出港地、ストックホルム
7月中旬、私と家内にそれぞれ暇ができた。クルーズに行きたいところは数々あったが、この時期がベストシーズンの北欧を選び、11日の日曜ストックホルムを出て、バルト海周辺の5カ国を訪ねるクルーズに乗船した。
7泊8日の行程には、ラトビアのリガ、ゴットランド島のヴィスビー等、日本から行くには不便だが魅力的な街も含まれており、効率的な船旅である。
出港地のストックホルムは水の都。北のべネティアといわれることがあるが、バルト海とメーラレン湖の間にある大小様々な島の上に計画的に造られた街には、歴史の重みを感じさせる建物が整然と並び、ゴチック風の尖塔が聳えている。
水面には大小様々な船が行き交い、浜辺では人懐こい海鳥達が餌を求める。大都会にいながらリゾート気分が満喫できるところだ。 高緯度のためか陽射しが強烈で景色は透明で鋭く、サングラスなしでは歩けない。その上、今年の夏は異常な暑さとか。用意した薄手のコートやジャケットはもちろん、長袖のシャツさえ不要だった。
ロイヤルカリビアン社のクルーズ船、ヴィジョン・オブ・ザ・シー号は、街の東にあるフルハムネン港から出港する。都心部のホテルからは2~3キロ、車で約10分の距離だ。乗船は午前11時から。私達はこの街で美術館、博物館めぐりを楽しんでおり、この日も午前中いっぱいは博物館で遊び、昼頃ホテルをチェックアウト、タクシーで港に向かい、乗船してから昼食という段取りにしていた。
同じような狙いの乗客が多かったようで、港はごった返していた。特にオンライン・チェックイン済みは長蛇の列。それでもチェックインは済んでいるので、手続は順調に進み、意外に早く乗船できた。手荷物を船室に置いて、すぐにビュッフェに向う。ホテルでしっかり朝食をとったし、ここであまり食べると夕食に差し障る。極力軽目を心がけてまずは船内を探検した。航海中の様子と併せて記してみよう。
クルーズの楽しみ
船のほぼ中央に4階から9階まで続く大きな吹き抜けがあり、その最下層の4階にはピアノラウンジ、すぐ上の5階に受付がある。4,5階の船尾には大きなメインダイニングルーム。 朝食はいわゆるフルブレックファーストだが、ビュッフェ形式のセルフサービスも可能だ。夕食は毎日同じ指定席でとる。スターター、メイン、デザートの3部からなるコースで、それぞれ日替わりの数品目から選択できる。
ドレスコードは2日間がフォーマル、5日間がカジュアルだったが、昼間はラフな格好で遊び回っていたご婦人方が着飾ってやって来る。 クルーズの客は、ふくよかで太目の方が多いが、こういう方がお洒落をして来ると一段と華やいで見えるものだ。
5、6階の船首側は劇場がある。毎夜の催しはショー、バンド、マジックと様々だが、クルーの出演もあって派手に盛り上げる。受付と劇場の間にはカジノがあり公海に出ると営業が始まる。少額コインのスロットマシンも多く、ギャンブルというより遊びの雰囲気で賑わっている。その上の6階はショップで、毎日趣を変えたセールが行われる。
6階の船尾側には数百人は入れそうな大きなラウンジと落ち着いたピアノバーがあるが、訪れる人は少なくいつも静かな一角だった。船内はいたるところ絵画や彫刻が飾られたアート空間になっているが、特にこの辺りは見事なモダンアートが壁や床を飾っている。吹き抜けの両側の7,8階には様々な目的の部屋がある。パソコン室では有料でインターネットが利用できるが通信状態が良くないとの掲示があった。 なるほど日本語は文字化けしてしまうので、その旨申し出たら料金は返してくれた。図書室は人気がなくいつ行っても誰もいない。立派な本棚の中身は古いものが多く、寄港地に関する本は見当たらず、船の本などが多い。カードルームにはトランプや各種のゲームが備えられているが、時々家族連れが遊んでいる程度で閑散としている。われわれもブリッジの相手にとうとう出会えなかった。
