非日常のクルーズ旅行をもっと身近に。
クルーズマンズではじめよう
乗ったことがない”いにしえの名船”を語り出すときりがないと思うので、少なくとも実際に乗ったとか、見たっていうレベルでの話にしておきますが…(^^;)
一つは私ごときが語るまでもないQE2。 この船には幸い乗ることができたので思いはひとしおです。
もう一つがスウェディッシュアメリカンラインのクングスホルム。 晩年、モナリザっていう船名で日本にも来航してました。一時期ピースボートにチャーターされてましたしね。
最後がノルウェージャンアメリカンラインのビスタフィヨルド。 こちらは晩年、サガ・ルビーとなったときに乗船できたのはラッキーでした。
クングスホルムは最後はホテルシップとなったので余生を全うするかと思っていましたが、2016年にスクラップに… ビスタフィヨルドもすでに解体されてます。 QE2はホテルシップとして復活しましたが、いつまで現役で居られるか…
晴海に停泊中のモナリザ(元クングスホルム)
横浜のサガ・ルビー(元ビスタフィヨルド)
香港のQE2
「引退」ではないのですが、個人的に最も惜しまれてこの世からいなくなってしまった客船としてはやはりノルウェー(のちスウェーデン)のStella Polarisを挙げたいです。 世界最初(諸説あります)のクルーズ専用船として誕生、何度かの世界一周クルーズも経験し第二次大戦を生き延びた美しき北欧令嬢は、約50年前に日本にやってきて伊豆半島の付け根、富士山の見える沼津三津の景勝地の入り江に錨をおろしフローティングホテル「スカンジナビア」となりました。 学生時代に初めて彼女を訪れてその船体の美しさや調度品の優雅さに虜になり、それ以来何度も訪ねては宿泊して在りし日の彼女の地中海やフィヨルドの船旅に思いをはせたものです。 やがて経営難からホテル業務を終了し、レストランとして再生したものの長続きはせず、やがて海外売船と決まった時は「生まれ故郷の北欧の地で穏やかに余生を送ってください」と願いながら多くの人々と一緒に見送ったものでした。 ところがその数日後の曳航途中に彼女は老朽化による船底の傷みからくる浸水であえなく紀伊半島潮岬沖で沈没し二度と浮かび上がることはありませんでした。 購入先の計画では上海で一旦ドック入りして修理してスウェーデンに回航するとの計画だったそうですが、なぜすぐ近くの清水の造船所でドック入り出来なかったのか?返す返すも残念でなりません。 彼女が繋留されていた西浦木負のすぐ近くのカフェ「海のステージ」さんには現役当時の写真や資料、遺品が数多く保存され展示されています。 ご興味のある方は一度訪ねてみてください。
個人的には第14代日本郵船クルーズ代表宮岡公夫氏が役員の猛烈な反対を説得させて、「もう一度 NYKを客船事業を再び復活させ、世界のトップに!」と悲願を実現させたクリスタルハーモニーですね、勿論続いてデビューしたシンフォニー、セレニティも同様です。1930年代は世界の客船事業トップはNYKであったと言っても過言ではないと思っています。ファネルの赤の弐曳ラインはあの坂本竜馬らが海援隊を結成時の御旗印が、その後岩崎弥太郎の九十九商会、三菱商会へと、受け継がれ、クリスタル・ハーモニーが私の外航クルーズデビューの船だったからももあってか、 Japan Spirits、NYK Sriritsが凝縮されていた銘船だっただけに惜しまれます。勿論今はゲンティンがしっかりファンドを入れてイノベーションして更に進化を遂げてはいますが、日本人としてはどこか一抹の寂しさが今でもこみ上げてきます。
全くの私見ですが、QE2です。 ネット情報など無い時代から、乗りたいと思っていた客船です。幸い、2005年、2008年と2度乗船できましたが、内外装の傷みを白塗りの厚化粧で隠し気丈に振る舞う姿は、さながらイングランド女王のエリザベス1世にも重なりました。
飛鳥の売船も残念でした。いつかはQE2と思いながら、1993年にクルーズを現実のものにするきっかけとなった客船です。クルーズ人口の増加に伴い、引退では無く売船によりその役目を飛鳥IIに譲りました。