再び列車に乗って西舞鶴まで戻ってきました。
もう少し時間があるので、海軍記念館へと向かいます。
といっても、徒歩ではいけない距離なので、バスに乗車。
バス停を降りて、海上自衛隊の敷地へと向かいます。
このバス停からの道程が地味に分かりにくかった・・・。
バス停の周囲には海軍記念館を指し示す明確な標識や看板が見えないんですよね・・・。
公式ホームページの地図が比較的分かりやすかったので、拝借して掲載しておきます。
バス停は造船所のほぼ正面にあります。
海上自衛隊の施設に到着すると、守衛さんが門に立っています。
観光案内所の人は乗船券を持っていれば多分なんとかなる!って言ってましたが、はてさて、本当に大丈夫なんですかね・・・。とりあえず声をかけます。
**( ゚д゚)<あの・・・
「はい、どうしましたか?」
( ゚д゚)<海軍記念館の見学をしたいのですが、今日のクルーズ船に乗る予定なんですけど、
( ゚д゚)<ここから乗船なんで、カードがまだないんです・・・。
「うーーん、、、なるほど。」
( ゚д゚)<一応乗船券を持っているんですが、これで入れますか??
「そうですね。これがあれば大丈夫でしょう。どうぞ~。」**
結論:大丈夫でした。
よかったよかった。
内部は今も現役の自衛隊の施設なため、見学できるのは記念館のみ。
画像の左側が記念館。正面の建物は海上自衛隊・舞鶴地方総監部です。
ここ舞鶴は、過去も現在も、日本海側を守備する重要な海上防衛の拠点です。
かつて日露戦争の際は、連合艦隊はここ舞鶴から出撃していきました。
太平洋戦争時も、中国大陸・朝鮮半島との航路防衛・船団護衛を担い、多くの駆逐艦・海防艦の拠点になっていました。現在も、自衛隊桟橋には多くの護衛艦が停泊しています。
記念館に入ると、大きな日章旗が展示されています。
『この日章旗は、日本海軍が建造した最初の飛行艇母艦「秋津州」(4650t)のものです。』
秋津州は太平洋戦争時に日本海軍が保有した艦船で、その分類の通り、飛行艇の母艦(飛行艇の燃料補給・整備・休養・移送などに使う船)としての機能を持っていました。
独特の塗装が施されていますが、これは敵の潜水艦への目くらましのための迷彩です。
昭和19年9月24日、アメリカ軍機動部隊の空襲により直撃弾を受け沈没。
この旗は、その際に乗員が持ち帰ったものであるとか。
激戦を潜り抜けた旗を見ているだけで、感慨深いものがあります。
その他にも点数は多くないものの、貴重な資料が多く展示されていました。
歴史が好きな方なら是非足を運んでみてください。
さて、一通り見学も終え、バスに乗り西舞鶴に戻ったところで、いい時間になってきたため、駅前から出ている港へのシャトルバスに乗って乗船場所まで移動します。
バスで5分ほど移動した埠頭の、大型倉庫の中が乗船受付口のようです。
そして、ついにコスタ・ネオロマンチカとご対面!!!
(*゚∀゚*)ついに乗船じゃあああああああ!!!!!!
~つづく~
コメントを投稿する
コメントを書く