船の上部はスポーツと展望のエリア。9階の船首側には大きなビュッフェがあって、朝から夜遅くまで開いている。料理は毎日あまり変わり映えしないが、太目の人達が肉料理やデザートをてんこ盛りにしているのを見ると、質より量ならうってつけだろう。ビュッフェを出ると青空のプールを囲んで沢山のデッキチェアが並べてあり、いつも大勢の水着の人達で賑わっていた。船尾側にも小さなプールがあり、その後ろのフィットネスルーム、スパへとつながる。10階にはプールを見下ろすように取り囲み船を一周できるジョギングコース、11階には展望ラウンジがあり、夜はディスコになる。乗客の大部分は白人系で、私達が話を交わした人達は米国人が多かった。子ども連れも目立つ。夏休みということもあるが、同じ部屋に泊るなら18歳以下は無料というのが魅力らしい。
さて、出港の日に戻る。夕食は18時から。出港は19時の予定だったので、食後にデッキからストックホルム近郊の風景を楽しもうと思っていたが、テーブルに着いた頃には既に船は動き出し、入江の中を滑るように走っていた。窓の外には緑の島が続き、手の届きそうなところに人家が見える。鳥の糞で木々が真っ白になった小島もある。白夜の多島海を楽しみにしていたのだが、遊び回って夜更けにデッキに出ると、とっぷりと暮れていた。
ヘルシンキとサンクトぺテルブルグ
翌月曜朝、ヘルシンキに到着。市街地の南の貨物港に接岸した船から降り、シャトルバスで都心のエスプラナディ公園の近くまで行く。この公園は緑地の両側が道路になっており、札幌の大通り公園を思わせる。街は緩やかな起伏の半島の中を計画的に街路が造られ、様々な様式の建物と緑に囲まれ落ち着いた印象を受ける。
公園を起点に徒歩で街を一巡した。観光船やフェリーが発着する港のそばのマーケットプレイスを通り抜け、丘の上のウスペンスキ教会に登る。ロシア正教の教会でドーム内の装飾が見事だった。街のほぼ中央、元老院広場の前に聳えるヘルシンキ大聖堂は船上からも見えたが、青緑の丸屋根をもつ威風堂々とした白亜の殿堂で、まさにこの街のランドマークだ。尖塔をもつ中央駅とその前の広場も絵になるが、駅の隣にある国立劇場もメルヘンティックで楽しい。住宅地の丘の上にあるテンペリアウキオ教会は岩盤をくりぬいて造られたもので、天井は銅葺き、壁はむき出しの岩石になっている。音響効果が良いらしく、この日もピアノでショパンが演奏されていた。
火曜日はサンクトペテルブルグ。船が着いたのはバルト海に面した殺風景な港だったが、ほかにも豪華客船が三隻停泊中だった。背後には広大な空き地があり、将来は賑やかになりそうなところだ。
船で配られた新聞によると、上陸にはロシアのビザが必要だが、船主催のツアーに参加すれば不要。その場でビザを取得するには、かなり時間がかかるという。この街だけはシャトルバスもない。エルミタージュ美術館の見学を含むツアーは一人129ドルするが、ビザの取得にも代金が必要だし、タクシー代を加えれば自由行動でもそのくらいはかかるだろうということで、ツアーに参加したが当然行動の自由はない。
出港は真夜中の23時59分で、その夜はマリインスキー劇場でバレエの公演があった。ネットで切符が買えたのだが、買っていたら無駄になっていたかも知れない。
ツアーのバスは市内に入り、まずイサーク大聖堂で下車。残念ながら入場観光はなく、フォトストップのみ。次いでエルミタージュ宮殿(美術館)で午前中一杯を費やして、贅を尽くした部屋々々や装飾品と数々の名画を堪能する。
美術品の保護のためエアコンくらいあるだろうという予想は外れて大変暑い。ネズミの害を避けるため猫がたくさん飼われているという話と合わせ、いかにもロシアと実感する。 ガイドのラリッサさんが丁寧に説明してくれるが、何しろ見るべきものが膨大で、夜の劇場の件とあわせ、また来なければと家内と話し合う。
大きなレストランで昼食をとり、午後はペトロパブロフスク要塞を訪れる。この街の発祥の地で、黄金の尖塔をもつ大聖堂があり、歴代の皇帝の棺が安置されている。次にカラフルな玉葱型の屋根をもつスパース・ナ・クラヴィー大聖堂前でフォトストップ。その後は例によって土産物屋に立ち寄る。買物はドルかユーロでできるので、とうとうルーブルには両替しなかった。そういえばバスに群がってくる物売り達も10ドル、10ドルと叫んでいた。ネヴァ川の橋を何度も渡り、一方通行のためか川沿いの道を行ったり来たりしたので、車窓から街の風景がたっぷり眺められた。
バルト海の真珠、リガ
