握した様だ。
船のクロークに、勤務していた会社の先輩に顔が酷似しているペルール人がいる。とても仲良くなり日々「アミーゴ」にて挨拶する。
食は味噌汁も、海苔もラーメンも長く食べていない、船はイタリア人が大多数なので、日々朝からイタリア食ばかりである。
今日の朝食。
とにかく米食でなく小麦文化だが日々の朝食のパンはとても美味しい。そう思う。チーズやプロシュートも良い。
しかし早いものだ、下船まであと8日である。
さて長い航海であるが、寄港地も多く、誠に忙しい。今日から4日は安息の日々と思い、船内の各種イベントものぞいてみようと
思う。また波の状態はおおむね平穏、ほぼ荒れていると感じる事はない。
まあ飛鳥の2倍の大きさの船体なので、多少の波は船の揺れにはつながらない。
しかしこの航海は、ヨーロッパより中東までの移動船、終着ドバイよりアラブの金満国民を客としてアラブ周遊を続ける。
通いのドバイまでの船内サービスレベルは、知る限りにおいて相当低い。
今回はこの船で初めてお目にかかった所沢のY夫妻は、そうとうな船のベテランにて、アラブやイスラエルも詳しい。
また英語もとても流暢であり、ヨーロッパの周遊クルーズが多いが、こうした移動船ははじめてとの事。
夫妻は、寄港地では、必ず船のツアーに参加されている。したがって各地の名所はほぼクリアされている。
一方、私は貧乏航海の為、ほぼ自主観光であり、移動船の航海が多い。
しかし街の市場や、普通の地元の人の暮らしには密着でき、これもまた楽しい事と信じている。
日々夕食は同じテーブルなので、日本人5名は夕食は、ほぼ一緒に食べている。
さて今日は、船内をゆっくり歩こう。
皆様は、船での旅行と聞くと運動不足と思われる方も多いと思う。とんでもない話である。
寄港地での平均は20,000歩を超え、多い日は30,000歩に達する。
終日航海日も、100,000tを超える船の中を、三食食べるために移動するだけでも大変である。
成田を出て、まだ10,000歩に達しない日は、1日もない。
足はさうとうガクガクしている。
こからは船の高額衛星ネット、一記事コスト@500円ではきかない、記事は原稿書いてパット出し
画像記事貼り付け{「いらいらの」日々が続く。
いよいよホルムズ海峡ですね。
ヨルダンのペトラ遺跡
遺跡だけ見ればそれで終わりなんですが、
へんてこさんが撮られた観光客と遺跡の写真でビックリです。
エル・カズネは正しくインディージョーンズですね〜。美しい(^ ^)
この様な建造物が後世まで破壊される事なく保存して欲しいものです。
まっちゃん様
ホルムズの前に、ここヨルダンです。ここにも注目必要です。
ito**7様
紀元前に人がよくこんなもの作ったと感激します。広く1日ではといてい弦楽できのせん。
ciel 様
あまりにも多くの史跡が多く、本当にインディーは一つにすぎません。
是非一度ここヨルダンには訪れください。
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