サンクトペテルブルグからリガまでは空路なら1時間半で着くが、海路は大きく迂回するので約30時間かかり、水曜日は一日中at sea(洋上)となる。もっとも、ゆっくりクルーズを楽しむためには、at seaの日が必要だ。船内で遊びまわり、食事や催しを楽しみ、海を眺め、落日を鑑賞していると、一日はあっという間に過ぎてしまうからだ。船は沿岸を通るので、陸地が見えないかと目を凝らしたが、天候のせいかその影も見えない。代わりに時々船が見える。バルト海は9つ国に囲まれているが、長く切れ込んだ湾がいくつもあって陸路による迂回が困難なので、フェリーが発達しているようだ。
船は木曜日の早朝、リガ湾からダウガヴァ川を遡り旧市街の近くに接岸した。シャトルバスを利用したが、走り出したらすぐに終点だった。市街の南端にあるリガ城からなら、バス乗り場に戻るより、船に直行した方が近いのだから、往復の切符を買って損をした。この街はハンザ同盟都市の一つで、歴史的建築物が多いことからバルト海の真珠と称えられ、市街は世界遺産に指定されている。外国人商人を意味するブラックヘッドの家は創建当時そのままに極彩色に復元され輝いている、様々な時代の民家が並んだ三人兄弟の家、ギルドから閉め出されたラトビア人商人が屋根に猫の像を置き尻を組合本部に向けたという猫の家等、特色といわくのある建物がいくつもあるが、そればかりでなくどんな一角を切り取っても絵になる愛らしい街だ。新市街の一角にはユーゲント・シュティールといわれるドイツアールヌーボーの建築群があり、どのビルも外壁や屋根が動物や人の顔、女神像などで過剰と思えるほどの装飾で飾り立てられている。船主催のツアーの大半もここに来るらしく、ガイドに引率された団体客で賑わっていた。
旧市街の大聖堂には世界最古のパイプオルガンがあり、毎日、正午から演奏があるので、街の歴史を表現したステンドグラスを眺めながら大きなドームに響き渡る宗教音楽を聴く。実は街歩きはこの時間にあわせて午前中に済ませようと考えていたのだが、到着時にはインフォメーションは開いていなかったし、美術館は11時から開館というのでうまく行かなかった。早朝に入港し午後には出港してしまう2千人近くの客を迎える体制になっていなかったのだ。リガ城とその隣の博物館も入口の表示が分からなかった。道行く人に尋ねやっと2階の受付に辿りつくと、城へは行けない、写真撮影は禁止とのこと。入場料はタダ同然なのに客はほとんどいなかった。街は素晴らしいが、観光サービスの面では社会主義時代の名残を残しているようだった。
グダンスクとヴィスビー
午後4時にはリガを出港、金曜日の朝、ポーランドのグダンスクに着いた。かつてポーランドに住んでいた私達にとっては懐かしい街だ。この街もハンザ同盟の都市として繁栄し、歴史的建造物が多い。第二次大戦はまさにドイツがこの街を襲ったことから始まった。ワレサ大統領を生んだ連帯発祥の地としても知られている。 船が着いたのはグディーニア港。その昔グダンスクはドイツ領でダンチヒと呼ばれていた時代があったが、ドイツによるバルト海貿易の独占を防ぐため、ポーランドが建設した港だ。
両港の間は約20キロ。船主催のグダンスク行きのツアーもあったが、シャトルバスで都心まで行き、電車に約30分乗ってグダンスク中央駅に着いた。昔の記憶を頼りに中心街を目指す。ズウォタ(黄金)門とジェロナ(緑)門に挟まれた長さ約0,5キロの王の道と呼ばれるドルガ通りが中心で、ここには武器庫、貴族の館などの歴史的建築物やネプチューンの噴水があり、マリアッキ教会も近い。緑の門の先の運河にせり出した木造の大クレーンや駅の近くのレンガ造りの大製粉所を改造したショッピングセンターなどを訪ねた。
15年前に訪れた時にも建物は戦災からの復興を終えほぼ復元されていたが、さらに美しくなって輝きを増している。今なお修復作業が行われている建物も多いから、街並は一層華やいで行くだろう。人出も多く、ドルガ通りなどテーマパークのような賑わいで、平和と繁栄の有難さを実感する。物価の安さは昔と変わらない。ちなみに電車賃は往復約240円、喫茶店のアイスクリームが110円。帰路、グディーニアのショッピングセンターで土産を買い込んだことはいうまでもない。
土曜日、最後の寄港地はヴィスビー。スエーデン本土の東に横たわるゴトランド島の中央部にあり、船は何時間も島に沿って走った。この街もハンザ同盟都市として栄えたが、大航海時代になって交易のルートが変わった上、リューベックなどから攻撃を受け破壊された。近年になって廃墟となった城壁や教会を観光資源にしたリゾート地となり、バラと遺跡の街として知られている。 上陸はテンダーボートの利用になった。船の舷側に吊るされている救命用を兼ねたボートで、意外なことに80人近くも乗れる。4隻のボートでピストン輸送をするので能率は悪いが、真近から船の全容をカメラに収める絶好の機会にもなった。 街は周囲約3,5キロの城壁に囲まれているが、その内部はいくつかの教会の廃墟を囲んでとりどりの民家が軒を連ねている。終わりかけたバラを含む様々な花々に彩られ、海や城壁を背景に絵になるスポットが多い。複雑に交差している石畳の道を上がって行くと、ショップやレストランが軒を並べるメインストリートに出た。島の名物の羊に因んだお土産が売られている。城壁の内外を散策し、サンタ・マリア大聖堂に立ち寄る。破壊を免れた唯一の教会で今日でも祈りの場となっているが、目を惹いたのは中で行われていた写真展。人の胎児の部分がクローズアップされていてギョッとする。おそらく、中絶反対という趣旨で教会とのタイアップになったのだろうが、いかにもスエーデンらしい光景だ。
旧市街の中央部にあるサンタ・カタリーナ教会の廃墟に着いたところで天候が崩れてしまった。このクルーズで初めて出会った雨である。せっかく日本から持ってきた傘を船室に置いて来たのは失敗だった。雨は意外に激しく、遺跡の前の広場で店開きしている露天商達のテントの上にも水が溜まってしまった。雨宿りのため、小さなスーパーで買い物をしたりカフェでコーヒーを飲んだが、一向に止む気配がない。未だ訪れていないスポットも多く、出港ギリギリまで待つことも考えたが、雨に濡れてシャワーが浴びたくなったので、小止みのスキを利用して港に急いだ。同じような客が多いらしく、ボートの乗り場は超満員だったが、辛うじてテントの中で待つことができた。皮肉なもので、船に着いた頃には雨も上がり、ヴィスビーの街から霧が上がって行った。
日曜の朝、1週間ぶりにストックホルムに戻った。私達はすぐに下船したが、レイトチェックアウトもできるそうで、一人35ドルの追加料金を払えば昼食を摂り、船内の施設を午後3時まで使えるそうだ。その日のうちに帰国する人は、観光をするにしても大きな荷物が邪魔になる。船内でゆっくりしたり、午前中を街歩きに充て、夕方空港へ向うのはいいアイディアだ。
私達は港に隣接したホテルを予約していたが、これは良し悪しだった。ホテルの隣りはヘルシンキなどへ行くフェリーの港で、クルーズ船の出港地は、(後から分かったことだが)市バスで2区間離れていた。歩けない距離ではないが大きな荷物もある。そこでタクシーに乗ったところこれが雲助で、メーターで走れば50クローナ程度のところを450クローナよこせという。一緒にホテルのフロントに行こうというと、いい値はいつの間にか150になった。
思い出したのは、かつて住んでいたワルシャワの空港の到着口で待っていたタクシーがほとんど雲助だったこと。私達は出発ロビーに回って客を降ろした車に乗っていたものだった。リッチな外国人客が多いクルーズ船の下船場所は雲助タクシーにとっては絶好の稼ぎ場なのだろう。私達を乗せた雲ちゃんはもっと遠くへ行く客を乗せていればはるかに稼ぎが多かったはずで、150では気の毒だったのかも知れない。クルーズからの下船に際しては注意すべきことだが、庶民を客としたいなら、船会社にも対策を考えて欲しいことの一つである。
こうして7泊8日の船旅は大満足のうちに終わったが、若干の後悔もある。普通の旅行なら前夜にある程度下調べをしてから街に繰り出すのに、つい食事とイベントを楽しみ過ぎて、ぶっつけ本番の街歩きになってしまったことである。要するに観光とクルーズライフは両立し難しいものではあるが、そんな贅沢な悩みを楽しめることが、クルーズの魅力なのかも知れない。